静岡・熱海の赤線跡で圧巻の妓楼建築や、三島の美しい湧水群を楽しむ

2025年11月22日土曜日

t f B! P L

 
おはようございます。本日は前から行きたかった静岡県・熱海へ向かいます
がその前に、横浜駅の東海道本線ホームから見えた廃線跡。これも前から見たいと思ってた、かつての東急東横線の廃線跡。姫路駅のモノレール廃線跡もそうやけど、こういうデカい駅のすぐそばに廃線が残ってるの、なんだかとっても興奮する。朝っぱらから良いものが見れた

東海道本線で一路、熱海を目指していると、車窓が海のパノラマビュー!

一面の海と空の景色もめちゃくちゃ美しかったし、年配の方々がワイン飲んでたり家族連れが窓にかじりついていたり、そういうのも込みで美しかった

熱海着。駅前にさっそくイイ感じのビルが。1967(昭和42)年竣工。こういうのは今の時代、造ろうと思っても造れないので大変貴重
ところでなぜ熱海に前から来たかったかというと、大分の別府温泉岩手の台温泉と同じく、古くから栄えた温泉街には廃墟がたくさんあったり、風俗街・歓楽街が盛んだったりするからで、きっと熱海にもええ街並み残ってるんやろなーと思ってGoogleMapを見ていると、熱海駅から南下したあたりに「糸川特飲街」の文字を見つけまして。調べたところ赤線だったようなので、ワクワクと向かってみることに

さすが土曜日の熱海、駅前商店街は観光客で大賑わい

この先、飯にありつけるか不明だったので早速お昼ごはん。そば屋に来てうどんを食うという失態、でも美味しかった

駅前から糸川エリアに向かっている途中にも、気になるものがいろいろ。「人車鉄道」ってのを初めて知ったが、見ての通り鉄路の上を人力で押して客車を運んでたというもの。しかも熱海〜小田原間をつないでいたらしい。伊豆国と相模国なので豆相
今はもう鉄道って聞くだけで、電気やディーゼルで動く乗り物と思っちゃうけど、そもそもは動物だったり人力だったりで動かしてたんやなと当たり前のことに気づく

通りすがりに気になった、なんらかの構造物。おそらく通りの名前とか、奥にある店々の看板が掲げられてたのかな

現代なら付けられんやろなという感じの店名。神戸・三ノ宮にも同じ名前の喫茶店があるし、黒人さん差別というよりもジャズやブラックミュージックを意味してのことと推測する。のちに「熱海は音楽の街だった」とわかるので

温泉街らしく、こういう機械がごく街中にあるというのが良い。日常に溶け込んだ違和感というか。でもこの街で暮らす人にとっては当たり前の光景

「この人が掘り当てた温泉」とかかなと思ったら、まさかの湯壷に落ちて焼け死んだ人の名が付いたタイプ。ど、どういう気持ちでこの湯を使えばええんや

海辺に出ました。きれーい!最近は荒々しい海を見ることが多かったから、久々にこういう穏やかなビーチサイドを見た

巨大テトラポットの群れ。波音が心地よく天気もよく、しばらくここでボーッとしてました

河口におもしろい橋の欄干が。機能性に特化した無骨な橋も大好きやし、こういう観光地らしく見た目に楽しい装飾がされた橋もよいものです

はるか遠くに有名な「ホテル ニューアカオ」。ここもいつか泊まってみたい

海岸沿いからちょっと内陸に入ると、情緒あふるる昭和な街並みが広がっています。こちらのムーラン座は静岡県公報によると「興行場」として登録されていて、なんらかのショーがおこなわれていた様子

素敵な肘掛け欄間

横一列にスナック店舗が並ぶ、スナック専門ビル?

