信貴山のケーブルカー廃線跡と、名古屋の遊郭跡を歩く

2024年10月26日土曜日

t f B! P L


ようやく暑さもやわらいだ行楽日和、前々から気になってた奈良県の信貴山に行ってまいりました。信貴山は大阪と奈良の境界である生駒山系のひとつで、聖徳太子が創建した朝護孫子寺があるため古くから信仰を集めている霊山ですが、お目当ては寺ではなくその門前町と、参拝客向けに走っていたケーブルカーの廃線跡
まずはJR王寺駅から近鉄に乗り換え。良いですね、この近鉄王寺駅の駅舎。桁橋のような飾り気のなさ。潔い

一駅乗って着いたのが信貴山下駅。駅舎横に静態保存されているのがこちら、かつて山の麓から信貴山上の朝護孫子寺までをつないでいたケーブルカー、近鉄東信貴鋼索線の車両。ケーブルカーを日本語で鋼索線っていうのマジカッケーよね、庵野秀明の「計器類を日本語表記するのカッケー」で育った世代なので。エヴァはもちろん「トップをねらえ」もやばい(好き)

車両内部に入ることができます。ケーブルカーとは思えないフカフカの座席!木製の壁もめちゃくちゃ味がある

激せまの運転席。生駒山のケーブルカーに乗った時も思ったけど、ケーブルカーの操作盤ってものすごいシンプルなんやな

運転席のイス、バスの補助席よりも狭い。当時、麓から山上までは片道10分の運行だったらしいですが、運転手の方は大変やったやろな

窓からはちょうど紅葉し始めている木々が見えて、このケーブルカー、良い場所に保存してもらったなぁと。山の中を走っていた頃の景色を思い起こさせるよう

座席も窓枠もとても良い。映画みたい

最盛期には年間35万人もの利用客を運んでいたとのことで、この車内いっぱいにお客さんが乗り込んでたんやろな

こうやって見るとすごい勾配。この車体にお客さんや荷物を乗せて山上へと引っ張ってくんやから、ケーブルカーってすごいパワフル

こちらが麓から信貴山へと続く、かつてのケーブルカー軌道跡。伝わりますでしょうか、このえぐい急坂が……

さて駅前で奈良交通バスに乗って、信貴山までやってまいりました。ご覧ください、この色褪せまくった観光案内図。風雨に耐えてきた証

バスのりばの建物も大変味わいがある。ここから近鉄バスに乗り換えれば、山越えをして西側の大阪に出られます

信貴山のシンボルである朝護孫子寺へと向かう道中。たまらなく良い光景

ボロボロのアーケード天井とコーヒーショップの佇まいがあまりに良すぎる。角丸の窓も素敵。店内をのぞいた感じ、荷物がいろいろ置いてあって、もう廃業してらっしゃるのか微妙なところ

アーケードを抜けた先にあった、こちらも味のある良い建物。「三山荘」と書かれてるので旅館かと思いきや、お土産屋さんだったみたい。古くは宿経営もしてたかもですが


三角形の土地に建っていますが奥がわりと広い。家紋の彫られた立派な門扉もありました

信貴山は古くからの信仰地だけあって、わりと道端のあちこちにお地蔵さんや祠がありました

出た!レアな右目室外機!このNATIONALのブランドロゴからしても、年代を感じます。謎に新聞紙がグシャッとなった窓辺…室内どうなってんやろ…

もちろん現役バリバリのホテルもございます。このザ!観光地の旅館!感。日本家屋+おそらく新館として増設されたのであろう洋風ホテル部分+車での客が遠くから視認できるドデカ看板、すべて揃っている。しかも鳥居まである。AIで作った日本の風景みたい

玄関先にちょっとしたアーケードがあるのもポイント高い。今は絶対こんな造りせんもんなぁ、建築物にお金をかけられてた時代って感じがして良い

旅館の脇道が気になって歩いて行ってみると、温泉の湧出地点を発見。きちんと祠がある

そこからさらに小さな集落につながる道が。YouTubeに「historica」という廃村や廃集落を訪ねるチャンネルがあってよく見てるんですが、ちょっとhistoricaみを帯びてきた
あとで調べてわかったんですが、ここはかつて大阪側から訪れた際の参道だったらしく、高低差が激しい道だったため、橋が架けられて参拝客はそっちを通るようになったと。なるほどー!だから泉源地もきれいに祀られてたのか。参拝客たちの通り道やったから。たしかにここ山肌に沿った道で、めちゃくちゃ急坂やったし、写真の先の右側に、寺方面へと続く道があったんですよね。あまりに狭く木々が鬱蒼としてたんで躊躇してしまったが、突き進んでみればよかった。旧参道だったとは!

