奈良のカオス鉄道駅と山上の遊郭へ

2024年6月1日土曜日

t f B! P L

おはようございます。本日は奈良県奈良市に位置する近畿鉄道通称「近鉄」の大和西大寺駅に来ております。ここは鉄道好きには大変有名なスポットでして

まぁとりあえずパッと駅に降り立った時点ですでに、奈良行き、京都行き、大阪難波行きがずらっと勢揃いしていました。すごい。今この画面に写ってる電車だけで、関西三府県の主要都市にアクセスできます。さらに神戸三宮行きまで並ぶからすごい

大和西大寺駅は、大阪、京都、奈良(奈良県北部)、橿原(奈良県中部)の4方面からの路線が交わるジャンクションで、加えて阪神電車が相互直通乗り入れしているため、神戸からも電車がやってくるという、めちゃくちゃカオスな駅として鉄道ファンに知られています

ご覧ください、この複雑な線路の交差

とにかくひっきりなしに電車がやって来ます。そのたびに線路のポイントが切り替わり、各ホームへと吸い込まれていく多彩な顔の電車たち。しかも近鉄の特急列車はすべてこの駅に止まるので、「ひのとり」も「しまかぜ」も「あをによし」も、この駅にいれば見れるという、とんでもねぇ絶景スポット

ホームに立ってボーッと眺めてるだけで全然飽きません。周りには何人もカメラをかまえた鉄道好きの方々がいらっしゃって、その中でごっついカメラを持った鉄道歴50年というおじいちゃんが話しかけてくれたんですが、出会って5分で某鉄道会社の乗務員勤務体制のなってなさを語り始めて笑った。どんなジャンルでも、オタクは愛ゆえについ自分の意見を主張したくなるよね、わかるわかる…と身勝手な共感を覚えるのであった
おじいちゃんは、ミャクミャク様ラッピングの近鉄電車と阪神電車が同時入線してくるのを待ってるとのこと。レア車両のレアタイミング撮影がんばって!

たくさんの電車が乗り入れるだけあって、ホーム上の監視カメラもこの通り。ヨドバシカメラのテレビ売り場なみの多さ

さらにホームからは駅前の激シブ建築も見れる。ショッピングセンターのフォントも全体のデザインも錆具合もすばらしい

ホームの逆側に来てみました。こちらも複雑怪奇な線路具合、さらに踏切まであります

赤が点滅しだしたなと思ったら

次々と入線してくる電車たち。あまりにも壮観

振り返ればまた各方面への電車がシレッと揃っとる。すごい。ここを起点に日本中どこへでも行けそう

改札口は2階なので、上からもホームを出入りする電車を眺められる親切設計。窓に張り付いて電車を見てる小さい子供たちがいてなごみました。鉄オタの卵にとっちゃ、この駅や阪急梅田駅、JR大阪駅はもはやアミューズメントパークやろな

駅を出て、先ほどホームから見えた踏切の方に来てみました

まじで電車が絶え間なくやって来るし、一度遮断機のバーが下がったらなかなか上がらないので、踏切前には常に車の列が

そんな開かずの踏切からすぐのところにあったラーメン屋さんで腹ごしらえ。泡でフワフワの鶏白湯も唐揚げ丼も、大変おいしゅうございました

しかも窓際の席からは電車が見えるという、大和西大寺はなんと鉄道好きにやさしい街か。ただし本当にしょっちゅう電車が通るため、目を奪われてしまいあまり食事に集中できない

そして大和西大寺の名物といえばもうひとつ、世界一の称号を持つパティシエによる洋菓子屋さんがございます

焼菓子を買っていこうと目論んでいたのですが、イートインもできるとのことで、ついケーキも頼んでしまいました。ラーメンと丼を食ったばっかりなのに。休日と旅先はチートデイと決めてるので問題なし

こんな素敵な店内ですから、そりゃケーキも注文しちゃいます。私が入店した時はたまたま空いてたけど、すぐにお客さんでいっぱいになって、さすがの人気店っぷり

お目当ての焼菓子もちゃっかり購入

店の近くには、駅名の由来になっている西大寺が

道路を挟んで寺の向かいには、良き雰囲気の神社もありました。西大寺の飛地境内で、寺の鎮守社として室町時代からあるんだとか。鳥居と小さな祠以外は何もないのに、街中でわざわざ敷地を使って祀られてるとこからしても、なんとも特別で神聖な空気感

