5月ハマサカステぶりの品川ステラボールで、このたびはミクステを観劇。ミクステは東京公演しかなかったので東京に2回遠征することになり、せっかくなのでステ以外にもいろいろ見に行くことにしました
ミクステとっても楽しかったー!!感想はベッターにまとめております
こちらは交換していただいてゲットしたブロマイドたち。交換してくださった方と感想お話しするのも楽しかったなーやはりライブにしろ舞台にしろ現場は楽しいです
夜は新宿にて、ぴこさんと飲み!昔はよくイベント後のアフターで新宿に飲みに来てましたが、ヒプにハマりハマにハマってからはアフターといえば横浜になったので、だいぶ久しぶりの新宿
おいしい料理をステハマ御三方にも見せてあげながら、ぴこさんといろいろたくさんお話しして、やっぱハマサカステヤバカッタデスネ話が一番白熱したかも、なんせ公演当時も狂ったLINE送り合っていたので…直接お話しできて本当によかった…今もまだハマサカステ引きずりまくってるし…お付き合いいただき大感謝…
次の日、せっかく新宿に泊まったので新宿で朝飯をと思い、卵料理専門店のハンバーガーをチョイス。ボリューミーで美味しかった
そして再びのステラ!
このブロマイド、御三方とも良すぎる。YUKI銃兎の挑発的な表情たまんねぇな
マチネ後、品川から目黒に移動。目黒川沿いに、いにしえのラブホっぽい建物を見つけワクワク。目黒って土地自体初めて来たから、もっといろいろ探索したいところ
「百段階段」に行きたくてホテル雅叙園に向かっていると、ホテルの敷地になんと「お七の井戸」なるものが。お七といえば惚れた男に会いたくて家に火をつけたことで有名ですが、その後、お七は江戸市中引き回し(木造家屋しかない当時、放火は重罪だったため)のうえ鈴ヶ森刑場で処刑され、惚れられた男の方は出家して、お七の供養のためにこの井戸の水で水行をした、という話。さすが江戸には有名な逸話に由来するものがいろいろある
雅叙園のフロントがなんかもうすごかった。ホテル雅叙園はもともと、日本料亭から始まり1931(昭和6)年に改めて目黒で「目黒雅叙園」としてオープン、日本最初の総合結婚式場だったとのこと。太宰治の小説にも登場し、絢爛たる装飾を施された園内の様子は「昭和の竜宮城」と呼ばれたらしい
昭和の竜宮城、めちゃくちゃ納得です。なんせエレベーターの扉がこの装飾っぷり。螺鈿なんかな?すごいとしか言えない
エレベーターの中もすごい。昭和初期にしかないエネルギーの爆発みたいなのをビシバシ感じる。圧倒的質量で攻めてくる感じというか
この日、百段階段では「鬼・妖怪」をテーマにした企画展をやってました。入り口には鬼や妖怪をえがいた絵画がまずお出迎え
月岡芳年による「新形三十六怪撰」のひとつ、「老婆鬼腕を持去る図:渡辺綱が取った鬼の片腕を伯母の姿をした鬼女が取り返しに来たの図」。月岡芳年の絵のタッチ、とても好き。足元の着物のシワとか美しすぎる
そしてこちらが来てみたかった百段階段。1935(昭和10)年築、もともとは目黒雅叙園の3号館にあたり、唯一現存する木造建築とのこと。90年前と変わらない姿と思うとすごい。古い木の手触りや色味のすばらしさが詰まっています
天井はもちろん、細部まで凝ったデザイン
電灯も空間や部屋によって違うこだわりっぷり
窓枠もおもしろいデザイン
階段の途中途中に部屋があって、どの部屋も信じられない豪華さ
天井や壁や柱にほどこされた絵がすべて立体。もう狂気すら感じる
この立体感。すごい。もはや怖い
こうした部屋の中に、さらに企画展の展示物もあるのでものすごい非日常感
こちらはまた別の部屋。部屋ごとにテーマがあるようで、ここは四季や草花の装飾
階段の途中でこんなふうに分岐してたり。迷路みたいでワクワクする
天井にたたまれたハシゴ?階段?を発見。一体どこにつながってるのか
個人的に好きだった展示品、大江山酒呑童子としもべたち。部屋の雰囲気にバッチリ合ってました
こういう装飾の細やかさも本当にすごい、日本伝統建築の見本市状態
目黒駅からここに来るまでがかなりの急坂で、その地形に沿って建てたからこんな風な階段廊下になったのかなと思いますが、階段自体まっすぐじゃなくて、ちょっとくねってるのもおもしろい
おそらく富士山を表した格子、かっこよい
こういう細部も抜かりなく
天井の装飾も立体的で、肉眼で見ると写真以上の迫力があります。ずっと情報量が多い
巨大な扇をかたどったような装飾で、ひとつひとつ描かれている絵がちがう。今の時代には造れんやろな
百段階段という名称ではありますが、実は99段しかありません。これには諸説あって、奇数のほうが縁起が良いからとか、100という完璧な数字よりあえて1つ引くことで更なる発展を願ったからとかいわれてるようです。完璧よりも未完の美しさを選ぶ、いかにも日本人らしい考え方でとても良い