で、こちらの開運橋が架けられたおかげで朝護孫子寺への参拝がラクになったと。このへんまで来たら、かなり観光客で賑わってました

橋のたもとにある食事どころ、立ち寄らなかったけどかなり窓からの景色が良さそう

建物の下部はかなり武骨でかっこいい

橋の逆側に建っている茶屋も、かなり階数があって、ただの茶屋とは思えない規模。ここもかつては宿経営とかしてたのかな

開運橋からの光景。さっき見た信貴山観光ホテルが山あいに見える、温泉地らしい素晴らしい景勝

映えまくりな赤いアーチ橋、信貴大橋。行きしはバスでここを通ってきました。足元に広がるのは大門ダム。もともと大門池という溜池があって、昭和57(1982)年に発生した大水害をきっかけに、治水のため造成されたダム湖とのこと

開運橋は、どこか「千と千尋の神隠し」の湯屋を思い出させるなぁと思いながら歩いてたら、まったく同じことを話しながら通っていく方々がいて笑った。わかるわかる、この世とは違う別世界に通じてそう感。俗世との隔絶という、宗教的聖地にぴったりの演出

こちらが朝護孫子寺の入り口。朝護孫子寺は、聖徳太子がこの山で毘沙門天の加護を受け争いを鎮めることができたことにより創建され、それが寅の年の寅の月、寅の日、寅の刻だったことから、寅の寺でもあるらしい。なので門前や境内のあちこちに寅モチーフがある。奈良・大神神社の卯の日みたいなもんやな

ところで渡ってきた開運橋、昭和6(1931)年に竣工されたというめちゃ歴史ある橋で、「上路カンチレバー・トラス橋」というらしい。「上路」は上を歩けること、「トラス」は三角形の構造物であることはわかるけど、「カンチレバー」という言葉が初見。橋の工法を表す言葉で、まず橋脚を建て、そこから左右に伸ばしていくとのこと。カンチレバーで造られた橋はめずらしく、開運橋は現存する中では最古の例で、登録有形文化財に指定されてるんだとか。思いがけず良い橋に出会った

ここからがようやく聖徳太子ゆかりの古刹への道、となるわけですが、私の目的地はケーブルカー廃線跡なので今回はお参りは省略

しかし一応お布施がわりにお土産買っていこうとお土産屋さんに寄ったら、かつてこの地にあった山上鉄道線の古写真を発見。山上鉄道線は、大阪方面のケーブルカーと接続されてたが、戦時中の金属供出により休業となって、そのまま廃線。もともと昭和恐慌で経営が厳しかったらしく、戦争がなくても営業休止はそう遠くなかったかもしれんけど、ケーブルカーで登ってきた先で電車が山の上を走ってるなんて、スイスやヨーロッパでは今もあるけど、日本ではあまり見られない光景で素敵やったやろな。見てみたかった

そして信貴山城ってのがあったんやなってのはGoogleマップを見て知ってたけど、まさかの松永久秀!好きな武将の名前が出てきて、ついテンションが上がっちゃう
信貴山はもともと大和(奈良あたり)と河内(大阪あたり)の国境にあたる要衝で、本格的な城郭を最初に築いたのは木沢長政という戦国武将。長政が敗死したのちに松永久秀が修築・入城し、久秀は信貴山城を大和支配の拠点とした、とのこと。写真の左の絵にあるような、奈良県最大規模の城郭を造ったのは久秀らしい
その後、何度か落城するたびに久秀は信貴山城を奪還するも、織田信長にさからったため織田軍に攻め入られ、久秀は自害。俗説ではあるが有名な逸話「松永久秀はめっちゃレアな茶釜『平蜘蛛』とともに天守閣で爆死した」場所がまさにこの信貴山城!これはアツい

そんな激しい戦いがおこなわれた城があるなんて思えない静謐さに、今は包まれています

立派な山門。大わらじが奉納されてますが、結構めずらしい気がする。関西ではあまり見ない

仁王像も立派。乳首のとこが金属になっててなんか…オシャレ(?)