廃墟スナックビルの看板。歩いてて気づいたんですが、ここら一帯に「MARUGEN(丸源)」という名前のビルがいくつか建っていて、しかも私が見つけた分はすべて廃墟になってました
たぶん地主とか大金持ちのビルやったんやろなーと思ってたら、調べたところ「丸源ビル」は川本源司郎という実業家・億万長者の方が建てたもので、銀座や中洲なんかにもビルを所有していたらしいが、脱税で実刑判決を受けたのち、数々のビルが売却されていったんだとか。昭和の大富豪の生き様の一端に、熱海で触れられるとは

このあたりからが「糸川べり」と呼ばれた旧特殊飲食街、いわゆる赤線地帯
熱海は江戸時代から温泉地として栄え、人が集まるところに色街ありというわけで歓楽街としても発展、戦後には国主導のもと占領軍向けの「慰安施設」として機能し、1958年の売春防止法によって公認の赤線営業は終了、その後も特殊飲食街と名を変えて店が残ってきたとのこと

赤線時代の名残を思わせる、おもしろいデザインの建築がたくさん。このカラーリング、すばらしいセンス

こちらもすでに廃ビルでしたが、とっても凝った意匠

そして絶対見たかったのがこちら、歴史ある妓楼建築の「つたや」

ものすごい迫力、存在感。「つたや」というかつての屋号も確かに読み取ることができます

長年、廃墟状態で放置されていたようですが、今は新しい所有者さんによって再生プロジェクトが進められている模様。ギャラリーやイベント会場として建物内に入れる機会もあるみたいで、ぜひ内部も見学したい

「つたや」の向かいの建物もすごい。鏝絵かな?鳥に植物にうろこのような模様、すべてがかっこよすぎる。結構いろんな昭和花街や遊郭跡を見てきたが、こんな建物は初めて見た

かわいい豆タイル

中華料理屋っぽい廃墟も、情緒たっぷり

この中華料理屋の裏側が剥き出しになっていて、すごい迫力〜と思ってたが、どうやらここに10年ほど前まで「千笑」という屋号の大物の妓楼建築があったものの解体されたようで、見に来れなかったのが悔やまれる


2014年のストリートビューに、ありし日の姿が。うわーこれは本当に見たかった

錆びついたフレーム。かつてここにも賑やかな看板が掲げられていたのか


路地のあちこちに良き建物が忍んでいます


玄関扉上の意匠にグッとくる

丸窓に色街の気配。植物に覆われた右側の建物も、イイ感じの丸窓がありました


三階部分?の窓のデザインにご注目。かっこいい

熱海駅前はえらい人出でしたが、このあたりは閑散としててほとんど人と出会わず、しかし一帯をずっと行ったり来たりして歩き回っていると、たまたまこのお店から出てきたおじいさんと目が合い、したら私は何も言ってないのにおじいさんが「今なら空いてるよ」と言ってくれたので、誘われたのも何かの縁、ちょうどコーヒー飲んで休憩したかったし入ってみることに

ここがめちゃくちゃ素敵な店でした。なんと創業70年になる老舗ジャズ喫茶。「ジャズ喫茶」という言葉がなかった時代から、今のマスターのお母さんが始めたお店で、店内にはジャズのレコードとCDはもちろん、ジャズプレイヤーたちのコンサートのポスター、チラシ、チケットが所狭しと貼られていました。もうほとんど歴史資料館

まずはコーヒー。店内ではマスターが選んだジャズミュージックが、良いスピーカーからかなりの爆音で流れています。マスターと会話するのも、ちょっと声を張り上げないといけないぐらい

真昼間ですがメニューにお酒もあったので、つい頼んじゃったウイスキー。やっぱ気持ちいい音楽を聞いてると酒が飲みたくなる

天井には実際に使われていたベースが。いろんなフェスやイベントのステッカーが貼られていてかっこいい。マスター自身に楽器はせんかったんですか?と聞いたら、耳が肥えすぎてダメだった、とのこと。確かに、幼い頃からジャズ好きのお母さんの元でジャズのレコード聴きまくってたら、自分の演奏に満足できんくなりそう。しかもマスターは、超有名ジャズトランペット奏者のマイルス・デイビスの来日公演にも行った筋金入り
マスターの話によると、昔は熱海にはビッグバンドやジャズの演奏家がたくさんいたらしく、大きな旅館やホテルで毎晩のように演奏してたんだとか。お母さんの世代からずっと熱海という街を見てきたマスターの言葉、あたたかく沁み入った。とくにほぼ廃墟と化した色街を見た後だと

