民俗学や温泉街を楽しむ岩手旅②

2023年9月9日土曜日

t f B! P L

おはようございます。朝飯はちょっとでも地元感を味わうべく、東北にしかなさそうな美味しいパンをいただきました。この味にハマり、次の日の朝も同じもの食べました。私の悪いクセ、いっぺん美味しいと思ったものばかり食べ続けてしまう



おそらく遠野市の鳥であるやまどりをデザインしたマンホール

マンホール以外にも、さすが遠野といったデザインが石畳に並びます。これはたぶん座敷わらし

こちらは狐かな。遠野の民話を感じられて歩くだけで楽しい

そして遠野といえばカッパです。町並みに大変なじんでおります

くるくる回る理容室のレトロ看板。他の地域歩いてても思うけど、人口減少が進んで商店がほとんど閉まってるような町でも美容室・理容室はけっこう生き残っててすごい

もちろん昔ながらの家屋も

山側まで歩いてくると、まずは南部神社の入り口が。目指す場所はこの奥のようです

こちら、図書館とくっついた遠野市立博物館。ここで開催中だった特別展「遠野物語と呪術」を見たくて、わざわざ来たというわけです

敷地には立派な鹿踊の彫刻が。彫刻というか、銅…銅像?

遠野市立博物館、ほぼ開館時間に着いたんですが、朝イチからけっこうなお客さんで賑わってました。人気の理由は実際に館内を見て回って理解した
受付の方にお聞きしたところ、映像作品以外はフラッシュなしで撮影OKという太っ腹仕様だったので、思う存分撮りまくりました。まずは挨拶がわりの「遠野物語」初版

この博物館、展示のしかたがいろいろと工夫されていて、常設展も大変おもしろかったです

そこらじゅうに遠野物語などからの引用文と、それに関係する展示品が並べられています。物語を読みつつ実際の物を見れるから、文章でしか知らなかった民話をもっと立体的に体感できるつくり

こちらは座敷わらしがいたとされる山口孫左衛門というお金持ちの旧家にあった3つの木像

こちらは南部家が所有していた江戸時代前あたりの古い鎧。兜の上にはウサギの飾りがつけられていて、かなり珍しい物なんだとか

天狗が置いていったとされる遺品。天狗とか山人、山伏、修験者に関するいろんな話が遠野には残っていて、やはり遠野が山に囲まれた土地で、木や鉄をとるために人々はよく山に入って働いていたからこそだとか

遠野の人々の暮らしを伝えるコーナーもおもしろかったです。遠野は海側の三陸地方と内陸の盛岡・花巻をつなぐ重要路で、こういった海産物も多く運ばれてたらしい。これはもちろん作り物の魚ですが、単に「ドンコ」「タラ」って文字で書かれているだけよりもリアルに感じられてとても良い

遠野にどんな物資が集まって運ばれていたかがわかるすごろく。さらに民話も絡めて作られてて、読むだけで楽しい

全然知らなかったんですが遠野は馬の産地としても有名とのこと。だから馬刺しが食べられるよと昨日行った居酒屋のマスターに教えていただきました
南部駒と呼ばれた馬は軍馬としても運搬の足としても活躍し、遠野一帯の暮らしには欠かせなかったらしい。奉納された絵馬には多くの馬がえがかれ、馬頭観世音の石碑も多いんだとか

有名な民間信仰のひとつ、オシラサマ。あるいはそれに類似したものたち

オシラサマのバリエーションがめちゃくちゃ豊かで見飽きない

でっけぇ木挽きの道具。遠野の山の木々は建材としてだったり、明治に入ってからは鉄道の枕木に使われたり、また炭にして出荷されていたそう

いろんなとこで見たことあるけど初めて触れた薬棚

これもおもしろかった展示のひとつ、遠野で暮らす女性がつづった日記という設定の手書きノート。「この世界の片隅に」のすずさんみたいに、当時の暮らしを身近に感じられる

遠野の人々はなにかと石碑が好き、という話。金比羅さんにお参りに行ったとか、そういう記念碑的なものをよく建てていたんだとか。自然の中で生きているから、長く姿を残す石を好んだのでは、という考察がおもしろかった

山伏の家に置かれていた木像。山伏は遠野周辺の集落ではごく当然にいたけど、明治期の宗教に関するいろんな法律により多くの人たちが神職についたりして、山伏という存在がいなくなってしまったらしい
西洋諸国に追いつくための政策だったろうとはいえ、多くの文化や民間信仰が失われてしまったんやろな