山門を出てすぐのところに圧巻の千体地蔵。ケーブルカー敷設の際に出土した石仏などを安置してるらしい。出土地蔵ってロマンを感じる、山口県宇部のときわ公園で見たお地蔵さんみたい。あるいは福井県三国湊で見た海上出現観世音菩薩みたいな。海上出現観世音菩薩の件については、旅から戻ったあとに三国湊の図書館に問い合わせたら資料を送っていただいた思い出

山門から続く参道と門前町。大変良き風情

生駒郡平群町のマンホール、めちゃかっこいい。真ん中上部、モスバーガーのロゴを横にしたマークみたいなのが平群町章、町花のキクと町木のカシがレイアウトされてます。今まで見てきた中でもトップクラスに好きなマンホールデザインかも

カフェに転用されている古民家、窓のデザインがかなりイカす

おっ?と思った建物

二階の丸窓や左側の格子窓の凝ったデザイン、一階には出入り口がふたつ。なにやら色っぽい建物だった気配がある

植物パンパン、とてもこわい(絵的にはとても良い)

植物パンパンの建物、奥行きがかなりある。外側からも植物に侵食されつつあります

そして近くに「脳天大神」という気になりすぎる神社の看板があって行ってみようとはしたんですが、この…道の雰囲気が…クマとかイノシシとか野生動物が出そうで危ないかもと思って行けなかった…

気を取り直して参道へと戻ります。ええお顔が玄関にいらっしゃる

こちらもなんともレトロな雰囲気を残した旅館。屋上の上の立体的な文字看板がポイント高い

めちゃくちゃ立派な日本家屋も

この規模で、細部までこだわった建具、絶対にただの個人宅ではないなと思ってたら

玄関のところに屋号が!マジカオ…?と思ったが、おそらく右から読むパターンの「オカジマ」。まるでモザイクタイルみたいなフォントもかっこいい!こんな凝った屋号表示、初めて見た
このへんはケーブルカーの駅があった場所のすぐ近くで、旅館とか立派な建物が多く、たくさんの人で賑わった参道やったんやろなと感じられる。今はケーブルカーが廃止されて、麓からはバスで寺の前まで行けてしまうから、利用客にとっては便利になったけど、参道沿いの店は廃れていってしまったんやろな。いかに鉄道が街の栄枯盛衰に関わってるかがわかる

屋号オカジマさん、どうやらコの字形をした建物のようで、側面から見るとその立派さがよくわかる。中庭がありそう

さらに奥側は崖に近い斜面になってるから、3階建て?みたいになってるようで、これは本当に中を拝見したい〜!今は個人宅なのかなぁ、これだけの広さと規模の家、維持していくのも大変そう

道端にあった「さくら観音」。桜の木の幹の中に観音像が安置されています。これぞ民間信仰、地域の方々の篤信さが伺える

まるで半分地面に埋まってるみたいな家。なぜこのようなことに?火山の噴火で溶岩に呑み込まれたとかならわかるけど。単純にえらい崖下になってるのか?

こちらはおそらく元店舗っぽい建物と住居がくっついてるんですが、空中廊下…?みたいな。すごい構造。中どうなってるのか想像するとワクワクしてしまう

バスの停留所に着きました。ずいぶん広い待合所やなと思ったら、廃止されたケーブルカーの駅舎を転用しているらしい。こんな形で遺構が活用されてるの、すばらしいな

かつてケーブルカーに乗って運ばれてきたたくさんのお客さんたちが使っただろう椅子。今もバスの利用客に受け継がれています

バス待合所のすぐそばにあるのがこちら、ケーブルカー廃線跡を整備したハイキングコース。ここまでの道のりを楽しみまくってて軽く忘れてたんですが、メインの目的はこれなんでした

さっそくなにがしかの遺構っぽい構造物が。石垣はかつてのケーブルカー駅のホームの一部かな。こういうのが見れるのも廃線跡ならでは。そして竹の生命力はすごい

というわけで廃線跡ハイキングへGO!

