滋賀から京都まで「琵琶湖疏水」を歩く、ついでに小さすぎるトンネルも通る

2024年4月27日土曜日

t f B! P L

滋賀県大津から京都府山科まで、明治初期に大工事によって造られた水路「琵琶湖疏水」沿いを約7kmほど歩いてきました
と言ったら飲み友達に「なんで?」って返されて笑ってしまった。え?水路やで?琵琶湖から京都市まで取水するため、人の手によって造られた長大な水路。日本の近代化を象徴する歴史的遺構。土木遺産ながら今なお現役。京都人に対する滋賀人の「うるせぇ琵琶湖の水とめんぞ」でおなじみの。めっちゃ楽しそうじゃない?
と私は思うんですが、興味のあることなんて人それぞれなので、それぞれに楽しめればいいわけです

そんなわけでやってきました京阪三井寺駅
京阪は大阪〜京都間の本線なら何度も乗ったことあるけど、この石山坂本線は初乗車。2両編成で地元密着って感じの路線、大変風情がありました。しかも高架鉄道から始まって気づいたら路面電車になってた。すごい。この写真の、車道から地続きな駅舎も、大阪を走る京阪電車の駅では見ない光景なのでちょっとテンション上がりました

こちらが本日の出発地、大津港。入江になっているのでわかりにくいですが、目の前に広がる海みたいなのが琵琶湖です。でかい

琵琶湖疏水散歩の0km地点を示す標識がありました。こういうのあると、よっしゃ旅の始まりだぜ!って感じがします

再び駅の方へ戻りながら疏水散歩スタート。まず最初に見えてくるのが第一疏水取水口

水路なので当たり前ですが橋が多い。橋周辺のデザインも注目です

欄干のデザインが「宝石の国」のフォスフォフィライトみたい。左側が乙女で右側が鬼っぽく見えるけど、どっちの進化も遂げてるフォスはすごいな

建物に緑がかぶっていて、とても良き雰囲気

少し歩いた先には立派な大津閘門。ここから船に乗って水路観光ができるようです。この日もたくさんのお客さんが訪れてました。というかたぶん観光船に乗るのが琵琶湖疏水の一般的な楽しみ方な気がします、歩きだとこの後まったく水路が見えない山越えが始まるので。次は船に乗りたい、桜のシーズンとか多分めちゃくちゃきれい

それはさておき、こういう立派な閘門は興奮せざるをえないっていうか。両脇が煉瓦積みなのもいいですねぇ

琵琶湖疏水はもともと、明治維新をきっかけに首都機能が京都から東京に移ったことで、人口が3分の1も減ってしまった京都のまちの再生をはかるため、計画された水路。国家レベルの大工事だったため、水路の各地にある隧道(トンネル)には伊藤博文や山縣有朋ら、明治政府の重鎮たちによる扁額が飾られてるとのこと。このへんの名前を聞くとどうしてもハイハイ薩長土肥ね〜〜と思ってしまう、旧幕府側好きのさが
とはいえ福島県郡山に行った時、明治維新後に大久保利通が尽力して、武士の救済と地域の近代化のために土地開拓を目指し猪苗代湖から水を引いたって話を聞いたけど、ほんと明治期の人たちは近代化や国と国民を豊かにしようって意識がすごい。大久保利通なんか戊辰戦争時は薩摩藩士で、とくに福島会津の人々からしたら仇敵といえるのに。でかい目標のためにでかい展望と視野を持てる人ってすごいなーって感心する

水路沿いは桜並木と古い家々が連なり、心落ち着く光景

こういう街の雰囲気、とても好き。機械的に区画整理されてなくて、昔からの道なんやろなって感じ

水路は京都に向けて南西に進み、まっすぐ行った先では第一トンネルが待ちかまえています

第一トンネル入り口。桜や紅葉シーズンもそりゃきれいやろうけど、こうやって一面の新緑に囲まれている風景もとても良い


さてここからはトンネルを通っていく水路の姿は見えず、徒歩で山越えとなります
その手前に現れたのが、駅名にもなっている三井寺。全然知らなかったんですが、とても歴史ある立派なお寺のようで、せっかくやしお参りしていこーと思ったんですが、境内地図を見たらめっちゃくちゃ広くて、これは時間がなんぼあっても足らんやつと思い断念