ここからがようやく特別展です。常設展を楽しみすぎた

いろんな呪術が書かれた指南書的なもの

おもしろいのが、「イタチが現れた時の術」っていう項目があること

こちらにも「イタチの鳴く時に」という項目あり

これなんかは大便小便のお通じ?に関する呪術も。それだけ日常生活にまじないが浸透してたんやろな。盗人に関する呪術とかも

めっちゃ好きと思ったデザイン、「カラス札」

そこそこの大きさの藁人形。こういうのを家の外に立ててまじないとしてたそう

貝殻や動物の牙、小判を組み合わせた首輪。山にも入るし、海産物の行き来もあった遠野ならでは

年季の入りまくったオシラサマ。こういうのは見た目からしてなんか宿ってそうな気がする

こちらも、まるで蚕のようなオシラサマ

山神に遭遇したり、山の神に呪いを受けた場所に建てられる石碑。こんなんとてもグッとくる

猟師などが山の中で使う言葉。こういう言葉も記録していないとどんどん失われてしまうんやろな

山の中に入る時に携帯したという神像。右の動物っぽいの、かなりかわいい

大工が家を建てた時に、人形や髪の毛を入れた御堂を打ちつけ家の守り神にしたらしい。こういうモノが、家の中に霊魂となって現れるのでは、という話

本当こういうのはすごく"なにか"になりそう

たっぷり博物館を楽しみ、次に南部神社へ

とても立派な扁額

南部神社は鍋倉城という城郭の跡地。この地域は鎌倉時代から阿曽沼氏の本拠地だったけど、戦国時代に豊臣秀吉の小田原北条氏征伐に参加しなかったため領地没収、南部氏に支配権が移ったとのこと
そして南部神社は、江戸時代にこの地方をおさめた南部氏を祀った神社。南部氏は遠野の発展に力を入れ、城下町としての繁栄をもたらしたので、地元の人には敬われてるのかも。大阪の民が豊臣秀吉にわりと感謝と親近感をもっているのと同じで

苔むした手水舎にはひょうきん顔のカッパが。ここのお水、山の水を引いてるんやろけど、めちゃくちゃ冷たくて気持ちよかった

とても立派な拝殿。緑とのコントラストが美しい


油断してたら足元にもカッパ

神社は山の中腹にあり、ここからさらに登っていくと鍋倉城の跡もいくつか残っているようです。気になったけど、ちょっと雨がすごくて登山は無理でした
それにしても立派な城やったんやろなと、この山の景色からも感じられる

遠野の街を一望。城があったところって当たり前に見晴らしのいい場所なので、景色眺めるのが楽しいです

行きしは気づいてなかったけど、こうなると南部神社手前にある橋が「大手橋」なのも理解できる。城の大手門がこのあたりにあったんやろな

それにしても遠野のカッパ推しは余念がないです。交番も見事にカッパ

こんなチラシも掲出されてたり

駅前では当然のようにカッパの像たちが水辺で談笑してます

電車までの待ち時間に町散歩。ここも昔はネオン輝く盛り場やったんやろな

もしかしたら夜はまだ看板に光が灯って人が集っているのかも

橋梁から眺める釜石線。遠く、霧の中に山々が見えます。いい景色

こちらが三陸方面。本当は今日、釜石方面にいって線路のオメガループや鉱山跡も見たかったんですが、列車とかバスの接続が絶望的で断念。次は岩手県の海側を攻める旅をしなければ

めちゃ男前にしてくれそうな理容室

遠野の歴史を学習ずみなので、急に馬の生首がベンチにくくりつけられていても驚きません

廃業したガソスタっぽいとこを改造したっぽいシャレたカフェバー

少し天気が晴れてきて、山の稜線が見えてきました。美しい

天気の悪さもむしろ遠野の山々の景色には似合ってる

道路脇でたびたび見かけたこれ、たぶん道が凍結した時にすべらないように撒く用の砂では

こちらも雪国ならではの、二重玄関状態になったローソンのドア

たまたま見かけたお地蔵さんの頭部の様子が明らかにおかしかったので、すわ曰く付きの…と思ったら、説明書きによると「村の男たちがこの地蔵を持ち上げて放り投げたりするのが流行ってた、やたら男に好かれるから男好きの女地蔵ともいわれた」とか書かれてて笑った

お昼ご飯にいただいた遠野そばと季節の天ぷら。かわいく折られた千代紙につまようじが入れてあって、素敵な心配り

街中に突然現れた客車。会社の敷地内に展示されていたので、この会社が製造していたとかかな

一瞬大雨に降られてえらい目にあいましたが、この曇天が逆に神々しく感じる

かつてブラザー工業が製造していた編み機の教室!!すごい。町の歴史を感じるし、時が止まってる感

駅に戻ってまいりました。駅舎はモダンな煉瓦造り

再び快速はまゆりに乗り込みまして、花巻方面へ

昨晩は真っ暗闇での走行でしたが、本日は雨上がりの景色を楽しめました

遠野駅に引き続き、愛称付きのデザイン駅名標。こういうの茨城県のひたちなか海浜鉄道でも見たけど、ローカル線ならではで好き

山あいを爆速で攻めるはまゆり



いくつかの駅を見送り、チェールアルコこと花巻に戻ってきました

ここから気合いの入りまくったバスに乗って、山奥の温泉地へ向かいます
一緒に乗ったのが中国からの旅行客の方々でしたが、地元のお年寄りたちが乗ってきたらすばやく優先席の周りをのいたり、そのお年寄りが小銭を落としたら一緒に探したり、バス降車ボタンに書かれた日本語をスマホで読み取って、降車時に一番にボタン押したりと、とても微笑ましかった。日本旅行楽しんでってください