鬱蒼と茂る緑の中にはもみじも多く、紅葉シーズンなんかは行楽客の目を楽しませたことでしょう。春は桜もたくさん咲くらしい

桁橋も残されてました。それにしてもケーブルカーの軌道跡だけあって、えげつない急斜面。私はくだりやからよかったものの、のぼりはめちゃくちゃキツそう。というか、くだりでも足への負担がすごくて、次の日ちゃんと筋肉痛でした。私の後ろを歩いてたおばちゃん2人組も、最初は元気におしゃべりしてたのに途中から無言になってたもんな。そらそうなる

まぁそういうしんどさがあるからこそ、この見晴らしの良さでございます。遠く王寺の街並みが見える。このへんはかなり道幅が狭かったけど、ケーブルカーの古写真を見てると複線区間もあったようなので、元々の軌道よりだいぶ両脇の植物が茂ってしまってるんでしょうね

ところどころにイスやベンチっぽいものがあって、多分ハイキング客の休憩用かな。嬉しいお気遣い

こんなふうに日除け・雨除けされてるところもいくつもあった。やさしさがすごい。同じ廃線跡ハイキングコースでさらに規模のでかい旧福知山線廃線跡にはなかったので。ないのが当たり前なのにすごい
あるいはハイキング客向けというわけじゃないのかもしれない、例えばこの辺りにはサンカのように山中で暮らす民がいて、彼らの置いていった何かかもしれない…などと妄想も膨らむ

ところどころ枕木が残っている道を歩きます

こちらは旧福知山線でも見た木製電柱。自然と同化してそうで、やはり自然界にはない直線的なフォルムが景色から浮いて見えておもしろい

そして木製電柱にたびたびぶら下げてあった、打ち鳴らして音をだすやつ?緊急用とか、山火事を知らせる用とかなんかな?ケーブルカー時代からあったなら、野生動物を音で追い払う用とか


ようやく終わりが見えてきました。このへんは木が生い茂りまくってて、幅員もかなり狭まってます

ハイキングコースの終着点には、謎の団らんスペースらしきものが。まとまりなくいろんなイスが設置されていて、手作り感がすごい。コース途中に置かれていたイスといい、地元の方々のおもてなしとぬくもりを感じる

なんともいえないこのバラバラ感、ちょっとしたホラーみさえあって良い。私の目には見えない観客たちが座ってるんじゃないかと思って

さて私がいるのは地図真ん中の赤い線の途中にある「現在地」ですが、ケーブルカー軌道はずっと街中まで続き、近鉄信貴山下駅の前までつながってました。というわけで、ここからさらに駅まで歩いていきます

速度制限と急勾配注意の看板。くだりを歩いてよかった、のぼりなら足が死んでる

なぜかグループホームの屋根の上に飛行機の巨大模型らしきものが。気になる

街並みを一望できるドえらい坂道をさらにくだっていきます

こちらは三郷町のマンホール。もみじに川の流れ、絵画的で素敵

この道幅の広さ、そして謎の中央分離帯、あきらかに元々は車道じゃないなという感じ。ケーブルカーの痕跡を感じる。岩手の花巻でもかつて花巻電鉄という軽便鉄道が走っていた軌道跡を見ましたが、似た雰囲気がある

ようやく信貴山下駅前に戻ってきました。かつてはケーブルカーが山上からここまで繋いでたんやから、なかなかの長距離運転。駅前に保存されたケーブルカー車体もあいまって、往時の姿を彷彿とさせる良き光景