遅ればせながら奈良市のマンホールです。そりゃ鹿よ。このまま何かのパッケージになりそうなデザイン性の高さ。中川政七商店のギフト箱とかに使われてそう

次の目的地に向かうため、大和西大寺駅に戻り、近鉄準急に乗って生駒駅へ

駅前で売ってたビッグイシューの巻頭特集が田中泯さんだったのでゲット。ビッグイシューのホームレス人生相談のコーナーが好きで、以前「電車で席を譲りたいが、勇気が出なくて声をかけられない」っていう悩みに対して「人生ではいつか大きな決断をしないといけない時がくる。日頃、小さなことから勇気をもって決心する訓練をしておくといいんじゃないかな」というような回答が載っていて、今も胸に刻んでるんですが、今号の悩み相談もよかった

生駒には、ケーブルカーで登ったところに山上遊園地というのがあって、マンホールもおそらくそれをテーマにしたデザイン。こういう昭和時代に考えられたSF未来都市感、めちゃくちゃ好き

山上遊園地の他にも、生駒山の中腹に宝山寺というお寺があって、その門前に広がる「生駒新地」と呼ばれる色街を見に行くのが、今回の目的。お寺にはケーブルカーで行けるんですが、せっかくなので参道を歩いて行くことに。古き商店街の情緒たっぷりで、すでに楽しい

かつては寒村に過ぎなかった生駒に、1914(大正3)年、鉄道が開通し生駒駅ができたことで、宝山寺の参拝客が増え、街が開かれて、一気に歓楽街化。宝山寺の門前だけじゃなく、山の麓であるこの山崎新町あたりまで、劇場や映画館、ダンスホールができて、大変にぎわっていたらしい

「国威宣揚」の文字が時代を感じさせる。昭和14年といえば第二次世界大戦が始まった年

(出展:生駒市オープンデータポータルサイト
年代不明の写真ですが、かつてあった生駒ダンスホールの建物。想像より外観は地味ですが、看板のフォントがめちゃくちゃ良い。内部見てみたかった

(出展:生駒市オープンデータポータルサイト
こんなに華やかなゲートもあったみたい

今は歓楽街としては役割を終え、住宅地化が進む参道を登っていきます

新しい住宅街の中にぽつぽつと残る、古き良き建物

この廃屋も洋風のベランダがあったり、当時は最先端なデザインのおうちやったんやろな

ところで参道とは言っても生駒山を登ってるわけで、普通にめちゃくちゃしんどい。香川の金比羅さん参りを思い出させられるハードモード参拝路。駅から歩いて25分と書いてたけど、この時点で汗だくです

ようやく鳥居が見えた…!!と思ったけど、この絶望の階段。そして鳥居の先も参道はまだまだ続くのであった

登るにつれ、参道脇には廃墟が目立ってきます


おそらくこの写真付近と思われる昔の写真が↓

(出展:生駒市オープンデータポータルサイト
1975年の様子。桜の下を駆ける子供たちの笑い声が聞こえてきそう

ここも観光旅館の看板を掲げてはいるが、おそらく廃業済み


こちらは現役で宿泊できる旅館で、「風俗営業許可店」でもあるお店。宝山寺に近づくにつれ、こういう雰囲気の建物が多くを占めていきます
宝山寺の門前に色街が形成されたきっかけは、実は大阪南地花街(今で言うミナミ)の幹部が仕掛け人だったというのがおもしろい。生駒駅開業の翌年には置屋を開業させて、周辺に娼妓を住まわせ、それをきっかけに次々と「料理旅館」が建てられたんだとか。基本的には料理旅館に置屋から女性を呼んで、色事におよぶシステム
以前、奈良県大和郡山の洞泉寺遊廓にも行ったけど、なぜ寺社周りに色街が形成されやすいかというと、古い「精進落とし」の風習で、寺や神社に参詣したあと歓楽にふけるという、いわば伝統的な娯楽のひとつだったらしい。伊勢神宮や、それこそ香川の金刀比羅宮にも遊郭があったっていうから驚き
そして奈良は特にそういう場所多いなという印象やったけど、昭和5年出版の「全国遊郭案内」(出展:国立国会図書館デジタルコレクション)によると、そもそも1300年前、奈良の元興寺を建立する際に雇った職人や工人、作業員たちを足止めするために「奴婢(ぬひ)」と呼ばれる人々を置いたのが今の遊郭の元祖だということで、まさかの奈良が遊郭発祥の地だった。すごい


