父が生まれ育った神戸の港湾地区を歩き、戦争や震災や古い商店街の記憶をたどる

2025年11月2日日曜日

t f B! P L


おはようございます。本日は前からやろうと思ってた、父の生まれ育った場所めぐりをしに神戸に帰ってきてますが、こちらはJR三ノ宮駅の高架橋に残る、第二次世界大戦時の米軍機の機銃掃射跡

こんな分厚い鋼鉄をブチ抜くんやから恐ろしいものです。三ノ宮駅といえば映画「火垂るの墓」の冒頭で、清太が孤独な死を迎える場所。今は人で賑わう繁華街も、かつては戦場だったという証左

地下鉄海岸線に乗り込み、中央市場前駅へやって来ました

歩いてるとさっそく古そうなアサヒビールの文字発見

初代兵庫県庁を再現した立派な建物も。お恥ずかしながら、初代兵庫県知事は伊藤博文だったとこの日初めて知りました。そうやったんか。私は幕末は旧幕派なので長州藩の伊藤博文は敵側なんですが、とはいえ百姓の子から総理大臣にまでのぼりつめたアッパレな男という認識はある。高杉晋作やら大久保利通、坂本龍馬あたりはゆうて武士の子だったので

歩いてるとデッカイ水門と、その手前に戦災殉難者慰霊碑を発見。なぜここに慰霊碑があるかは、すぐにわかりました

大正13年(1924年)竣工の大輪田橋。めちゃくちゃ立派なコンクリート製、デザインも凝ってます

なのになぜか倒れっぱなしにされている親柱があり、説明書きを読んでみると、悲惨な記憶が
戦時中、1945年3月17日の神戸大空襲で、多くの市民がこの橋や運河周辺に避難したが、焼夷弾による火災や熱風により500人以上が亡くなった、とのこと。橋の土台や柱の黒ずんだ跡は、その時に焼け焦げたものらしい。大阪・京橋駅でも終戦間際の空襲でたくさん亡くなった話や、関東大震災の火災でおおぜいが亡くなった吉原遊廓の弁天池もそうやけど、みんなこういう水辺に逃げ延びても炎や熱風に巻かれ亡くなってしまったんやと思うと…いかほどに無念やったやろうかと
『ドリフターズ』で菅野直が紫電改から、炎に呑まれる人々を見て激昂するシーンが忘れられない。あれめちゃくちゃグッときた

この橋が語る歴史はもうひとつ、1995年1月17日に起きた阪神淡路大震災で、親柱や橋脚の一部が崩れ落ちたとのこと。がれきとして処分されそうになったが、住民らの要望で保存されたんだとか
私も幼い頃に神戸で被災した身なので、他人事とは思えず。語り継いでいきたい記憶のひとつ

橋から眺める大輪田水門。インフラ設備と思えぬ近代建築物的な洗練された雰囲気、ですが、申し訳ない真ん中の可愛いキャラクターがいろいろブチ壊してはいる

大輪田橋を横から見たところ。なんとも美しいアーチ橋。ここで何百人も亡くなったなんて想像できない

ここから運河に沿って北上していきます。こちらの新川運河は1876(明治9)年竣工。風浪が強かった兵庫港に安全な船溜まりを確保するため造られたとのこと

安政6(1859)年の地図で見ても、ここら一体が整備された都市だったことがわかる。今は神戸の中心地は三宮ですが、古くから港町として栄えていたのはここ兵庫津で、平清盛が修築した大輪田泊(おおわだのとまり)という名前でも知られてます。ちなみに大輪田泊の開削は行基が関わってるとのことで、こないだ行った大阪の水間観音といい、行基すげーな

運河に並ぶ水門と、中央卸売市場関連の古い建物群をのぞむ。ええ景色

運河沿いには兵庫城跡も。兵庫津一帯を支配する要所でしたが、城の中心地はほどんと運河開削によって消え去った模様
ちなみに明治期にはこのあたりに「新川遊郭」という花街もあったようですが、やはり空襲で焼失、戦後は兵庫運河の拡張によって跡地そのものがなくなったらしい。城も遊郭も関係なく、街の変化に呑み込まれ失われるもの