駅前から山に向かうこの斜面、そりゃケーブルカーぐらい馬力ある乗り物じゃないと人も物も運べへんかったやろな

ところで現役の近鉄信貴山下駅も大変味わいがあります。駅舎の屋根のカーブとか2本ずつ並んだ鉄骨とか。なかなか贅沢なデザイン

そして駅前に堂々鎮座する「ヨコハマ」の四文字。細明朝体が絶妙に1980年代を醸し出している

踏切を渡ろうと思ったら、ちょうど上下線の近鉄電車が揃い踏み!そんなに本数が多いわけでもないので、見れてラッキー

JR王寺駅まで歩いて戻るため、一級河川の大和川を渡ります

よく大和川が氾濫したら奈良と大阪南部は終わりと言われますが、この広大な川幅を見れば納得。水をたたえた川面に秋の空が反射して美しい

橋を渡って王寺町に入るとマンホールも変わる。これは時計塔と鐘?きっと町のシンボルなんやろなと思い、王寺の町中や駅前をうろついてみましたが見つけられなかった

王寺駅まで歩く間にも「おっ?」となる建物を発見。シャッターの上部分、きっと店の看板とか屋号があった予感

銅の雨樋もシャレてます

何かこう、心くすぐられるおもしろい造り。窓の配置もちょっと不思議な感じ。建物の歴史が気になるところ

がらんどうの看板と長屋

私には見えるぞ、隠された右目室外機が

せっかくなので大阪に帰る前に王寺でメシしようと思って調べたら、駅前にやたらレビュー点数の高い居酒屋を発見し、行ってみたら大当たり。なんせごはんが美味い。アホみたいにデカい鶏南蛮にアホみたいにタルタルソースがかかってて超幸せ

焼き鳥と奈良の地酒もいただきました。ンマ〜〜〜イ!!早めの時間で店長さんと二人きりだったのでいろいろ駄弁ってたんですが、店長さんまだハタチそこそことお若いのにオーナーに店任されて、まずはレビュー点数を上げるために料理や接客をがんばったと、そして地元王寺のためにあれやりたいこれやりたいと具体的な目標を掲げられており、ハ〜〜〜なんて立派な若者か…といっぱしのジジイのように感嘆してしまった。旅先の居酒屋では、いつも良い出会いがある。酒飲んで心がゆるむからかな


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場所は変わりまして名古屋。名古屋駅からピョコッと1つだけ飛び出してる赤い線、桜通線に乗って太閤通駅を目指します
なぜ名古屋にいるかというと、ヒプステ銃兎役のYUKIさんが所属するグループMADKIDのCDリリースイベント、いわゆるリリイベというものがまず大阪であって、せっかく大阪来てくれてるし無料やし観に行ってみよ〜と軽い気持ちで参戦したら、リリイベのライブがめちゃ楽しくてメンバーみなさん盛り上げ上手で「イイネ!」となり、その場でCD予約したらなんと特典会に参加できてしまい、ご本人様方と写真撮ったあげくポストカードにサインしていただき、その際にちょっとご本人様方とおしゃべりできる時間もあって、本当ならYUKIさんにもハチオウジWMリーダー役のSHINさんにも「ヒプステから来ました!めちゃくちゃ良かったしライブも楽しかったです!」てお伝えしたかったのに、推しと至近で顔を合わせ直でしゃべれるというあまりの急展開に陰のオタクはテンパってしまい「カッ…カッコヨカッタデス!!」と片言で親指グッドサインをすることしかできなかったわけですが
そして大阪の次の日に名古屋でもリリイベがあって、第一部の開始時間がお昼とかで、エッ、うーん…名古屋か……………行けるやん………………………
行ったれ!!!!
という流れで急きょ名古屋に遠征してリリイベにおかわり参戦し、でも二日連続こんな奴と顔合わせたらキモいやろなと思って特典会には参加せず(こういうとこが陰のオタク)、そういえば名古屋駅近くにも遊郭跡があったなということで、ついでに見に行ってきました

名古屋駅から地下鉄で1駅、太閤通駅へ。構内に「新宿の目」みたいなかっこいいオブジェが。窓ガラスとかで有名なガラスメーカーAGCによるものらしい。こういうのが駅構内にあるの、昭和とか平成初期って感じで良い

なにやら歴史や地域の名物を模してそうなマンホールデザイン

太閤通という名のとおり、道端には太閤秀吉の戦いや歴史をえがいたモニュメントがずらり。本能寺の変後に明智光秀を討った「山崎の戦い」は、実際行ったことある大阪と京都の府境の山崎を思い出すし、戦国BASARAの明智光秀も思い出して、つい速水奨声で「ククク…」と笑いが漏れる。大好きやったなBASARAの明智。闇属性みんな好き

