ステのジャムツアーがてら横浜を歩き、あちこちの歓楽街や、戦争を生き延びた氷川丸の船内へ

2025年11月20日木曜日

オタ活

t f B! P L
本日、横浜。ステのジャムツアーに参戦しに来ましたが、ソワレまで時間があるので久々に街中散策。宿泊地が伊勢佐木・福富エリアだったので、昼間でも夜の街の気配が濃い

大岡川周辺は何度も歩いてますが、ここの宮川橋が昭和7(1932)年竣工のおよそ100年物とは知らなかった。浅草の柳橋と同じく、関東大震災復興事業の一環とのこと

宮川橋を渡って野毛エリア。やはり何度見ても情緒あふれるハーモニカ横丁

せっかく野毛に来たならと、久々にARBで銃兎が行ってた老舗洋食屋さんへ。創業は昭和21(1946)年と、本当に終戦直後も直後。隣町の伊勢佐木町がアメリカ軍に接収されたため、こちらの野毛に闇市や屋台が立ち並び、戦後まもなく物資が不足している中で「安くて栄養あるものを食べてほしい」という想いで始まったお店

店内の照明にリボンがかけられ、クリスマス仕様に

チーズハンバーグが大変おいしい。ARB以来、ハマや銃兎好きの客が増えたようで、店員さんは我々の服装やぬいから察してくれます。ヒプのヨコハマ界隈で起こったことが、現実の横浜の街にも影響を与えているの、おもしろい

ステンレスのお皿も創業当時から。戦後まもない横浜の人々もこれ使ったのかなと思うと胸熱

腹を満たしたので、本日の現場であるKT Zepp Yokohamaへ向かって行きます。途中、地図に「岩亀横丁」という文字を見つけ、これは古くからある通りっぽいなと思って寄ってみると、さっそく良き建物が。おそらく「岩亀」という名前に合わせて、壁に亀甲紋が彫られています。なんというオシャレな意匠

民家のすきまに稲荷神社があり、これはなんかアヤしいぞとセンサーが働きました。調べてみたら、やはりここには遊郭に関連する施設があったとのこと
横浜の遊郭といえば、今の横浜スタジアムにあった港崎遊郭が有名で、中でも大きなお店だったのが「岩亀楼」。この「岩亀楼」で働く遊女たちの療養所がここらへんにあったらしい。さらに港崎遊郭が火事で焼失したあと、このあたりに移転してきて高島町遊郭が形成されたので、やはり遊郭とは縁が深いエリア。たまたま歩いていただけなのに色街を引き当てるとは、さすが私と褒めたい

高島町遊郭も大火によって消えてしまうので、当時の建物はほぼないようですが、古そうな建物はちらほら。こちらの素敵な建具が目を引くおうちには、表具屋の表札がありました

こちらも凝った外観、街中の名もなき名建築

せっかく高島町に来たなら見ておきたかったのがこちら、二代目横浜駅の遺構

横浜駅って1872年開業当時は今の桜木町駅あたりにあって、二代目がこちら、高島町付近に1915年に開業。しかし関東大震災で駅舎が倒壊、わずか8年しか使われなかったという
それでもマンション建設にあたって地中から駅舎の基礎部分が発見され、こうしてマンション敷地内にわざわざ保存されているのだから、すばらしきこと

立派な駅舎やったんやな。辰野金吾設計の東京駅の駅舎に似た雰囲気

かなりクセありの構造をした高島歩道橋、と柱に囚われた人形たち

歩道橋自体が複雑な形のうえ、頭上には首都高が走っており、テンション上がっちゃう立体交差

で、ついに辿り着いたKT Zepp Yokohama!初めて来ました、初代ステハマの単独公演もここだったと思うけど、その時は大阪公演しか行かなかったので

寒風吹きすさぶ中、グッズ列に1時間ほど並んでようやくゲット

ミニブロマイドが神ビジュ。ありがとうございますありがとうございます

買うか悩んでたミニアクリルスタンド、現物見たら可愛すぎて買ってしまった。見て、このサイズ感。かわゆい

というわけで参加したジャムツアー横浜初日!もうめっちゃくちゃ楽しくてめっちゃくちゃ大満喫!現地および配信の感想はコチラ。明日も来るぞ!