しばらく歩いてると、出た!市街地に突然現れるドデカ仏像

こちらの兵庫大佛は、日本三大大仏のひとつ。戦時下には国の命令によって解体され金属供出されてしまいましたが、戦後に初代大仏の遺構の一部を使って再建したとのこと

この角度で見ると、目がうっすら開いてるのがわかり、怖い

腹が減ったので近くの洋食屋さんに入ってみたら、これがめちゃくちゃ当たりのお店でとっても美味しかった。和田岬という地ビールもあったのでいただきました。神戸の地ビールはけっこう飲んでるつもりやったが、これは初遭遇。フルーティーな味わい

お店がなんか全体的にうさぎを激推ししてて、テーブルや壁にはうさぎの置物やら額縁やら、うさぎ関連の本も置いてあって、なんかちょっとおもしろい洋食屋さんでした。なによりご飯が美味い

腹ごしらえも済んだので、再び港湾地区を歩いていきます。すばらしいヴィンテージ感

このあたりには、船の修理をおこなうドックがたくさん!

空母と見紛う大きさのドックも。うおおお

かぁっこいい〜〜〜山口県宇部の工場夜景に似た萌えがあります

休日だったので、あたりには波の音と金属のこすれる音が響くのみ

積み重ねられたパレットの墓地。こんなにも人工物にあふれてるのに人の気配がまったくない、寂寞とした世界

攻殻機動隊のタチコマっぽいフォルムでかわいい

実際に船がお休み中のドックもあり、テンション上がりました。横浜のドックヤードガーデンも好きで何度か行ってるが、やはり現役のドックはたぎるものがある

まさしく水上要塞。縁があれば立ち入ってみたい…以前インタビューの仕事で川崎重工のでっかい敷地に入らしてもらったことがあり、もうめちゃくちゃ楽しかったので…


街角に急にでっかい機械が出現。錆び具合がイカしてます

戦前戦後に活躍した2トン蒸気ハンマーとのこと。機械としての役目は終えたが、功績を讃え静態保存されている様子。1934年製ということは、生誕してすでに90年!わざわざ記念碑まで用意して保存してあるなんて、とても愛着を感じる

半分地下に埋まっていた何か。港湾を歩いていると普段目にしないものに溢れていて楽しい



旧車と祠とスーパーハウス。スーパーハウスとはいったい

さらに北上して来ました。このへんが父の地元のはずです

とても良い感じの路地と古い家々


この近くに家があったと父から聞いていた、松尾稲荷神社。たぶん私も小さい頃に連れて来られたことがあるんじゃないかと思います、何も覚えてませんが

とても立派な扁額があったが、なぜか外されて地面に置かれていた

狭い参道から奥へと続く、なんとも独特な雰囲気がありました。ここは他となんか違うな?感。霊感とかではなく、よく目にする神社の境内と構造とかが違うんだと思います。でもそういう「違和感」に、人は神秘性や特別感を見出すもの

手水舎がキツネ!これは初めて見たかも。かっこええ

拝殿の雰囲気がこれまたすごい。開口部は広いのに、すぐそこに闇が迫ってる感じ。これ子供の頃に来たら結構怖かったんじゃなかろうか
1981年出版「わが町・神戸 : ポートピア'81案内」で、こちらの宮司さんが若い頃を回想して「拝殿前で線香売りをしていたが、花街・花隈や遊郭・福原のきれいどころが客と一緒にお参りに来ては夜通し絶えず、足の踏み場もないほどだった」と述べており、芸妓や遊女の方々もお参りに来て賑わっていたことがよくわかる。華やかな界隈だったんでしょうね

拝殿内には縦長の提灯が所狭しと並べられており、昼間だというのにマジで暗い。拝殿・本殿は大正3年(1914年)に建て替えられたものとのことで、110年もの。この神社のすぐそばにあった商店街は、阪神大震災で壊滅的な被害を受けたので、ここはよく無事やったなと感動