最上階の部屋は入り口も立派。家やん
ため息が出る美しい格子。日本家屋の建具が生み出す光と影が大好きです
最上階の部屋は窓が多く、開放的な空間
空中を泳ぐ魚の群れ。真夏にぴったりの涼しげな展示でした
天井にも。夜に来館してもきっと幻想的やろな
すばらしかったです。奈良・洞泉寺遊郭に残る妓楼建築とかも含め、巨大な木造建築というのは圧倒的存在感を放ちながらも、どこか温かみだったり、かつてそこで暮らしていた人たちの気配が感じられる
帰りの新幹線ではお決まりの崎陽軒。横浜に行けなくても横浜を感じられる、ありがたや
そして2週間後。再びミクステ観劇のため東京にやってきたわけですが、その前にちょっと寄り道して、品川の一歩手前、大森海岸へ。ここにかつてあった色街の痕跡をたどるためやって来ました
しかし時間が本当になかった。品川ステラボールでソワレを観劇するためには、残り40分ほどしか時間がなく、というのも私がなんか京急本線で乗り間違えをしたうえ、気付けば大森海岸駅を通り越して品川駅に着いてしまっており、あわてて逆向きに乗り直して舞い戻ってきたというアホな動きをしてしまったせいです
というわけで超早足での大森探索。貝塚が発見された地だけあって、ガードパイプが貝のデザイン。これ見つけただけで、わざわざ乗り直して来た甲斐があったと嬉しくなりました。まぁすべて自分が悪いんですが
歩道のタイルにも巻貝。大森は海苔養殖発祥の地らしく、江戸時代には海苔の収穫が盛んにおこなわれていたが、戦後の埋め立てにより漁業権が放棄されたとのこと。街のこういうちょっとした装飾から歴史を知れるから、街歩きはおもしろい
そして大森のもうひとつの歴史が、色街であったこと。明治時代中期に海水浴場が開かれ人が押し寄せるようになったのをきっかけに、料亭や置屋が増えていき、大森新地と呼ばれる遊郭や三業地が形成されたんだとか。戦時中は付近が軍需工場化したものの、戦後は再び色街として復活、進駐軍の兵士などで賑わったが、やはり埋め立てや開発によってビルやらマンションが立ち並ぶようになり、街の姿もすっかり変わっていったとのこと
ネットでググってたらこんな古本を見つけ、非常に興味そそられる
そんな歴史と関係あるかはわからんが、私好みのドでかいラブホがありました。この外観。上部の無駄な装飾。たまらないな
京急本線に沿って歩いて行くと、古そうな蔵が
そして目的地のひとつ、磐井神社へ。創建年代は不明ながら、859年には歴史書に名が登場するかなり古い神社
その一角にある稲荷神社の玉垣には、かつて一帯にあった料亭や芸妓置屋の名前を見つけることができます
海岸が埋め立てられ街はビルやマンションに乗っ取られても、人々から忘れ去られても、かつての花街の記憶は確かに残されている。こういうのを自分の目で見られると本当に嬉しくなります
日露戦争凱旋記念に植えられたらしい銀杏の碑。ここらの花街もやはり、戦争特需を受けて盛況を極めたようなので、そういう感謝もあって植樹されたのかも
神社前の歩道にあった井戸。もともとは境内にあったが、国道の拡幅によって歩道に残されることになったらしい。この井戸が「磐井」と呼ばれ、現在の神社名の由来。東海道を往来する人々の喉を癒した、古来よりの霊水とのこと。今はでっかい国道を車がビュンビュン走ってて、歩行者の姿はほとんどないけど、この道はかつて江戸と京都を結ぶ東海道として、たくさんの人々が行き来してたという証
そして時間の猶予はまったくなかったが、ここだけは見に行きたいと、超ダッシュで大森海岸駅まで戻ってさらに北側へ。かつての街の様子を伝える建物は解体されてほとんど残ってませんが、数少ない遺構がこちら
大正13年創業、ここらが花街として賑わっていた頃からの料亭で、現在は洋食屋さんとのこと
この玄関口。ワクワクします。なにげに円柱が良いアクセント
店頭には古写真がいくつか飾られていました
本当ならこの店でご飯いただいて、可能なら店の方にお話もお伺いしたかったところ
でもこの姿が見れただけでかなり満足。ちなみに大森海岸には現在も置屋があり、芸妓さんを呼べるらしい
というわけで再びダッシュで大森海岸駅に戻り、無事に品川にてミクステ観劇。そして観劇後も、再びダッシュで品川駅から横浜駅へ向かってTジョイ横浜へ。目的はもちろん…
久々のヒプムビ!久々のヨコハマ優勝!ハマサカステの時もやけど、ミクステ浴びた後で見るムビはまた違った良さがあって最高〜〜〜でした
さすが俺たちのTジョイ横浜、レギュラー上映はなくなってもパネルを設置してくれる。ありがとうありがとう!