予期せず長々とお邪魔し、お店のマッチもいただいてしまった。こういう出会いがあるから、旅先で不意に店に飛び込んでみるのは楽しいものです

ジャズとウイスキーであたたまった体を冷ましに、街散策を再開。こちらも凝ったデザインのカフェー建築。壁のくりぬきも肘掛け欄干も素敵

今更ですがこちら、熱海市のマンホールでございます。シンプルタイプ。円になった四角い黄色は、かつて夜の街をきらびやかに照らしていた街灯とかなのかな

スナックやらパブやらは、とにかくそこら中にある

外付け階段とその奥の格子扉?がかっこいい

なぎさ通りと呼ばれるあたりに来ました。ここも土曜日とは思えぬ閑散具合

そんな中にデデンとそびえる廃墟ビル。火事か放火にでも遭ったのか?という雰囲気

たくましく生える緑たち。人間社会が滅んだあとの世界が見える

船の模型がこんなにも並んだ飲食店はめずらしい。きっと釣りたての海鮮が食べられるお店やったんやろな


さびれた通りを抜けた先には、家族連れやカップルなどで賑わうビーチが広がります

時が止まっている。古い映画を見ているよう

こういう、別の建物同士が二階部分だけつながってる構造をちょくちょく見たが、なんの用途で内部はどうなってるのか。あるいは両側の店がちょっとでも拡張するために、両方からせりだす形で増築したのか?

異彩を放つデザイン。欄干部分が海辺らしく波打ってるのが点数高い

往時は夜な夜な賑やかな声が響いてたんやろな

現役のソープランドもございます。こんだけ周りがさびれてると逆に目立つ

こちらも丸源ビルのひとつ、ですがすでに廃墟化し、ビルに取り付けられていたのだろう看板が半地下に横倒しにされてました。ここもスナックビルだったっぽい

1階がコンビニに魔改造されてるのも、現代的な街角名建築といえる

ギュッとしててかわいい建物

肘掛け欄干の美しさはもちろん、左下のカゴメの看板に六芒星が。こちらのロゴマーク、1917年ごろから1963年あたりまで使われていたカゴメ印らしく、てことはここに残っている看板は50年物かも。というかカゴメってめっちゃ老舗企業やったんやな。創業はなんと1899(明治32)年

少しずつ駅前へと戻っていきます。ファッションヘルスも元気に営業中

年季の入った美容院。階段と壁の色味がベリーグッド

ここもかつては飲み屋が並んでいた形跡あり

現代語でいえば「医王寺」というお寺。この「医」の旧字「醫」を見るたび、浅田次郎が自身の本のあとがきで書いていた話を思い出す。「醫」という字は、古代、祈祷師が病などを祓うための矢や呪具などを掲げて祈っていた姿だと、そして現代においても戦場での医療行為というのは、十分な物資や薬や治療方法もない中で、ほとんどそういった古代の祈りに近い切実なものだっただろう、と。浅田次郎自身が元自衛官で、娘さんが医療関係の方だから、いろいろ思うところがあったみたい

駅への大通りを歩いてたら出てきた、さきほどの医王寺への参道。幅員の狭さといい、周囲の建物といい、良い景色、良い道

ここにも素敵な肘掛け欄干を発見、と思ってたら

表側を見てみると、おお!これはきっと旅館などを営んでいらっしゃったに違いない風情。一番上のスペースにかつての屋号があったんでしょうね

で、熱海駅から伊東線に乗って伊豆多賀駅へ移動しようとしたら、なんかですかこのカッコイイ電車は!聞いてへんねんけど!

黒船電車というらしく、JRではなく伊豆急行のリゾートトレイン。えっ、こんなの特急券なしで乗っていいんですか?

