おはようございます。大阪は秋晴れですが東京は雨予報の週末、ブロマイドをたずさえステ感謝祭に参戦
まずは宿泊地の浅草橋駅へ。駅は1932(昭和7)年開業、こちらの駅舎はおそらく1963(昭和38)年に建て替えられたもので、渡り廊下と高架下の飲み屋街の雰囲気が下町情緒あふれてて最高です
浅草橋駅を宿泊地に選んだのは、シンプルにステ感謝祭がおこなわれる水道橋駅へのアクセスが良い&都内にしては安価だったからですが、調べたら浅草橋駅周辺の台東区柳橋は、隅田川沿いの風光明媚な土地で、江戸時代から花街として栄えていたとのこと
一時期は芸妓300名以上で賑わったが、隅田川の護岸改修で景色が遮断されたことが打撃となり、1999年に最後の料亭が廃業、200年近い花街の歴史は終焉を迎え、今はビルやマンションが立ち並ぶ中に、当時の面影を残す建物がひっそりと佇むのみ
しかし大森海岸の色街や吉原遊廓もそうでしたが私の場合、現代的な風景に埋没していく古い建物を、自分の足で探して見つけだすのが大変楽しく、自分だけが知ってる宝物のような特別感があります
宿泊するホテル目の前にあった篠塚稲荷神社。小ぢんまりしてますが、街中で独特の存在感を放ってます
玉垣にはかつての料亭の名が。景色からは失われても、こうして街の記憶として神社に残されているのは大森海岸と同じ
神社の由緒を読んでると三井寺の記述があり、おっ滋賀のお寺や、琵琶湖疏水に沿って滋賀から京都まで歩いたときに通ったぞとテンション上がりました。こういう意外な繋がりを知ると嬉しくなる
さて、橋梁観察に戻ります。柳橋は江戸・明治期を通して何度か架け替えられており、現在の鋼鉄橋は、関東大震災の復興事業として昭和4(1929)年竣工のもの
耐震性をそなえた力強いフォルム。ドイツ・ライン河の橋のデザインを取り入れてるらしい
柳橋の案内板にも、「柳橋は花柳界として名を知られ、多くの文人・墨客が題材に取り上げている」の記載。橋のすぐそばにある亀清楼は、伊藤博文のご贔屓だったらしいが、現在は休業中
このリベットの多さがかなり特徴的。ここまでボツボツいっぱいなのは初めて見た
洋風の街燈もあり、オシャレ。これがもうすぐ100年経つ橋なんやからすごい
隅田川との合流地点。ちょうど屋形船が通っていきました。大阪もやけど、東京もほんまに橋が多い。いかに川や堀が、大都市を支える輸送路だったかが感じられる
こういう水辺に張り出した建物、たまりません
こちらの船宿は休業中?ぽかったが、反対側にも同じ名前の佃煮屋さんがあり、系列店の模様
佃煮屋さんのほうでパンフレットをいただいたら、やっぱり「船宿だった小松屋が佃煮の卸しを始めた店」ということでした。創業当時の写真も、下の昭和36年の柳橋の写真も良い。この頃はまだ花街として賑わってたんやろな
雨のそぼ降る中、花街の痕跡を探しに街歩き
創業が文化5年=1808年なので、200年以上の歴史ある寿司屋さん
ここも何かのお店やったんかなという感じ
ベランダに祠発見!屋上や庭にあるのはたまに見るが、ベランダ祠は初めて見たかも
ここもだいぶ大きな建物で、料亭かなにかっぽい雰囲気
総武線の高架下にたどりつくと、ちょうど電車が通過
イカしたマンション名とフォントと建物のデザイン
空き家っぽいですが、きれいに保たれており、緑青の銅板屋根が美しい
歩いていると、もうひとつの稲荷神社を発見。こちらにははっきり「柳橋藝妓組合」の文字が!