そして拝殿奥にはビリケンさんも。関西では大阪・通天閣のビリケンさんが有名ですが、こちらのビリケンはさらに古く、大正時代に造られたものとのこと

いったいいつの時代の注意書き?と興奮してしまった。戦前かもしれん

そんなユニークな稲荷神社のすぐ隣り、写真真ん中の路地にはかつて稲荷市場というアーケード付きの商店街があって、その中に父の母親、私からすると祖母のお店がありました。私も子供の頃にお店に行った記憶が確かにあって、天井から吊るしたプラスチックのザルに小銭が入れてあって、お客さんにお釣りを渡したりとか、子供ながらにお店の手伝いをしてたんだと思います。まぁ多分ほとんどは兄姉と走り回って遊んでたんやろけど

1995年の阪神大震災で、商店街の半数が全壊。祖母の店も潰れましたが、商店街からすぐそばにあったはずの祖母の家は難を逃れました。母方の祖父が姫路で工務店を経営していた大工さんで、たまたま神戸の祖母の家を建て直し?修築?したからと聞いてます。してなかったら、もしかしたら家も全壊していたかも

震災で壊滅的なダメージを受けても、商店街の生き残った店舗は営業を続けていた様子が、神戸新聞の記事に残ってました。たぶん私も震災後に一度は来たはずで、巨人に踏み潰されたみたいにぺちゃんこになった店とか家とかを見た記憶があります。あの記憶があるから、今でも地震の時に一階にいたら圧死するという恐怖がある

かつてあったアーケードも、震災や老朽化で撤去。今では、かつてここに200メートル近い商店街があって100軒近い店で賑わっていたなんて思えない、さびしい路地

それでもこちらのホルモン屋さんにはお客さんがたくさん入っていたし、右手側の文房具やら本やら売ってるお店には若い親子連れがいたり、たしかに人の営みと暮らしが続いていました

この両脇も店が連なる商店街だったはずですが、すっかりその面影はなく

店舗がなくなった場所は、空き地のままだったり新しい家が建っていたり。古い家々も残っています

この先の国道2号まで商店街は続いていたようですが、道をふさぐように大きなマンションが建ち、もうすでに街は新しい姿に変わっています

近くの公園の地図を見てたら、「稲荷市場」の文字を発見!確かにここにあったんやなぁ

周辺をぶらつけば、古い姿のまま朽ちていく店や家もちらほら


ここは美容室とかやったんかなという雰囲気

その隣にあった家、二階の肘掛け欄干が色っぽい

すご!となったレンガ建築。もとは蔵とか倉庫やったんを住居にしたとか?

玄関のレンガが波打つようにたゆんでおり、これも地震の影響かも

震災や開発で街の様子は変わっても、こんなふうに当時のままの空気を残している路地もあって、嬉しくなる


半地下になった部分に謎のドア。あったか〜い何が出るんや…12分間200円ってことは、コインシャワーでしょうか?前に横浜でもコインシャワー見かけたけど


ちょっとした橋と水路の立体交差。ここだけ急に開渠が出現するので、どっかの暗渠につながってそう

こういう"終わり"な家も好きです

しばし歩いてきた場所にあるのがこちら、我らが横溝正史、生誕の地!
横溝正史好きのくせに、氏が同じ神戸出身とは全然知らず、父と一緒にグーグルマップ見てる時に偶然見つけてテンション爆上がりでした

「江戸川乱歩の推挙により、雑誌編集者を経て作家に」と書かれており、確かに鳥羽の江戸川乱歩館にも横溝正史の手紙があった

そして生誕の地碑の背後に、なにやら気になる構造物が。とてもながーーい鉄扉とイカつい機械が市街地にドンと設置してあります

逆側にも鉄扉。これはアレや、YouTubeで見たことがある!高潮や洪水から街を守るために、非常時にゲートが閉まるという陸閘!

