ステGCを観劇し、万世橋駅跡や吉原遊郭を歩く

2024年10月5日土曜日

オタ活

t f B! P L


おはようございます。本日、ヒプステGrateful Cypherを観劇するため、早朝から東京駅日本橋口にあるサピアタワー内のスタバに来ております。ここなんと、目の前を電車がびゅんびゅん通っていく特等席。東京駅に入線する在来線も新幹線も見放題

関西では見られん電車ばかりで嬉しい。当たり前ですが。他にもおそらく電車好きなんやろなって感じの小さい男の子連れのお母さんとかいらっしゃって、電車好きにはたまらないスポット。特急と山手線と貨物が3つ並ぶ瞬間とかもあって、ひとり静かにテンション爆上がり

先にホテルに荷物を置いてから、ステの劇場がある水道橋方面を目指します。その途中で遭遇した震災記念碑。1923(大正12)年に起きた関東大震災でほとんどの建物が倒壊した中、ここに建っていた東京商工学校だけは生き残り、その建物が住民の避難所や仮住まい、通信施設として活躍したそう。建物がなくなった後もこうして記念碑が残されるなんて、よほど地元の方々にとっては感謝の想いがあったんやろな。阪神大震災で被災した時、私の家は倒壊を免れたけど、学校や近くの公園のテニスコートにプレハブが建てられて多くの避難者がいらっしゃったこと、今もよく覚えてる

神田川方面に向けて坂を登っていると、たまたま目に入ったこちらの建物。少し前に休業することをSNSで知って、泊まってみたかったー!と思っていたホテル。ウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計。外観からしてめちゃくちゃかっこいい

門構えもイケてる。案内板が謎の石のオブジェ。サボテンをイメージしてるのかな
竣工から86年が経過しているとのことで、建物を維持していくのは本当に大変やろうけど、なんとか保存する方向で話がまとまってほしい

さらに坂を登った先、またしても雰囲気抜群の建物が

ここはかつて文化学院という名の専修学校だったとのこと。1921(大正10)年創立、日本で初めて男女平等教育を実施し、共学を実現させた場所ということで驚き。今では男女平等教育とか共学なんて当たり前やけど、当時は先進的やったんやろな。第二次世界大戦下ではそういった教育は弾圧を受けたらしいけど、文化学院は自由、知性、芸術の象徴であり学生たちのユートピアだったそう

などと街歩きを楽しみながら、ようやく水道橋に到着。その前にガードパイプにご注目。イチョウの形!ガードパイプはマンホールとかと同じく地域によって限定デザインがあったりする。イチョウのガードパイプは都道の証

やってきましたTDCホール。初代シブハマステ以来なので、約1年半ぶり。今回は迷わずにこれました、前回はなぜかホールを目の前にして大迷子になってたので…

この日のためにデコったハマのブロマイドとともに!我ながら可愛い出来栄え
ステGCの感想についてはプライベッターで長文語りしてるので、コチラでぜひお読みいただければ。めちゃくちゃ楽しかった、やっぱ生で浴びるヒプステは健康に良い。3面も次回公演もめちゃくちゃ楽しみ!

そして新しいブロマイド買うついでにノリで買ったクリアカードで、まさかの推したちを!自引き!!!ひゃほーーーーい!!交換でゲットできたりもするけど、やっぱ自分で引けると嬉しいものです。理鶯が来なかったのだけが残念無念…

おうち帰ったあとウッキウキでデコりました。デコる楽しさもステのおかげで知ったので感謝

ステのマチソワ間にも、ちょっと付近を散策しておりました。こちらはトーキョーアーツアンドスペースという、アートセンター&ギャラリー。建物は1928(昭和3)年築、職業紹介所として使用され、東京大空襲によって2階3階が焼失するも、改修を経て現在も戦前の様子をとどめているとのこと

無骨なデザインの中にもステンドグラスの窓があったりしてオッシャーレ

散策とエネルギー補給ののち、ステGCソワレも堪能。実に楽しかった。今回は大阪公演がなかったので東京まで来たのですが、来た甲斐ありまくりました。ありがとうGC、ありがとうTDCホール

翌日。吉原遊廓に行くため、まずは秋葉原方面へ向かいます。大都会の中にこうやってぽつんとある神域が大好物。なんというかカネになるはずの土地が、神様の居場所として残されてる感というか

こいつぁ見事な看板建築。看板建築は関東大震災で多くの建物が倒壊したのち、復興時にいろんな商店で流行った建築様式。建物正面に銅板やモルタルで華やかな装飾を施しているのが特徴。流行地が都内だったため、関西ではあまり見られず貴重です

そして秋葉原の手前、Googleマップで見て気になっていたのがこちら、万世橋駅跡。かつて中央線の神田〜御茶ノ水間にあった旧駅、万世橋駅は明治45(1912)年開業。赤レンガ橋の上は、今も中央線がビュンビュン走ってます。高架下にはさまざまなお店が入ってますが、まだ営業していなかったので、開店時間がくるまで周辺探索へ