代わりにといってはなんですが、三井寺のおとなり、長等神社へ参拝に。鳥居の扁額もやけど、赤い楼門がめちゃくちゃ立派。緑に映える

本殿をぐるっと囲む出雲神社タイプの拝殿

境内社の稲荷神社もおごそかな雰囲気

そのさらに奥にあった、なんでもない池のような、でもなんとなく惹かれる感じ

境内にはなぜか保育園もありました。なぜ。しかも建物めっちゃ素敵。元は社務所とかでしょうか。唐破風が年季入ってるものな

さて地元の神様への挨拶も済んだところで、本格的な山越えへ

こういう道端にぽつんとある、地元の方に大切にされてるんやろなって感じのお地蔵さんからしか得られない栄養がある

遅ればせながら滋賀のマンホールです。真ん中のデザインがかなりイカしてんなと思ったら大津市の市章っぽい

山中から流れ出て琵琶湖に注ぐ百々川(どどがわ)。こういう生活密着っぽい川好きやな、なんか

ここからはもう緑だけに囲まれた山道。道路は舗装されてますが、えげつない急斜面です

目を楽しませてくれる季節の野花

山中に不意に現れた地蔵堂。ベンチがあるので、小休憩できる場所でもあったのかな

琵琶湖から2kmほど、ようやく下り坂に転じました。というかこの辺りは小関峠、道は小関越というらしく、名前からしてヤベ〜坂道やなって想像できるやつ。越えなあかんわけですからね
そしてここからは車道と別れ、徒歩オンリーの細道へと入っていくのですが

ここ…ほんまに歩いて行って大丈夫なやつ…?地面は舗装されてるものの、行く先に山しか見えんけど……あと電波が圏外………え、大丈夫?

などとヒヨりましたが、実際歩いてみると山々の景色がきれいで癒される。いろんな彩度明度の緑が美しい

藤?かな?山肌にちらほら紫色の花が咲いててきれいでした。山中を歩いてる時も思ったけど、生物とか植物に詳しい人がここ歩いたら楽しいでしょうね。私はなんもわからんので、きれい〜という素人の感想しか出てこない

それにしても、この道を行くのはなかなかの勇気がいる。真っ昼間でこの暗さ。アメリカとかなら絶対拉致られてめちゃくちゃされて死体になって捨てられる(アメリカの犯罪ドキュメンタリー見過ぎ脳)

しばらく歩いて見えてきたこちらも、琵琶湖疏水の遺構。説明によると「第一トンネルを掘るために、山の両側から掘り進むほか、山の上から垂直に坑道を掘り、そこからも両側に掘り進めて工期を早める『竪坑方式』を日本で初めて採用」したとのこと。これはその垂直の坑道である竪坑の入り口跡

工事責任者によると「一番苦しんだのは竪坑だが、同時に工事上で安心を与えてくれたのも竪坑だった」らしい
ちょっと前に母から興奮ぎみに電話かかってきて「『プロジェクトX』の東京スカイツリーの話見た?とび職の人たちがすごいねん!」と言われ、さすが大工の娘、そして私もその血を引いてるなと思い番組見たんですが、やっぱ大工事って安全面との戦いなんやなと。スカイツリーの話でもそうやったけど、工事に関わる職人さんたちの安全を預かる立場の人って、ほんまに毎日気が気じゃないやろな

ちなみに観光船に乗って水路を行くツアーでは、この竪穴の内部も見えるらしいです。うらやましい!やっぱり次は船に乗らないと

峠越えしてるときも倒木をたくさん見たけど、ここらへんもなかなかすごい
「ポツンと一軒家」で、たった一人でなんでこんな山奥に住んでるのかって方々が出てくるけど、人が山に入って木を伐採したり間引いたりしないと、雨で土砂崩れが起きて麓の町に影響が出るからって方もいらっしゃって、私たちの目に触れないところでそういうことをしてくださってる方がいらっしゃるんやなぁとしみじみ感謝しました

ようやく下山!山の中を歩くのも楽しいけど、町中に出てきたときの安心感はすごい

ちがうパターンのマンホール。名所名物詰め合わせバージョン
このデザインを見て、そういえば昔、琵琶湖の花火大会に来たことあると思い出しました。光が湖面に反射してめちゃくちゃきれいなんですよね。ただ人がすごくて、帰りの駅のホームで落ちかけた思い出。でもめちゃくちゃ良い花火でした(フォロー)

水路はさらに町中へと続きます

きれいな水が流れているから、住宅街でも緑が豊か


こういう植物も何かわかれば楽しいやろな。「ゆるふわ生物学」という東大出身者中心の生物・植物・動物に詳しい方々によるYouTubeチャンネルが好きでよく見てるんですが、ああいう方々とお散歩したいってよく思う

水路そばにあったお寺さん。事前予約したら磨崖仏が見れるらしい。見たかったな磨崖仏!