玉垣に料亭もズラリ。亀清(のちの亀清楼)の名も
「昭和二十四年 再建発起人」という玉垣も。こうした名もなき人々の尽力で、街の歴史は確かに受け継がれてる。時代とともに変化する景色の中で、こんなふうに誰かの努力によって残されてるものってとても魅力的
総武線隅田川橋梁の構造物が、かなり古そうなコンクリートだったので気になりました。橋梁は1932(昭和7)年竣工とのことで、おそらくその当時のものっぽい
宿泊するホテル目の前にあった篠塚稲荷神社。小ぢんまりしてますが、街中で独特の存在感を放ってます
玉垣にはかつての料亭の名が。景色からは失われても、こうして街の記憶として神社に残されているのは大森海岸と同じ
神社の由緒を読んでると三井寺の記述があり、おっ滋賀のお寺や、琵琶湖疏水に沿って滋賀から京都まで歩いたときに通ったぞとテンション上がりました。こういう意外な繋がりを知ると嬉しくなる
篠塚稲荷という名前の由来になった篠塚重広という南北朝時代の武将が、三井寺攻略の際に、「卒塔婆を持ち上げ、それを堀に渡して橋とすることで寺に攻め込んだ」という伝説があるらしい。卒塔婆ごときで、甲冑を着込んだ人たちの重量に耐えられたんかいなというツッコミはさておき、昔の人ってほんまファンキー
川岸にくると船がたくさん!こちらは隅田川に合流する手前の神田川で、今も多くの屋形船が運行している様子
かなり古そうな船も。近代的なビルとのミスマッチが、積み重ねられてきた街の歴史の層を感じさせる
このあたりは池波正太郎の作品の舞台としてよく登場していたようで、「剣客商売」は私も見てたんですが、たしかに柳が揺れる川岸みたいなとこをよく歩いてたなという記憶
池波正太郎といえば、なんかの歴史小説の立ちションシーンで、「戸外での用足しは男にとって快適きわまるものであるので」と書いてて、そうなんや…と思ったのと、池波正太郎の母親が近藤勇や土方歳三を直接見たことのある方で、近藤勇のことを「木材からかんなで削り出したみたいな角ばった顔」みたいに形容してて、例え上手すぎると思った記憶
川岸にくると船がたくさん!こちらは隅田川に合流する手前の神田川で、今も多くの屋形船が運行している様子
船宿。こういう川岸にある系建築物も好き
かなり古そうな船も。近代的なビルとのミスマッチが、積み重ねられてきた街の歴史の層を感じさせる
このあたりは池波正太郎の作品の舞台としてよく登場していたようで、「剣客商売」は私も見てたんですが、たしかに柳が揺れる川岸みたいなとこをよく歩いてたなという記憶
池波正太郎といえば、なんかの歴史小説の立ちションシーンで、「戸外での用足しは男にとって快適きわまるものであるので」と書いてて、そうなんや…と思ったのと、池波正太郎の母親が近藤勇や土方歳三を直接見たことのある方で、近藤勇のことを「木材からかんなで削り出したみたいな角ばった顔」みたいに形容してて、例え上手すぎると思った記憶
ド直球の江戸下町情緒を浴びれて嬉しかった
さて、橋梁観察に戻ります。柳橋は江戸・明治期を通して何度か架け替えられており、現在の鋼鉄橋は、関東大震災の復興事業として昭和4(1929)年竣工のもの
耐震性をそなえた力強いフォルム。ドイツ・ライン河の橋のデザインを取り入れてるらしい
柳橋の案内板にも、「柳橋は花柳界として名を知られ、多くの文人・墨客が題材に取り上げている」の記載。橋のすぐそばにある亀清楼は、伊藤博文のご贔屓だったらしいが、現在は休業中
このリベットの多さがかなり特徴的。ここまでボツボツいっぱいなのは初めて見た
洋風の街燈もあり、オシャレ。これがもうすぐ100年経つ橋なんやからすごい
隅田川との合流地点。ちょうど屋形船が通っていきました。大阪もやけど、東京もほんまに橋が多い。いかに川や堀が、大都市を支える輸送路だったかが感じられる
こういう水辺に張り出した建物、たまりません
こちらの船宿は休業中?ぽかったが、反対側にも同じ名前の佃煮屋さんがあり、系列店の模様
佃煮屋さんのほうでパンフレットをいただいたら、やっぱり「船宿だった小松屋が佃煮の卸しを始めた店」ということでした。創業当時の写真も、下の昭和36年の柳橋の写真も良い。この頃はまだ花街として賑わってたんやろな
雨のそぼ降る中、花街の痕跡を探しに街歩き
ここも何かのお店やったんかなという感じ
ベランダに祠発見!屋上や庭にあるのはたまに見るが、ベランダ祠は初めて見たかも
ここもだいぶ大きな建物で、料亭かなにかっぽい雰囲気
総武線の高架下にたどりつくと、ちょうど電車が通過
イカしたマンション名とフォントと建物のデザイン
空き家っぽいですが、きれいに保たれており、緑青の銅板屋根が美しい
歩いていると、もうひとつの稲荷神社を発見。こちらにははっきり「柳橋藝妓組合」の文字が!