こんなところで陸閘が見れるとは思わんかった。非常時にしか使用されないものなので、使うことがないのが一番ですが、動くところを見てみたい。閉鎖訓練とかもあるようなので

陸閘が動くと、このスピーカーから放送が流れてランプが回るんかな

で、グーグルマップ見てたら「湊町地下道」と書いてあったので、これはぜひ通らねば!と思って来てみたら、廃止になっている…!ショック

いつ造られたものかネットで調べてもわからなかったので神戸市役所に問い合わせたら、1966年3月に竣工されたとのこと。60年の月日を確かに感じる

すでに階段が壊され始めている箇所も。送電線などを通す管路になるらしいので、余計な構造物は崩してしまってから地下道を埋めるのかな

外観も良い味出てる

反対側も。吸い込まれそうな暗闇。地下道ってワクワクして好きなんですが、こんなふうに廃止になっちゃうものも多いんやろな

地下道が通っていた真上にそびえたつ阪神高速。これが震災でボッキリ根元から折れて倒壊した様子は産経新聞などにも掲載されていますが、どれほどの揺れと衝撃だったのか。今でもあの日のことを思い出したら気分が悪くなってしまう

気を取り直して、ここからはJR神戸線沿いに歩いて行きます。高架下のこの古代神殿感、大好物

街灯がだいぶ古そうで目を引かれた

高架下の風景って、なんでかとても好きです。高架鉄道という無機的なインフラ設備と、人の暮らしが有機的に融合してる感じが好きなんかもしれん。しばし高架下や道沿いの建物を眺めながら、JR神戸駅へ向かって行きます


こういうリフトパークもあんま見なくなったな。エレベーターに乗った車が空中に吸い込まれていったり空中から現れたりするのを見るの、かなり楽しいのですが

現代的な整然とした建物じゃなく、こういうバラバラな雰囲気の建物群はワクワクします。かつてこのへんは「地獄谷」と呼ばれた飲み屋やらスナックやらのアヤシゲな界隈だったらしく、同じ雰囲気を横浜の下町にも感じるので好き

思ったけど、こういうガード下だったり屋上だったり、本来空いててもいいスペースに押し込まれた建築物や構造物が好きなのかも

古そうな三階建てに、無理やり後付けしたっぽいベランダ、こういうのこういうの。すばらしき物件

「国鉄」の文字に思わず反応。JR甲子園口駅ぶりに見た、国鉄!しかもちょうど松本清張『日本の黒い霧』の、当時現職だった国鉄総裁が失踪し轢死体で発見された謎多き「下山事件」の章を読んでいたので、国鉄労働組合というのもオオッ…という感じ

JR神戸駅までやってきました。駅前には戦災復興の碑

かなり久々に来た神戸駅。現在の駅舎は三代目で1930(昭和5)年築、もうすぐ100歳。オシャレでかっこよく、とくに真ん中の時計が素敵

駅舎内から見た時計の裏側。時計の盤面はステンドグラスになってるようです。今も定期的に修繕がおこなわれてるんやろなってわかる足組みが嬉しい、現役である証なので

駅前で目を引いた、おもしろい形の屋根

これは駅構内ともつながってる、デュオこうべという地下商店街でした。内部から見ても壮観!

迫力あるドーム。1992(平成4)年オープンとのことで、これからも末長く保全していってほしい建築物

JR神戸駅に来たらぜひ訪れたかったのはここ。駅中のスタバなんですが、かつて皇族の方々が利用した駅の貴賓室の内装を引き継いだ店内になっています

まず目に入る、大理石の暖炉。照明器具も華美ではない上品さ

シャンデリアも品格があって美しい


壁際に、たぶん昔の神戸駅の写真が飾ってあったんですが、お客さんがいらっしゃったので近づけず

暖炉側には昔の駅周辺の地図も

お客さんがいなくなったすきに暖炉に接近。鳳凰のデザイン?すばらしいディティール


こういうドアの装飾ひとつとっても洗練されてます

床の木組みも。神戸駅に貴賓室ができたのは1889(明治22)年の2代目駅舎からで、ここにあるすべてが当時のままかはわかりませんが、かつてここを行き来した人たちの足音が聞こえてきそうな風合いです


劣化でか、ところどころ穴があいてますが、あえて昔のままのものを使ってるのかな

旅の最後に良い時間を過ごさせてもらいました。今回撮った写真を父に見せて、またいろいろ思い出話を聞き出そうと思います

おしまい

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