峠越えをして疲れたので、喫茶店で冷コーをいただきました。この店がもう超地元のお店って感じで、常連さんたちと店員さんがすんごい遠慮ない言葉でやりとりしてて、横で聞いてておもしろかった。うちの母もバイト先の喫茶店で、ただのバイトなのになぜかママや常連さんから「ボス」って呼ばれてるけど、このお店も地域のボスっぽい店員さんがいらっしゃった

小休止を挟み、再び水路散歩に戻ります。こちらは第一トンネルの京都側の出口

緑に埋もれた人工物はあまりにも魅力的

ここからの水路沿いは遊歩道として整備されていて、散歩やランニングしてる方もたくさんいらっしゃいました。地元にこんな場所あったらええな

この水路と橋の立体交差感、好き

橋の下にちらっと古そうなレンガ積みが見えます

何やら船着場っぽい場所に到着。遊覧船の乗下船場のひとつのようです

かつては船をつなぎとめて荷下ろしをおこなう場所として、船溜と呼ばれたそう。昭和初期に国鉄が線路を通すことになり、疏水路と接近して危険な状態だったため、水路はトンネル構造に変更

その結果、掘られたがこちらの諸羽トンネル。向こう側の出口が見えるぐらい短い距離ではありますが、めちゃ暗い。ここを船でいくの楽しそう

トンネルを通る現水路のかわりに、旧水路は埋め立てられて遊歩道になっています

ところでいつのまにか京都市に入っていた

こちらは作業員の技術習得のために造られたトンネル試作物

こういう遺構が残されてるのもなかなかめずらしい

遊歩道から眺める山の景色がまた美しい

さて山科駅方面に向かうため水路沿いから離れると、めちゃくちゃ立派な鳥居と神社が見えました。パッと見でわかるほど地元の厚い信仰を集めてる感。こういう場所は、オカルト的な意味じゃなく、人の想いが集まってるなっていう物量的なパワーを感じる

少し歩けば旧国鉄・現JR湖西線&東海道本線が通る橋梁があるんですが

こちらの煉瓦積みは、開通当時の壁とのこと


光と影のコントラストによって、よりドラマチックな雰囲気。イイですね〜〜〜たまらんですねぇ

そして逆に現代的な、京阪線をまたぐ鉄塔。こういう構造物大好き

時刻はすでに16時でしたが、山科駅周辺にてようやくの昼食。こちら「炎の池」という店名の老舗シチュー屋さんですが、運ばれてきた時に「炎の池」の意味を理解しました。地獄の一丁目一番地かな?ってぐらいシチューがグッツグツに煮立っていた。そして中に沈んだ牛肉がめっちゃくちゃ美味しかった

駅の方に戻ります。京阪の山科駅の駅舎は、私が好きな昭和SF的デザイン。となりの交番もセットで大変良い

JRの山科駅のほうには、これまたイイ感じのトンネルが。昭和のモルタル造り感




所変わりましてこちら、兵庫県西宮市に位置するJR甲子園口駅近くのトンネルです

テレビでも取り上げられたらしいですが、こちらのトンネル、実はめちゃくちゃ天井が低くて狭い。向こう側の出口にお子さんの姿が見えますが、子供しか立って入れないぐらいの低さです

内部は煉瓦造り。そしてまじで狭い。大人はもちろん背を屈めて歩くしかなく、しかも幅が狭くて絶対にすれ違えないので、向こうから誰かが来てる間は反対側は通行止めになります

だいぶわかりにくいけどこんな感じ。腰をかがめまくってます。こんなに腰をかがめて移動するトンネルは、山梨で船津胎内樹型に入った時以来。富士山から流れてきた溶岩が樹木を囲んだまま固まって、木の部分がトンネルとなった(樹型がそのまま空洞になった)みたいなやつなんですが、あそこもすごかったのでオススメ

内部には電灯が設置されてますが、昼間でもなかなかの暗さ

反対側。上にJR神戸線が通っています
「明治7年に国鉄が開業する際に線路の盛り土の下を用水路が流れるように作ったトンネルで、後に利便性から人が通れるような大きさに作り変えたもの」とのこと。もとは用水路だったと考えれば、なるほど納得の狭さ&低さ、そしてそれがこのトンネルならではの個性になっているわけです

こんな感じで自転車の方もなんとか身を屈めて通行していらっしゃる、地元民には欠かせないトンネルだそう。生活に必要なものとして造られ、地域に根差し愛用されてきた、これも土木遺産のひとつと言える。大変おもしろい体験ができた

ところでJR甲子園口で「国鉄」の文字を発見。時を止めている。すばらしい。ずっとそのままでいてほしい

おしまい!

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