興奮さめやらぬまま桜木町あたりのバーへ。本当はジャズバーかミュージックバーに行こうと思ってたけど、浴びたばかりのジャムツアーの音を忘れたくなくて、静かなバーに入ることに。まずは神奈川のクラフトビール

そしてこれが非常に美味しかったクラフトジン

なんと横浜の日ノ出町で造られています。日ノ出町といえば、ストリップ劇場や成人指定映画館があったり、日曜にはあちこちの店から競馬中継が聞こえてきたり、なかなかのアングラスポットというイメージ。日ノ出町に実店舗があるようなので、行ってみなければ

明日もライブなので、深酒しないうちにホテルに帰還、するついでに夜の街散策もちゃっかりこなしてきました

次の日。朝っぱらからラブホの電光掲示板を眺めながらのホテル朝食

今回はド平日遠征だったため合間で仕事してたんですが、仕事前に朝散歩。大岡川にかかる橋、こちらも昭和ひとケタ台の竣工。川向こうには朝ラッシュの京急線

京急線沿いを黄金町に向かって北上していきます。このへんはかつて、「ちょんの間」と呼ばれた私娼街。20年ほど前に警察の浄化作戦によって一掃され、アートプロジェクトが進められていますが、現在も売春宿だった頃の景色が残っています
この右側の建物のように、全面窓になってるところに女性が立って、客を呼び込んでいたとのこと


いい雰囲気の旅荘。旅荘なんて言葉もあんまり聞かなくて情緒がある

この窓の内側で、夜な夜なピンクのライトが焚かれ、露出の高い薄着の女性たちが立ちこちらを見ていたんやろなと想像するとゾワリとくる

街並みを楽しみながら歩いていると結局、黄金町駅まで来てしまった。年季の入ったイイ感じの駅名標を拝めたところで、ホテルへ引き返します

帰りがけに通った、老舗のミニシアター。もとは1952年に「横浜名画座」として開館。第二次世界大戦後、アメリカ軍の飛行場として使用されていた場所に建設されて、隣りには「横浜日劇」という映画館もあったんですが、「横浜日劇」の方は閉館&取り壊しに
「横浜日劇」は私が大好きな「私立探偵 濱マイク」シリーズの舞台になった場所で、そうと知らず何年か前に姉とこのあたりを観光してた時に「めっちゃ濱マイクの舞台っぽい」と言ってたら本当にそうだったという、思い出の地。「横浜日劇」の建物もこの目で見たかったな

で、せっかく平日に横浜にいるので、前から行きたかった氷川丸の船内見学へ。こないだ東京にある戦傷病者史料館に行った時、氷川丸の展示もあって、余計に見学に行きたいとなったので

この日はめちゃくちゃ天気がよくて、氷川丸が係留されている山下公園から、みなとみらいの景色がくっきり。しかも大さん橋にでっかい船停泊してると思ったら、まさかの飛鳥Ⅲ!うわー!この夏に就航スタートしたばかりの新造船です
横浜や舞鶴で何度か飛鳥IIは見たけど、Ⅲは初めて見た、嬉しい。いつか必ず飛鳥に乗船したいなと思ってメンバーズクラブにだけは入会してます

ベイブリッジもきれいに見える、良い天気。まさに乗船日和

氷川丸の内部は、当時のまま残されている船室もあれば、資料館になっているエリアも。これは横浜船渠、現在のドックヤードガーデンで建造中の姿。すごい、こんなふうに組み立ていくんやな。建造中も壮観やろな

横浜船渠で造られたという証。1930年竣工なので、もうすぐ100歳

これが戦傷病者史料館でも見た、海軍に接収され病院船として運用されていた頃の氷川丸。赤十字を背負って、数度の触雷を経験しながらも戦後まで兵士や引揚者たちを運んだんやから、本当にすごい

船内は当時の雰囲気のまま

舷窓から眺める、現代のみなとみらい。この窓から多くの戦地を見つめたはず

食事などがおこなわれた豪華な船室。こういう部屋にも戦争で負傷したり戦地で病気になったりした方々が寝かされていたのかなとか考えてしまう

もともとは戦前、アメリカやカナダへの就航のため造られた貨客船で、戦後には再び貨客船として復帰したため、内装は大変豪華

こちらは一等読書室。家具は新しくなってるけど、柱や天井は竣工当時のものらしい

こういう扉周りやレリーフも当時のまま

一等社交室。女性の社交場としての性格が強かったため、優雅な装飾なんだとか。船内とは思えない巨大な鏡が大迫力

飾り格子も美しい

乗客への特別な案内は乗組員の手書き。うちの祖母もそうやったけど、昔の人って本当に字がきれい

戦前、氷川丸はアメリカ・シアトルまで航行し、その先は鉄道でアメリカ大陸を横断するプランがあったようで、こんなパンフレットも。広告の仕事をしていると、こういう広告物に興味が向いてしまう

一等喫煙室。ここは煙草を吸いながらグラスをかたむけ、カードゲームなどに興じる男性の社交場だったそう

アンティークなストーブも

一等客室。調度品はもちろん、ステンドグラスも凝ってる

こちらも一等客室の一部。皇族の方やチャールズ・チャップリンも乗船したそう。チャップリンの好物が日本の天ぷらと知った氷川丸の船長が、船のコックにわざわざ日本料理店で修行させたという逸話も