車内は広々とした車窓に、内装も特別仕様で、えっほんまに乗って大丈夫なやつ??ってなりました。大丈夫でした。すごいな伊豆急行

伊豆多賀駅に到着。暮れなずむ景色にも溶け込む素敵な車両

駅出てすぐにオーシャンビュー。このあたりはずっと海が近くて気持ち良い

本日のお宿へと向かう途中で見つけたでっかい木。こういうのが、道路敷くのに邪魔だからって切り倒されず置いておかれてるの嬉しい

宿からコンビニに向かう途上には、肝試しにぴったりな建物も。売物件と書いてあったが本気か?暗闇だったので伊豆多賀の街散策は明日に

朝、せっかくなので海辺を散歩。波がなかなか激しかった


釣り人や海鳥がたくさん集まってました。港町なんやなここは

海近くに、良い感じの神社を発見。ちょっと土地にお邪魔してますよのご挨拶へ

忠魂碑も。忠魂碑の周囲を囲んでる石が鉛玉とか砲弾っぽい形をしてるの、他の神社でも見たことある

ちょうど紅葉の時期で目に麗しく

立派な御神木も

海に近い神社ならでは、灯籠には「海上安全」の文字が。下部分は船の名前っぽい

鳥居から海が見える景色、素敵。こういうところに住みたい

道祖神っぽい姿も。石像も石段もすべて人の手によって作られた感が残っており、素朴なあたたかみがある

神社の脇を流れている熱海宮川、なかなかの河川整備がされており、鴨やらいろんな鳥の憩いのスポットになってました

かっこいい河川構造物。落差工という、水流をコントロールするためのものらしい。ありがとうchatGPT

汚水マンホール。小さい温泉マークと小さい「お」

こっちはド派手でかっこいいマンホール

伊豆多賀駅まで戻ってきました。昨日到着したときは暗闇で見えんかったが、山小屋的雰囲気の駅舎

駅前広場がこれ。とても良い。こんな機会ないと来ることはなかっただろう伊豆多賀駅、ありがとう。できることなら日本全国すべての駅に降りて、その土地を歩き回りたい

いったん熱海駅まで戻ります。今日は黒船電車ではなく年季の入ったメタリックな車体、これもレトロフューチャーでかっこいい

熱海から大阪方面に帰る途中で、どこに寄ろっかなーと考えた結果、三島で降りてみることに。駅舎は富士山と三嶋大社をイメージしたものとのこと

三島で降りた理由のひとつが、前から見たかった湧水群があるから。こちらの柿田川公園の敷地内あちこちで、富士山を水源とする柿田川の湧水が楽しめます

そのひとつがこちら、かつて豊富な湧水を利用していた紡績工場の井戸跡

ものすごい水の透明度、吸い込まれそう。今も底から水が湧いているのがわかります

木々に囲まれ、日の光の差し込みによって刻々と表情を変えるブルーホール。ぼーっと眺めているだけで、とっても癒される

公園内には、水の神様を祀る京都の貴船神社から勧請された、清水町貴船神社も

神社そばに置かれていた水五訓が良かった。水の性質を例えとし、人のあるべき姿を説いたものですが、まぁようするに「自ら行動しろ、努力を怠るな、困難を乗り越えて強くなれ、清濁あわせ飲み、状況に合わせて柔軟に生きろただしテメエの芯は忘れんな」的なこと

ここにも井戸と湧水


水がきれいなので植生も豊か。毎回思うけど、私が植物や生物に詳しければ、こういうところに来た時もっと楽しめるんやろな

湖かと思ったらこれが柿田川だった。浅瀬にも植物が繁茂してきれい

なんと柿田川自体が天然記念物。すごい

静かな水の流れに沿って遊歩道が作られていて、適度に人が少なくて、散歩するには最高の場所


わかりづらいが、ここもボコボコと水が湧いてました

良い感じの隧道も

お子さん連れの方もたくさんいらっしゃった。こんな場所が近所にあるとええやろなぁ

せっかくなので動画も

きれいな水を見たせいか海鮮が食べたくなり、ちょうどよく公園横に回転寿司を発見。サーモンとアジがめちゃんこ美味しかった

清水町のマンホール。富士山に木々に川、そしてもしや特徴的な橋があるのでは?と思って調べてみると、これは旧柿田橋、通称「眼鏡橋」と呼ばれたアーチ橋らしく、一部が破損し現在は廃橋になりつつ残ってるらしい。なんと…見に行きたかった