そんな太閤通を西に進むと現れるのがこちら、大門横丁。狭い通りに飲み屋やスナックがひしめいています

地図を引いて見ていただければわかるんですが、この大門横丁から北側になにやら亀の甲羅のような形をした街区があります。そこがかつての遊郭エリア。大門横丁は、遊郭に入る一歩手前の路地と言えます

堂々たる文字を踏みしめ、いざ横丁にイン

なにやら色っぽい雰囲気のお店。玄関上の木板に松と鶴の形がくり抜かれててカッコイイ

こんなところにも横丁の名前が。シャレとる

一瞬でくぐり抜けた大門横丁の次は、かつて遊郭の目抜通りだった新大門商店街へ

ちょうど近くの店に古写真が飾ってありました。この立派なアーチ状の飾り、奈良の生駒新地を思い出す
名古屋には江戸期から明治にかけて大須あたりに新地があり、それが移転して造られたのがここ中村遊郭。1923(大正12)年開業、昭和期には娼妓約2000人をかかえる全国有数の遊郭だったとのこと。京都島原から専門家を招き花魁道中をおこなったりして、大変な賑わいだったらしい
中村遊郭もまた戦時の空襲で大部分が焼失し、進駐軍によってにわかに活気を取り戻すも、公娼制度の廃止によって、上の写真にもあるように遊郭から「名楽園」へと名を変え、店は次第にソープや旅館へと転廃業していったようです

今ではひっそりと静かな商店街。シャッターが閉まってる店も多い

メインストリートはかなり店が入れ替わってますが、路地に入れば小さなスナックや飲み屋が並んでいます

確実にイイ感じのお店だっただろう建物も、すっかりガードで隠されてしまい、しかしこれもまた街の歴史のワンシーン、移り変わる人の世の姿

それでも歩くほどに味わい深い建物が見つかります


カフェー建築っぽい建物。このへんは東京の吉原遊郭と同じくガッツリ昼間からソープランドが営業してました。そして目の前には家族連れが出入りするドデカスーパーがあり、なかなかのカオスっぷり。ドデカスーパーのあるあたりに、かつて遊郭の組合事務所があったらしいので、近辺に大きな妓楼があったのも納得

同じ通りにあった蕎麦屋さん、これは…と思って写真撮ってましたが、あとで調べたらやっぱり旧遊郭の妓楼建物だったそうで、ウワーッ店入ればよかったーっ!二階の欄間が美しい…

でっかいソープビル。どの「ブラジル」もいいけど、右上のほうの丸に入った「ブラジル」が一番好き

通りの反対側まで来ました。ここにも立派なアーチが

メインストリートからちょっと離れたところを歩きます。ものすごく塀で囲まれたおうち

往時の華やかさを想起させる扇のデザイン

ここが遊郭の角地。わざと道路を斜めにして堀を巡らし、外からは遊郭の中がうかがえないようになっていたとのこと

味の出まくってる喫茶店。入ってみたかったけど休業中で残念

こちらも味わい深い喫茶店

すでに看板を下ろしているっぽいスナック

コーヒーショップらしいけど、この斜めになった壁とか窓の感じ、かつてはスナックとか夜の店やったんかな

非常にグッときた建物。こんな風に二階に、外に出れるわけでもないのに手すりが造られてるとニヤリとする

壁はトタンで補強されてますが、窓部分がくり抜いてあって嬉しい

そのお隣りもかなり良い洋風建築。教会みたい

完全封鎖されてしまってるが、見えている上部分だけでも、きっと良い建築やったんやろなって想像できる

こちらは現役の旅館。まるで江戸時代の旅籠のような雰囲気

菱形にくり抜かれた手すりと、凝った窓のデザイン。良いですねぇ


ここもちょっと不思議な形の建物

逆サイドから。本体の日本家屋にガワ部分を増築したのかな?
名古屋駅から一駅足を伸ばすだけで、いろんな建物が見れて楽しかったです。次は尾頭橋駅付近にあったという八幡園にも行きたい。おしまい


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