甲板から眺めるみなとみらい。100年前、氷川丸がこの地で誕生した頃とは、まったく違った景色が広がる横浜。戦争で焼け野原になっても、また立ち上がって港街を再建させた人々のたくましさが感じられる
そういう意味では、船としての役目を終えても横浜に帰ってきて、生まれ故郷の変わりゆく姿を眺めていられる氷川丸は、幸せな船なのかも。帰ってこれなかった人たちは数え切れないほどいるから

景色が良すぎたのでステハマ御三方にも見せてあげました。ほーらごらん、飛鳥Ⅲだよ〜

鐘にも1930の刻印が。これはタイムベル、いわゆる時鐘で、この鐘の音を合図に乗組員たちは当直交代などをおこなっていたとのこと

操舵室からの眺め。戦時中はこの操舵室から、戦艦や戦闘機の群れを見てたんやろな

昔からあるっぽい看板。神戸の松尾稲荷神社でもそうやったけど、昔の人が書いたままの貼り紙や看板ってテンション上がる。かつてここにいた人たちの息吹を感じられるから

甲板。この船に乗って戦地から帰ってきた人たち、終戦後に引き揚げてきた人たちは、甲板で祖国の島影を見つけた時どれほどの喜びだっただろうと考える。私の祖母も朝鮮から引き揚げて来た人で、帰ってくるまでの大変だった話を聞いているので

機関室。現役時代のままのエンジン

三等客室。以前に函館から仙台まで乗車した寝台列車・北斗星を思い出す

氷川丸の全航路。紫が戦時中の航路。激戦地だったラバウルやトラック諸島、マニラにも寄港していて、いくら赤十字を掲げている病院船だからとはいえ、敵軍の砲弾飛び交う中でこれだけの航路をカバーしたのは本当にすごい。よう働いたんやなぁ、氷川丸、すごいなぁ

病院船時代、日本へ帰還する傷病兵たちの様子。大叔父を戦艦大和とともに失っている身としては、帰れただけよかったなぁと思うけど、帰ったあとも死ぬまで地獄が続いた人もいることは戦傷病者史料館で学んだので、なんとも言えない

ありがとう、氷川丸。歴史を学んだ今、これまで以上にたくましい姿に見える

そしてもうひとつ来たかった場所がこちら。日の照り方もあいまって、街並みがすでにヨーロピアンな良い雰囲気

氷川丸が誕生する1年前、1929年竣工の、旧・横浜商工奨励館。すでにこの建物自体がめちゃくちゃかっこいいわけですが

内部もこのとおり、凝った装飾ながら落ち着いた品のある雰囲気


天井もこの通りの美しさ

そんな建物の2階にあるのがこちら、「カフェドゥラプレス」

店内装飾は竣工当時ほぼそのまま、調度品はフランスで買い付けたものとのこと

窓辺からの眺めも抜群。まちがいない、銃兎は絶対このお店好きなはず。たまに一人でコーヒー飲みに来てる

季節のパフェでモンブランがあったので注文しました、めちゃくちゃ幸せな味でした…ジャムツアーも楽しみ横浜も楽しみ、こんなに楽しんでしまっていいのか…

良い建物で良いものを食べさせていただきました

そして夜の横浜をチャリで爆走し、再びZeppを目指します。爆走中でもやはり素通りはできない野毛の飲み屋街。ARBで左馬刻と銃兎が、ここを歩きながら缶ビール飲んでいたので、勝手に聖地化

というわけでジャムツ2日目!ライブほんとめちゃくちゃ楽しくて、大阪公演もめちゃくちゃ楽しみ!

アフターは近くの中華屋で飲み!円卓に通してもらってテンション上がりました

夜10時を過ぎてるのに中華を爆食いしながらステ話やら何やらできて、楽しかった〜ご一緒してくださった皆さまありがとうございました!

中華屋でバイバイしたあと、まだ飲み足らんとなって辺りを徘徊。Zeppはすでに照明も落としてお休みモード

ホテルのバーならこの時間も空いてるのでは?(名案)となってホテルに突撃

当たり前に夜景がめっちゃきれいで店内の雰囲気も素晴らしくて、こんなところでハマ3人飲んでたら絵になりすぎるなと妄想がはかどりました

めちゃくちゃ素敵。ただしバータイムがちょうど終わってしまっていて飲むことはできず、無念。ホテルのバーでの飲み、リベンジしたい

深夜0時前後のZeppはなぜか煌々と光がついており、撤収後の様子を見ることができました。数時間前までここにヒプステのオタクたちが集まっていたとは思えない

せっかくなので深夜1時の伊勢佐木町に来てみたが、キャッチとか全然おらず静かでした。もうひとつ向こうの通りの方が賑やかだったかも

相変わらず夜のネオンは元気で安心した。久々に横浜を満喫しました。明日は熱海!


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