年季の入った看板。ライトアップされてなくても、めちゃくちゃ味が出てる

カフェー建築っぽい瓦、素敵

自分でもよくわからんのですが、こういう立体交差を生み出してる生活水路が好きです。この小さい石段とかたまらんね

こちらの立派な料理旅館も現役っぽい

「十八歳未満入店お断り」の札

建物自体はめちゃ大きいとかではないが、すごく風格がある

こちらも宿泊可能な旅館。というか本当はこの日、ここに泊まろうと思ってました。用事があって大阪に帰っちゃいましたが。次は必ず泊まっていきたい

こういう「なーんでそんな建て方したの?」なデザイン、大好物。式場隆三郎の「二笑亭綺譚」とか

カラータイルがとても良い

建物の多くが廃業していても、街並みがなんとなく色っぽい


ずいぶん高いとこまで登ってきたなぁと、しみじみしていたのも束の間

パッと振り返ったら、夢にでも出てきそうな灯籠の立ち並ぶ景色…!!

圧巻。ここを歩いて行くことで、俗世から切り離された神域に足を踏み入れる感じ

灯籠や玉垣に刻まれた地名が、関西一円から寄進を受けていることを伺わせる

ちょうど日が落ち始める時間帯だったので、余計に雰囲気抜群でした


鳥居の扁額がめちゃくちゃ立派だったんですが、見事な逆光で何もわからない

それにしても玉垣の量がすごい。宝山寺がいかに信仰を集めてきたかを物量で感じさせられる

そして境内図を見てさらなる絶望感を覚えるのであった。お寺の敷地はさらに山の奥へと続いている様子。こんなにしんどい思いして登ってきて、まだ入り口にすぎない、だと……?これはケーブルカーに乗って来るのが正解ルートですわ。でもわざわざ歩いて登ってきたからこそ、参道の建物群も楽しめたので決して無駄ではない(慰め)

春日大社で見る規模の石灯籠も。個人寄進なのがすごい

そういうわけで、ようやく宝山寺の入り口です
もともと生駒山は修験道によって開かれ、かの弘法大師空海も修行したと伝わる由緒ある場所。その後、江戸時代に再興された時に宝山寺という名がつけられ、大聖歓喜天を祀っていることから生駒聖天とも呼ばれたとのこと。門前町の看板に書いてあった聖天通りの名も、ここから来てると思われる
大聖歓喜天は商売の神様として、昔から大坂商人たちの信仰が厚かったんだとか。だから玉垣の寄進者も大阪の人が多かったのか。そう考えると寺周りの歓楽街を形成したきっかけが大阪ミナミの幹部だったっていうのも非常に納得のいく話

境内のジオラマがありました。ウワーすごい、ここからさらに山登りさせようとしてくる。どうやら高野山と同じく「奥の院」があるらしく、山の麓から続く参道の階段は、奥の院まで含めると1000段余りあるとのこと。恐怖