バスに乗りながら地図を眺めていると廃線跡を発見。調べたら大正から昭和にかけて、花巻電鉄の名で親しまれた電車が通っていて、宮沢賢治も利用していたとのこと。廃線となったあとは岩手交通が引き継ぎ、バス路線になったようです。おそらく画面奥側の細い道が、かつての鉄道路線跡かな

終着点の花巻温泉入口に到着
しかし私の今夜のお宿は、さらに山奥に位置する左側の台温泉という場所。この看板を見て1.5km先ということを知り、軽い絶望感に襲われつつも「おもしれーことになってきたじゃんかよ…」と気持ちを奮い立たせて、ひとっこひとりいない山道歩きを開始

しかし結果的に歩いてよかった。たくさんの廃墟を見ることができました。こちらの廃屋、左手には鳥居とその奥には大きな石像が立っていた

こういう山奥にも、というか山奥やからこそ、働いてくれてる川の堰

めちゃくちゃでっかい病院の廃墟。どこかの大学附属だったようで、何棟も立派な建物がありました。つい窓辺に人影がないかとか見ちゃう

途中にあった立派な神社。ここもしめ縄が低い
地元の方々が車で来られていて、水を汲んでいらっしゃったので挨拶したら、ここの水は飲める天然水でペットボトルに詰めて持って帰るんだとか。「飲んでみます?」とすすめていただき、柄杓で冷たい水をいただきました
「どこから来たの?」「大阪です」「だからか、言葉が違うと思った」とか「花巻ではお祭りをやってるんですよ、山車や神輿も見れます」と教えていただいたり、岩手の人あったけぇ〜〜ありがてぇ〜〜「台温泉まで歩くんです」と言ったら応援していただきました。あったけぇ〜〜〜


御神木もめちゃくちゃ立派



この地方の方々が好きな石碑シリーズ

ようやく台温泉の文字が見えてきました。やったーーーー!
台温泉は、1200年前に坂上田村麻呂が蝦夷征伐の疲れを癒し、「体(たい)癒ゆ」といった言葉が由来という伝説が残る場所

そして一発目に迎えてくれるのがこちらの廃ホテル

緑の侵食っぷりが素晴らしすぎて何枚も撮ってしまった。コンクリートの下には水が流れていて、水音だけが響く静謐さ。めちゃくちゃ謎の羽虫に襲われました。でも良い廃墟!

温泉地の旅情を感じつつ、廃墟まみれの道を歩きます



博物館でも見た、「山神」と書かれた石碑発見。つまり誰かがここで山の怪異と遭遇した、あるいは山の呪いを受けたのか。胸アツ


さすが温泉地、そこら中から温泉が湧いてます。こちらも湯気がもうもうと


印象的だったのは、確かに周辺は廃墟だらけなんですが、日帰り温泉として利用されてる方がたくさんいらっしゃったこと。浴衣姿でそのまま車に乗り込んで帰っていく方とか。旅行客で賑わった時代は過去のものかもしれないけど、今も地元の方々に愛されてる場所なんやな



ちょっと(虫がたくさんいそうで)恐ろしくて中には入れなかった温泉神社。めちゃ良い雰囲気

確実にスナックとかカラオケ喫茶的な店が入ってたんやろな感。なんでこういう店舗ってドアが斜めなんでしょうか

そして奥の奥に待ち構えていた、これまた特大の廃ホテル


この渡り廊下が存在感抜群


奥側から見た図。かつては景観も含め、ずいぶん賑わったホテルやったんやろな

そんな廃ホテルの手前に、本日のお宿がありました。ご覧くださいこの外観

でこぼこと突き出た三階建て。こういう建築物、本当にたまらない




玄関に入った瞬間、うわ〜〜っ…と感嘆の声をあげてしまった。調度品といい半分上がった階段といい素晴らしい

靴箱もこのとおり。古いすりガラスがたまらない

中がまたすごかった!細い廊下、入り組んだ階段、もはや迷路。最高です



自慢の天然温泉は半地下みたいな構造。どちらの湯も入らせてもらいましたが、高い天井に岩とコンクリートで造られた無骨な神殿といった雰囲気でやっぱり最高でした

きゃっきゃしながら仲居さんにご案内いただきお部屋へ

襖あけた瞬間にテンションがさらに爆上がりした室内

欄間のこの凝ったデザイン。いろんな地方に残ってる文化遺産とかの旧家でしか見たことない

脇息があるお部屋なんか久々に泊まりました。座布団もふっかふか…窓もなんかすごい…もう何もかもすごくてうっとり

そして遠野でゲットしたどぶろくとスパークリング清酒をいただきながら、ヒプステBoP配信を見てました。最高の夜であった……

3日目に続く

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