玉垣に料亭もズラリ。亀清(のちの亀清楼)の名も
「昭和二十四年 再建発起人」という玉垣も。こうした名もなき人々の尽力で、街の歴史は確かに受け継がれてる。時代とともに変化する景色の中で、こんなふうに誰かの努力によって残されてるものってとても魅力的
総武線隅田川橋梁の構造物が、かなり古そうなコンクリートだったので気になりました。橋梁は1932(昭和7)年竣工とのことで、おそらくその当時のものっぽい
第二次世界大戦時の台東区周辺の空襲被害について、「昭和20(1945)年3月10日未明、現在の台東・墨田・江東区のいわゆる下町地区は、米軍の爆撃機B29による空襲を受け、死者およそ10万人、負傷者4万人、罹災者100万人という未曾有の大被害を被った。」とのことなので、こうした橋梁や高架線の下に多くの人が逃げ込んだやろなと想像する
ここもおそらくなんらかの店舗だった様子。二階三階が道路に対して斜めってるの素晴らしい
工事中の空き地のとなりに、目を見張る良物件が!段々に重なった屋根、かっこいい
奥の方にも、かなり古そうな塀や壁が見えます。あ〜〜近づいてよく見たい!
横手の玄関?の雰囲気を見るに、下宿屋とかやったんかな?
ここもおそらくなんらかの店舗だった様子。二階三階が道路に対して斜めってるの素晴らしい
工事中の空き地のとなりに、目を見張る良物件が!段々に重なった屋根、かっこいい
奥の方にも、かなり古そうな塀や壁が見えます。あ〜〜近づいてよく見たい!
横手の玄関?の雰囲気を見るに、下宿屋とかやったんかな?
ちょっと前に「となりの建物が取り壊されたおかげで、今だけ重要文化財『本願寺伝道院』の南面が見える(X)」と建築界で話題になってましたが、こういう「今だから見れる景色」というのも建築のおもしろさ。工事中のラッピングとかもそう
歩き回って浅草橋駅に戻ってきました。夕方に向けて店に火が灯り、雨の薄暗さもあって良い雰囲気
ステ感謝祭ソワレ前に腹ごしらえ、ということでせっかくなので江戸前寿司をいただきました
ここがめっちゃくちゃ美味しかった!まずは入荷したてという白子の軍艦
炙りも。握り立てを目の前で出してくれるので、美味しさマシマシ。東京に数店舗あるみたいなので、また絶対に食べに行きたい。思わず握ってくれた職人さんに「おいしいです〜」って言ってもた
興奮はさておき、ステグッズは売り切れてるのも多くて、とりあえずミニメモはゲット。ハマが写った紙幣とか最高すぎかな。ヨコハマでだけ使える通貨?
カナデビアホールは3階席まであって、私のような方向音痴にとっては内部がかなり迷路なんですが、たまたま通りがかったところに過去ポスターが並べて貼ってあり、嬉しい!