門の上にこれでもかと鬼瓦。わかりにくいですが側面にもついてる。逆になんかヤバいバケモンでも封印してるのか?ここで

寺にくるとわりと彫刻が気になる。こういった仏像とか

こういった塔とか。めちゃくちゃ細かい意匠が施されてて目を奪われる

おもしろい形の屋根。と、その背後の崖には菩薩像が。崖というか巨岩らしい。巨岩。マジで「巨」すぎる

鳥居のそばにレトロな街灯があったりして、あんまり他の寺社では見ない感じでおもしろい

崖というか巨岩の岩壁にあるのが「般若窟」で、岩船明神や弥勒菩薩、弁財天が祀られてるとのこと
とくに岩船明神は宝山寺の再興にも関わっていておもしろい。もともと生駒山には、7〜8世紀に奈良あたりで活動していた修験道の開祖である役行者の作と伝わる不動尊と弁財天の仏像が祀られていた。江戸時代初期、麓の村人が「この古仏を守ってくれるなら山を寄進する」と、修験僧の湛海にお願いし、村人の案内で山に入った湛海がこの巨岩に登って般若窟にこもり座禅していると、突然、黒くて大きな夜叉が組みついてきた。夜叉の肌は岩のように硬くゴツゴツとしていて、髪は針のように鋭い。その夜叉が「ここは俺の住まいだ。さっさと立ち去れ」と言ってきたので、湛海は「南無不動明王」と念じて腕力パワーアップ!見事夜叉を撃退した。その後、湛海は生駒山に住む「岩船大明神」の存在を知り、山の北側にその神が降臨した岩船谷があると聞いて参詣すると、岩船の岩肌がまさしく襲ってきた夜叉の肌とそっくり。なるほど岩船大明神が夜叉となって現れたのだなと察し、般若窟にて岩船大明神を祀るようになった
ということらしいです。ちなみに江戸時代ってのは寺や神社を好き勝手につくることが許されず、手続きも面倒だったため、こんな風に古刹を再興するというのを名目にして、信仰を興すことがあったとのこと

近づいてみると、洞穴みたいになってるのがわかります。あんなところに登っていくんやから修験者ってすごい。修験道の寺とかも結構えげつない崖の上とかにありますもんね


ここからが奥の院

やはり高野山の奥の院と似た雰囲気。高野山にも2回ほど行ったんですけど、奥の院ではまだ空海が生きているという設定で、毎日空海のための食事が出されてるんですよね。そういう慣わし、大変好き


本堂に戻って、休憩所で一休み。草餅とか食べれるみたいやけど、すでに閉店。それにしてもこの窯?なんやろ?なんか昔から使われてる道具っぽくて良い色味です

この左側の大根っぽい紋が、境内のあちこちで見られたので、お寺の紋のひとつなのかも。家紋でも大根っぽいデザインのやつあるし

こちらもかなり古そうな時計

それにしても玉垣の立ち並びっぷりが圧倒的。この物量と信仰の厚さに気圧される

暮れなずむ参道から生駒市街を一望

このなんとも言えない雰囲気。今でも寺への参拝客はたくさんいらっしゃったけど、車やケーブルカーを使ってる方がほとんど。かつては徒歩で登ってくるしかなく、参拝客がこの道を埋め尽くしていたことでしょう。賑やかな花街やったんやろなぁ
しかしこの眺望の良さは、裏返せば花街の女たちにとって地上とは切り離された、逃げられない場所でもあったということ。大阪の有名な遊郭「飛田新地」には「嘆きの壁」と呼ばれる物理的な壁が現存してるらしいですが、ここ生駒新地も、女たちにとっては山上遊郭という名の牢獄でもあったわけです


違うパターンのマンホールも発見!「IKOMA CITY」の手書きフォントもめっちゃ良い。このデザインの缶バッジかピンバッジ欲しい。オタクすぐグッズ化を希望する

参道からはいくつもこういう小道が伸びていて、本当はこういう道を歩いて山をくだりたかった。ケーブルカーにも乗りたかったので、今回はあきらめましたが。次回のお楽しみにしておきます

なんせ小道にも大物の廃墟がありまして。この規模は市街地ではなかなか見ない

そばには旧参道もあったので、次はこっちから登ってくるのも楽しそう

門前町の「国威宣揚」碑も発見

そのそばに建っているこのお店は、かなり大きな料理旅館

外から見た感じではもう廃業してるっぽかったけど、入店お断りの札はけっこう新しそうにも見える


三階建ての天満屋さん、内部も拝見してみたい

おそらく浴場っぽい建物も

こんな風に参道の脇道にも、色街としてのお店が並んでいた様子

なのでほんまかいなな入浴剤も売っています。もう売ってませんが。天然温泉の効能をそない簡単に再現できるもんかね



ここはまだ営業して…る…のかどうか、よくわからない。二階の窓ガラスの自然なたゆみが、昔の手作りガラスのようで素敵

おとなりの喫茶店も、ポストの周りのステンドガラスが良い

Webで生駒新地についていろいろ調べていると、2014年のブログにこの看板の写真があって、今は白く塗りつぶされてるお店も2014年の写真ではすべて営業していたので、たった10年でここまで減ったということでしょうね。遊郭としての営業をやめ、一般的な旅館に転業したお店もあるけど、今や宝山寺に訪れる客はほとんど車かケーブルカーのうえ、この地に宿泊する必要もなく鉄道の急行ですぐ大阪や奈良市に行けてしまう。交通の速達化や短絡化で世の中は便利になったけど、その結果こうして廃れていく地方のなんと多いことか