それとは別に、柿田川公園から近くの樋を見に行きました。灌漑用水を送水するための水路橋で、もとは戦国時代に北条氏から今川氏へ、婚姻を結んだ際の引き出物として築造されたのが始まりらしい。というか引き出物がインフラって、規模がすごすぎる。さすが戦国大名

どの部分がその樋にあたるのか、無知ゆえよくわからなかったが、こんこんと水が流れておりました

そして気になったのが、水路脇に建つこの建物。なんだか良い雰囲気じゃありませんか。いかにも二階の窓の欄干から川を見下ろし、男女が夕涼みでもしていたような

道路側には一般家庭にはなさそうな椅子が捨ててあったので、何かの商売はやってはったのかなという感じ

通りすがりに目に入った秋葉神社。ここは旧東海道沿いで、三島宿があったあたり。三島は季節風が強く、何度も大火に見舞われたことから、寛政5(1793)年に宿役人が合議のうえ、遠江國秋葉大社を勧請し火防の神として創建したとのこと。三島宿の人にとっても、宿場を利用する人たちにとっても、大事な存在やったやろな

宿場町であり多くの人が行き交ったということは、もちろん色街もあったわけで、このあたりは三島遊郭と呼ばれる遊里だったとのこと。しかし昭和30年の赤線時代にはすでにほとんどが転業していたようで、熱海のような妓楼建築は残っていません。とはいえ時代を感じさせる良き建物がちらほら

玄関は現代風に改装されてますが、側面の姿を見るともとは旅館とか料亭かなと思ったり

現在は「加屋町」ですが旧名の「茅町」表記が電信柱に。大阪の貝塚遊郭もそうやったけど、こういうところに痕跡を見つけると嬉しくなる。実際、茅町時代にあった立派な妓楼の写真がいくつか残っています

三島遊郭 萬字楼 / 提供:三島市教育委員会・Mishima Sepia Cat / ライセンス:CC BY 4.0

三島遊郭 井桁楼 / 提供:三島市教育委員会・Mishima Sepia Cat / ライセンス:CC BY 4.0

こちらはなかなかの重量感のある看板建築、というか表通りの店舗部分をあとから突き出すように増築したのかな

千葉県の佐原で見たような、かっこいい文字看板!

こちらもかっこいいファサード。なんかの商売やってはったんやろな

伊豆箱根鉄道の三島広小路駅で、ちょうど踏切が降りて電車が入線。やったぜ

三嶋大社の手前あたりは、現役の夜の街の気配がします

スナック路地発見

奥に見える建物が気になって見に来てみたら、ちょうど店に出勤してきたママと女の子っぽい方々と遭遇。お邪魔しております

こちらもかなり年季を感じさせる看板。上には富士山、奥にはスナック長屋。たまらん昭和情緒

夜の店が入ってるビルの看板は、なぜかように魅力あふれてるのでしょうか。あと「珍竹林」って名前のお店はなぜ全国に跋扈しているのか

駅前名店街も情緒たっぷり

別の通りの看板。夜は千鳥足の客が行き交ってるんだろうか

三島駅のポスターには、私が知ってる刀剣男士と知らない刀剣男士がおりました

三島駅で新幹線ホームに向かうためエスカレーターに乗っていると、見逃せない文字が!日・本・初・の・エ・ス・カ・レ・ー・タ・ー

こういう、動く歩道とエスカレーターが一体になったものとして日本初らしい。設置は1999年と、意外と最近

三島駅のホームからは、めずらしく富士山がくっきり!以前、山梨県の河口湖に行ったときに、実は富士山って年の3分の1ほどしかきれいに見えないと聞いたので、今日は3分の1のラッキーデイ。良い旅の終わりでした

おしまい

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