足元には、かつての万世橋赤レンガ橋桁の一部が見える。こういう形で残してくれるの、大変ありがたい

改修された現代的な橋と、旧来の橋がこうやって共存している図がとても好き

反対側。かつての面影が感じられる

現在の万世橋から見た景色。ここにも電車好きっぽい親子連れがいらっしゃって、若いお父さんがあっちこっちに走る電車を指差して、中央線だね〜あっち総武線〜ほら京浜東北線が来た〜とかお子さんに話してて、良い光景、そして良い鉄オタ育成所と思うなどしてました

それにしてもこの地点はあっちこっちいろんな角度で電車が走っていくので、本当に見てて飽きない。街中にこんなズドーンと高架橋の鉄路があるの、なかなか見ないしすごい迫力。大阪市街も南港の方とか行けば高架鉄路が走ってるけど、あまり歩行者がたくさん行き交うような場所ではないので

総武線が秋葉原駅に向かって走行するの図。やっぱりこれだけの街中の高架橋を列車が走っていく姿ってのは最高に昂るものがあります。かっこいい

昌平橋まで来ました。江戸時代初期に架けられた歴史ある橋で、現在は昭和3(1928)年に架け替えられたもの。おおよそ100年前!すごい

何がと言われたら困るけど好きな空間。コンクリート、自然の緑、水、という要素が組み合わさってるのが好きなんです多分

このへんは有楽町駅の高架下と同じ雰囲気。東京は本当に数えきれないほど来てるけど、それでもまだまだ訪れるのが楽しい

昌平橋側の高架下はより年季が入ってる感じ。大変良いですねぇ

たぶん「昌平橋 架道橋」と書かれている。何十年前の人が書いたんやろ。その人はいつどこで生まれ育ちどんな風に生きて死んでいったのか…

水位がわかるメモリ発見。昌平橋は洪水で流されたこともあったようなので、その名残かも

そしてまたもや迫り来る総武線。うわー!ここの三角地帯が一番好き!となった場所。左手に赤レンガ高架橋、右手側の古めかしいビル群、「明日もお元気で!」の文字、その合間を走る電車。川の両岸にまたがってグッと支えてる感じの橋脚も良い。たまらない景色。一日中ここでボーッと眺めていたい

万世橋まで戻ってきました。景気良く中央線が走っております。本当に電車が絶え間ない

高架下が開店したので、ようやく内部に潜入です。こちらはなんと1912(明治45)年駅開業時に造られた階段!安全性を加味して修復がおこなわれていますが、ほぼ当時のままというからすごい
開業時の初代駅舎は東京駅と同じく辰野金吾の設計、関東大震災で焼失してしまっていますが、こちらの階段は辰野金吾が設計した駅舎と同じ時代を生きてきたことになります

この角のアールとかタイルとか天井の高さとか手すりとか、すべてにドキドキがノンストップ

階段もすごい、いったいどれだけの人が踏み締め行き来したのか

まるで神殿です。うわ〜〜すごい

そして左右には現役の中央線がビュンビュン走っていくから、本当におもしろい光景

高架下にはアート展示やショップになっている空間も。一帯は「マーチエキュート神田万世橋」というアート・ショッピング・レストランの複合施設で、2013年に開業したそうなので、まだ10年というところ。こういう形で昔の駅舎や橋を保存しつつ、現在の住民にも楽しんでもらいつつ、未来に残していくというのはとても良い試み。地方では過疎化や維持費・諸経費の問題で再開発自体がなかなか難しいし、都市部ならではの遺構保存の仕方というか

高架下っていうのを活かした設計でかっこいい



こちらは1935(昭和10)年に新たに設置された階段。さっきの1912階段もやけど、この壁や床は東京大空襲の匂いや衝撃を知っているんやなぁ

この雰囲気。神奈川県鶴見線の国道駅を思い出します。たまらんな

階段を登った先には、中央線を眺められるデッキとカフェが併設されています。開店時からたくさんのお客さんで賑わってました

まるで万世橋のホームに中央線が入線してきたような光景。視覚的タイムスリップ


当時の駅貼りポスターの一部が展示してありました。万世橋駅が休止になる直前に貼られたとみられる手書きのポスター。私自身、仕事で交通広告も制作するので、当時の手書きポスターがこんな風に時代を越えて残されてるのは、すごいなぁうらやましいことやなぁと

万世橋付近を楽しみすぎました。吉原遊廓へと向かいます。秋葉原駅から東京メトロ日比谷線に乗って三ノ輪駅へ。駅前にさっそく良き歩道橋を発見。かなり大きな道路が3方向から合流してくる地点にあるので、歩道橋の形も複雑です

三ノ輪から浅草方面に南下した場所にあるこちら、新吉原弁天池跡。江戸幕府公認だった吉原遊廓は元々は日本橋人形町付近にあって、1657年明暦の大火後に現在の場所に移され「新吉原」と呼ばれたそうで、こちらの境内はまさに新吉原遊廓=今で言う吉原遊廓の玄関口にあたる場所