中でもとくに思い入れがあるのはやっぱりハマサカステ…ポスター群の中でもひときわ暗く陰惨な雰囲気があり、大変良い…このキービ好きすぎてポスター飾りたいから売ってほしい…
ソワレで神尾さんとステハマ3人のワチャワチャを見た後、近くの中華料理屋さんへ
餃子専門店だったので餃子全種類いったりました。夜22時すぎにビールと餃子、背徳の味。めっちゃ美味しかった
帰りの水道橋駅で電車を待つ間、駅の案内板を発見。1906(明治39)年開業の古株駅。駅の柱は、ドイツから輸入された古いレールを使ってるらしい
このホーム上のアーチも古いレールで造られてるようで、すごい。鉄オタ心をくすぐるやつ
次の日、お昼前に水道橋駅に到着。橋の上から見る駅舎、かっこよくて好き
駅前の橋桁だらけの景色も、無骨な雰囲気で良い。奥に見える螺旋階段もポイント高い。歩道橋にあがる階段が螺旋なのってめずらしいなと思い
本日はステ感謝祭マチネ前に寄りたい場所があり、歩いて九段下方面を目指します
歩き出してすぐ目に入った、都会のオアシス的神社。江戸幕府の三代目将軍・徳川家光が崇敬し、登城する大名は必ず参拝して心身を清めたことから「清めの稲荷」とも称されている、とのこと。ここが言わば、江戸城に登城する玄関口だったってことか
首都高速の下、日本橋川と橋のある風景。大阪の東横堀川的な雰囲気で、橋も水辺も高速道路も好きな私にはご褒美
そして来たかったのがこちら。戦時中から戦後に及ぶまで、傷や病いを負った方々とそのご家族の体験を伝える史料館
腕や足の切断、失明、脊髄損傷など、死にかけるような体験をしたうえかろうじて生き延びたものの、戦後にもどれだけの身体的、精神的、経済的な労苦を味わったか。摘出できなかった銃弾と生涯をともにし、ご本人の希望で死後火葬の後にようやく取り出された銃弾。戦場で病いと飢えに苦しみ、あるいは精神疾患をかかえ、戦争が終わっても、死ぬまで「終わらない戦い」を強いられた人々。ご本人たちだけじゃなく、彼らを支える周囲の人たちもいかに苦しんだかと想像するだけでつらくなる
あと現在は横浜の山下公園に係留されている氷川丸についての展示もあって、貨客船として建造された氷川丸は海軍に徴用され病院船となり、戦時下で遠くシンガポールやニューギニアまで28回も出動して、3万名以上の傷病兵を運び、戦後は復員兵や引き揚げ者たちの輸送もおこなったとのことで、赤十字を掲げていたから攻撃対象になりづらかったとはいえ、危険な航路を何度も往来していた事実にめちゃくちゃ感動した
史料館には小規模ながら充実した図書室もあって、近場なら何度も通いたいぐらい。そのなかに日本の海軍史をまとめた分厚い本があり、私の大叔父が戦艦大和に乗艦してそのまま帰らぬ人となった「大和の水上特攻」の記述を見つけたりしました。大叔父を含め3000人近くを道連れにした海戦だったのに、特別な呼称はなし
歩き回って浅草橋駅に戻ってきました。夕方に向けて店に火が灯り、雨の薄暗さもあって良い雰囲気
ステ感謝祭ソワレ前に腹ごしらえ、ということでせっかくなので江戸前寿司をいただきました
ここがめっちゃくちゃ美味しかった!まずは入荷したてという白子の軍艦
炙りも。握り立てを目の前で出してくれるので、美味しさマシマシ。東京に数店舗あるみたいなので、また絶対に食べに行きたい。思わず握ってくれた職人さんに「おいしいです〜」って言ってもた
水道橋駅に移動しまして、ようやくのカナデビアホール
シブハマステやGCで来たことがありましたが、いつのまにホールの名前変わったんやと思っで調べてみたら、ネーミングの権利を買った「カナデビア」という会社、大阪の南港に本社をかまえる元・日立造船!明治時代に大阪鐵工所として始まり、日本初の商船やタンカーを建造するなど、日本の近代造船業に欠かせない存在です。それがまさか東京でホールの名前になってたとは!謎の興奮が隠せないオタク
シブハマステやGCで来たことがありましたが、いつのまにホールの名前変わったんやと思っで調べてみたら、ネーミングの権利を買った「カナデビア」という会社、大阪の南港に本社をかまえる元・日立造船!明治時代に大阪鐵工所として始まり、日本初の商船やタンカーを建造するなど、日本の近代造船業に欠かせない存在です。それがまさか東京でホールの名前になってたとは!謎の興奮が隠せないオタク
興奮はさておき、ステグッズは売り切れてるのも多くて、とりあえずミニメモはゲット。ハマが写った紙幣とか最高すぎかな。ヨコハマでだけ使える通貨?
カナデビアホールは3階席まであって、私のような方向音痴にとっては内部がかなり迷路なんですが、たまたま通りがかったところに過去ポスターが並べて貼ってあり、嬉しい!