往時の華やかさを夢想しながら、生駒新地をあとにします

そしてこれはこれでテンションが上がったケーブルカー駅舎。さっきの天満屋や古賀の看板が出てるということは、やっぱりかなり大きくて周囲を代表する料理旅館やったんやな

それにしてもこの無骨なコンクリート造りかつ、ちょっとした洋風な意匠。とても良い

現在地の宝山寺駅から、さらに山上へと登っていくケーブルカーの線路。その名も生駒鋼索線。ケーブルカーを日本語で言うと鋼索鉄道らしい。初めて知った

そしてなぜか構内に存在する神社。駅の中に神社があるのって、かなりめずらしくないですか。私は初めて見た。名前からして水に由来のある神様かな

駅舎の中もこのように、ステンドグラスや明かりがなんともレトロモダンな雰囲気

開業直後のケーブルカー。左下はもしかして駕籠では?wikiには「明治5年までに交通手段としての駕籠はほぼ姿を消した」と書いてるけど、ケーブルカーの開通は大正7年で、明治5年からほぼ50年後。近鉄の生駒駅が大正3年開業なので、それまで生駒がかなり田舎だったことを示す写真といえるかも

日本全国のケーブルカーの長さ一覧とか初めて見た。そして生駒ケーブルカーは、日本で初の営業用ケーブルカーらしい。めっちゃ歴史ある!すごい。乗りに来てよかった
当時は山の斜面に鉄路を敷いて車両を走らせるなんてことは、国内のどこにも前例がなくて、海外の文献を参考にしまくったらしい。明治〜大正期なんてのは日本もあっちこっちで戦争やってたから海外視察なんて難しいし、大変な仕事だったでしょうね。プロジェクトXすぎる

そんな歴史を知ったこともあり、味のある車両が素敵やなぁとしみじみ思ってたら

私が乗るのはこっちでした。怖い。ブルドッグのブルちゃんというらしい。なぜ。怖い。電飾もすごい

えげつない傾斜です。このままダンボール敷いて滑り落ちれそう
大戦時には兵器生産のため、寺の鐘から一般家庭の鍋に至るまでいろんな金属が政府への供出を求められたのは有名な話ですが、生駒ケーブルカーの鉄路や車両も不要不急のものとして、いくつか持っていかれたらしい。全国にはそのまま廃線になった鋼索鉄道もあったみたいですが、生駒ケーブルカーの場合は、山上遊園地にある塔が海軍の防空監視所になったおかげで、すべての鉄路を持っていかれることはなく、戦後復活することができたとのこと。すごい話や。私は戦跡関連も大好きですが、そういった場所に行かなくても、かつての戦争の気配を感じることができる

出発5秒前ぐらいに運転手さんが乗り込んできて、てきぱきと準備をし、流れるように出発進行。フロントガラスの景色がすごい。ほぼジェットコースターの景色

緑の合間を駆け抜けていきます

途中でっかい廃マンションがあったりして思わず撮影。やっぱりこの辺りはもうちょっと歩き回って探索する必要がありそう

向かいからもう一両、怖いのがやってきた。ミケネコのミケちゃん

運転席はかなりシンプル。鍵を差し込んでボタン押して、握ってるハンドルで速度制御してるのかなと思ったけど減速時も動かしてなかったので、そういうわけじゃなさそう。運転手さんは右上に置いてる緑の巾着袋だけを持って乗り込んできて、ささっと運転していたので、さすがプロ。かっこいい

終着駅である鳥居前駅。今は鳥居の姿はどこにもありませんが、開業時は麓の参道入り口に大鳥居があったそう

終着駅から生駒山を見上げた景色。このケーブルカーができたことで、宝山寺や山上遊園地へのアクセスは抜群によくなったし、同時に麓から山中にかけての商店街や歓楽街は廃れていった。禍福は糾える縄の如しとはいいますが、少なくとも山の上に閉じ込められていた女という生き物が、今の私のように自分の足で好きなところへ行って好きなことを楽しめるようになったのは良かったのかもしれません

おしまい

QooQ