関東大震災によってあちこちで火災が発生し、逃げてきた吉原遊廓の女たちがここにあった弁天池に殺到、600人近くが折り重なるようにして亡くなったという、あまりにも痛ましい歴史が刻まれた場所

当時は大きかった弁天池も、今は細々と残されるばかり
この弁天池の向かいには「カストリ書房」という遊廓関連書籍を集めた本屋さんがあって、お邪魔してきました。店のオーナーさんは吉原遊廓のガイドもしていらっしゃるらしく、時間あればお話伺いたかったけど、ちょうど絵画の個展もやってらっしゃって来客が多かったので、またの機会に

さらに吉原遊廓の区画へと近づくと、今度は吉原神社が。かつて遊郭にあった五つの稲荷神社が合祀されているそう。遊郭と稲荷神社ってのもなんか関連を感じる、奈良の洞泉寺遊郭にも源九郎稲荷神社があったので

吉原神社の先に、遊廓の大門が建っていた場所があります。吉原への入り口はこの大門ひとつだけで、遊女の逃亡を防ぐために遊廓の周りはお歯黒ドブと呼ばれる堀で囲まれていたそう

ところでほぼ何も調べずに現地に行ったのですが、吉原遊廓跡地であるこのエリア、今もバリバリ現役の風俗街で、真昼間からあちこちのソープランドがギラギラとランプを回して営業しており黒服のおにいさんたちがそこら中に立ってまして、そう気軽に写真を撮れる状態ではなかったです。この緊張感、大阪の現役風俗街である信太山新地に行った時以来
かつ、現役の街ゆえに新陳代謝が激しく、古い建物は取り壊されてしまっていて、京都の橋本遊郭みたいな往時の姿はほとんど残っていません

しかし逆に、現役のドデカ風俗店のある通りを避けて小道に入り込み、ここはかつて妓楼やカフェー建築やったんちゃうかなという建物を自分の足と目で探すのが楽しかったです

ハート型を模しているような壁。よく見ると庇の下の装飾も凝ってます

かつてはこちら側に客を迎える玄関があったんじゃないかと思わせる痕跡が

半壊してしまってるけど、窓外の装飾が素敵


こちらは表から見ると3つの棟がつながってる感じで、奥の方は平屋でもかなり広そうな感じ

実は少し前にマシュマロであたたかいメッセージをいただき、私が好きで勝手にやってる遊廓歩きですが、それを楽しんでくださってる方がいらっしゃるんやなぁ〜〜ととても嬉しかったので、これからも続けていきたい所存

三ノ輪駅から再び日比谷線に乗って、上野駅へ。わざわざ上野駅で降り立ったのはJRへの乗り換えもあったけど、もうひとつ。「上野発の夜行列車おりた時から〜♪」で知られる「津軽海峡冬景色」がカラオケでの十八番なんですが、上野駅はかつて東北地方への玄関口であり、数々の特急や夜行列車が発着していた地。私が唯一乗ったことのある夜行寝台列車が「北斗星」で、上野駅〜札幌駅を結んでましたが、私は函館駅→仙台駅移動だったので当時は上野駅に至らず、今回初めて上野駅に来てみました
昔は多くの列車が入線していたことを示す、この広大なホーム!ドイツやニューヨークの駅を思い出す。ホームに銅像があるってのも日本ではめずらしい気がする

昭和33年に上野駅開設75周年記念式があって、そこに参列した彫刻家の先生が、たまたま上野駅とご自身の生まれ年が一緒だと知り、おお、すごい!となってこの彫像を寄贈したとのこと。日本國有鉄道の字が堂々と刻まれています。かっこいい。国鉄の文字を見たの、西宮の甲子園口駅以来

こちらが「北の玄関口」と呼ばれた証のひとつ。岩手県出身の石川啄木が上京後、上野駅にやってきては故郷の方言を話す人たちの訛りを聞いてなつかしむ、というなんとも情緒あるワンシーン。気持ちちょっとわかる、私も青春18きっぷで大阪から広島まで鈍行列車で行った時、見事に車内のお客さんたちの方言がグラデーションをえがいて変わっていくのを体験したので。大阪弁、神戸弁、播州弁、岡山弁って感じで。関西人にしかわからん微妙な違いかもですが

奥の13番線では壁面にかつての寝台列車がデジタル入線。私が乗車した北斗星も出現して大興奮。13番線は今はハイグレード観光列車「四季島」専用ホームになっているそうで。いつか乗ってみたい四季島。シキシマって名前がすでにかっこいい、戦艦の名前と一緒やし

車止めがあるのも、ここがターミナル駅だった証拠

おもしろいのは地上ホームから高架ホームが見えること。私はこういうの初めて見たのでテンション上がりました。すげぇー

この照明もなんとも昭和感あふるる良き風情。でかい体育館とかの照明みたい

上野駅を堪能したのち、帰りの新幹線で優勝させていただきました。楽しい旅でございました

おしまい 

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