中でもとくに思い入れがあるのはやっぱりハマサカステ…ポスター群の中でもひときわ暗く陰惨な雰囲気があり、大変良い…このキービ好きすぎてポスター飾りたいから売ってほしい…
ソワレで神尾さんとステハマ3人のワチャワチャを見た後、近くの中華料理屋さんへ
餃子専門店だったので餃子全種類いったりました。夜22時すぎにビールと餃子、背徳の味。めっちゃ美味しかった
帰りの水道橋駅で電車を待つ間、駅の案内板を発見。1906(明治39)年開業の古株駅。駅の柱は、ドイツから輸入された古いレールを使ってるらしい
このホーム上のアーチも古いレールで造られてるようで、すごい。鉄オタ心をくすぐるやつ
次の日、お昼前に水道橋駅に到着。橋の上から見る駅舎、かっこよくて好き
駅前の橋桁だらけの景色も、無骨な雰囲気で良い。奥に見える螺旋階段もポイント高い。歩道橋にあがる階段が螺旋なのってめずらしいなと思い
本日はステ感謝祭マチネ前に寄りたい場所があり、歩いて九段下方面を目指します
歩き出してすぐ目に入った、都会のオアシス的神社。江戸幕府の三代目将軍・徳川家光が崇敬し、登城する大名は必ず参拝して心身を清めたことから「清めの稲荷」とも称されている、とのこと。ここが言わば、江戸城に登城する玄関口だったってことか
首都高速の下、日本橋川と橋のある風景。大阪の東横堀川的な雰囲気で、橋も水辺も高速道路も好きな私にはご褒美
そして来たかったのがこちら。戦時中から戦後に及ぶまで、傷や病いを負った方々とそのご家族の体験を伝える史料館
あと現在は横浜の山下公園に係留されている氷川丸についての展示もあって、貨客船として建造された氷川丸は海軍に徴用され病院船となり、戦時下で遠くシンガポールやニューギニアまで28回も出動して、3万名以上の傷病兵を運び、戦後は復員兵や引き揚げ者たちの輸送もおこなったとのことで、赤十字を掲げていたから攻撃対象になりづらかったとはいえ、危険な航路を何度も往来していた事実にめちゃくちゃ感動した
史料館には小規模ながら充実した図書室もあって、近場なら何度も通いたいぐらい。そのなかに日本の海軍史をまとめた分厚い本があり、私の大叔父が戦艦大和に乗艦してそのまま帰らぬ人となった「大和の水上特攻」の記述を見つけたりしました。大叔父を含め3000人近くを道連れにした海戦だったのに、特別な呼称はなし
これは以前、大叔父の戦歴開示した時に送られてきた、旧海軍から引き継がれた資料。「測的」の記述があるので、大和でも測的手をしてたのかも
大和とともに海に沈んで戦死したので、もちろん遺骨は帰ってこないまま
祖父と大叔父。今年に祖母が亡くなり、もう本当に、若くして戦死した大叔父のことを知る人はいなくなってしまった
お気に入りの写真。七人の男兄弟の中で、祖父と大叔父は2つ違いで仲良しだったらしい。生きてる時におじいちゃんから大叔父の話聞きたかったな
そろそろステ感謝祭の時間が迫ってきてるので、水道橋方面に戻ります。再びの首都高下、日本橋川。やっぱりかっこいい
そんなわけでステ感謝祭2日目!
ぶらぶら歩いてると、見覚えのありすぎる名前の出版社が!!こんなとこにあるのか、あまりにも唐突でびっくりした。大阪にあるモリサワ本社ぐらい唐突。ドリフターズの新刊待ってます
そんなわけでステ感謝祭2日目!
駒田さんとステハマ3人のワチャワチャで笑い、ライブパートでブチ上がり、めちゃくちゃ楽しかったです。ステハマ3人とも、普段は可愛らしいのにキャラになってライブするとめちゃくちゃカッケェんだもんなぁ〜!ずりぃよなぁ〜〜!!大好き!!!
東京駅までの途上、御茶ノ水駅で乗り換えがあり、気になってた高低差のあるホームに降りたてた。ホームの幅がこれぐらいの狭さで、段差があるのってめずらしいなと思って。行き先の線路の高さが違い、また川と崖に挟まれた立地的に建て替えが難しく、こういうことになってるらしい
帰りの新幹線では、いつもの崎陽軒にお世話になりました。この美味い弁当を食べればちょっとでも横浜を感じられてありがたい
東京駅までの途上、御茶ノ水駅で乗り換えがあり、気になってた高低差のあるホームに降りたてた。ホームの幅がこれぐらいの狭さで、段差があるのってめずらしいなと思って。行き先の線路の高さが違い、また川と崖に挟まれた立地的に建て替えが難しく、こういうことになってるらしい
帰りの新幹線では、いつもの崎陽軒にお世話になりました。この美味い弁当を食べればちょっとでも横浜を感じられてありがたい
おしまい




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