大変気分が良かったので横浜駅前で祝杯をキメました。ちょうどコエドビールの「青碧」があって、ハマにピッタリやないかいと即注文。爽やかで美味しかった。ネットで買えないかとググったが季節限定ですでに販売終了しており、涙
2杯目はおなじみBREWDOGのPUNK IPA。よくイオンとかでも置いてるやつです。美味しい。そしてこのお店、ごはんメニューもチーズ系が充実しており大変美味しかった
横浜で飲んだあとは再び京浜東北線を逆戻りして、本日の宿泊地である蒲田へ。せっかくなのでアイス食べながら夜の街歩き。蒲田も色っぽいお店多いので、看板を見てるだけで楽しい
この日、蒲田は夏祭りをやってたようで、夜の街には男と女があふれ返っておりました
次の日。京急蒲田駅あたりを歩いてて見つけた、イカした建物
個人病院だったようです。ただの病院とは思えぬ物々しい雰囲気。まるで牢獄のようですが、果たしてなんの病院だったのか
周辺も良い建物が多かった。一階とはズレた角度で造られた二階部分、芸術点高い。一階のガレージを後から増設したのかなと予想しつつ
スナックっぽい店もちらほら。JR側に比べると京急側は駅前なのにずいぶんさびれた雰囲気でしたが、夜はもう少し華やかなのかも
お目当てだったのはこちら、世界一を獲ったキューバサンドが食べられるお店。えらい朝から営業してました
キューバサンドには世界一verと蒲田verってのがあって、店員さんにどっちがおすすめか聞いたら蒲田と言われたので、言われるがまま蒲田verを注文。表面がカリっとしてて、ハード系のパンが好きな私には好物の味でした
再びJRに戻り、南武線でやって来ました神奈川県川崎市の津田山駅。実は川崎市にある円筒分水を前から見に行きたいと思ってて、この日ついに津田山駅から歩いて行くことにしたんですが、結論から言えば絶対に遠くても溝の口駅から歩くほうがいいです。どえらい上り坂に挑戦するはめになった
さておき本日のマンホール。ツツジとおそらくツバキ?なかなか華美なデザインです。少女革命ウテナみがある、よく画面でくるくる回ってたやつ
水路好きワイ、さっそくデカい水路を目にし、ブチ上がる
こちらの平瀬川は、写真の視線の先にある台地の下のトンネルを抜けて多摩川に合流する一級河川。下流では涸水が危ぶまれる一方、上流では雨によって毎年のように氾濫が起こるややこしい川だったようで、ここ津田山に2本のトンネル(津田山隧道)を掘り、流量をコントロールし始めたのが終戦時の昭和20(1945)年のこと。いわばこれもドデカい暗渠
というわけで、平瀬川同様、私もこの台地を抜けて行かなければなりません。重い荷物を背負って激しい太陽光にあぶられながら、ハンパネェ階段をいくつものぼっていきます。本当につらかった(本音)
気づいたら私は「尾根」にいた……まぁ確かに津田「山」やもんな……まさか円筒分水を見るために軽い山登りをすることになるとは思ってなかった
尾根を越えると一転、今度はくだり道。途中で見かけた良い雰囲気の神社。こじんまりしてますが、木々が生い茂っているだけでも涼しげでありがたい
ようやく円筒分水も間近、というところでまず水門を発見。平瀬川と二ヶ領用水の合流地点です。二ヶ領用水は、1597(慶長2)年から14年の歳月をかけて完成した、神奈川県下で最も古い人工用水。「二ヶ領」という名前は、川崎領と稲毛領にまたがって流れていたことに由来し、江戸時代はおもに農業用水として、近代には工業用水や横浜の外国人居留地の飲料水としても利用されていたらしく、まさか横浜も関わってくるとは思わず脳汁ブシャーッ
こちらが二ヶ領用水と合流したのちの平瀬川。野鳥が飛び、釣りに興じる方がいらっしゃったり、水の豊かさを感じられます
で、これが先ほど踏破してきた台地の下をくぐり抜ける津田山隧道。左側のほうが古く1940(昭和15)年から掘られ始めたもの、これだけでは水量に対応できなかったため右側のトンネルが掘られ、1970(昭和45)年に現在の姿になったとのこと
水をコントロールするための懸命で無骨な造りに、先人たちの知恵と努力が感じられて本当にかっこいい、千刈ダムに似た力強さを感じる。水路やダム、橋、鉄路といった土木建造物は、必ず造られた理由があって、人間が克服したい課題があって、その解決策として築かれたものなので、機能性と人々の願いの両方が込められていて殊更に美しく思う
そしてこちらが!ついに!見たかった円筒分水!この姿が目に入った途端、山越えの疲れも吹っ飛び大興奮しちまいました
滔々と水が流れるさまのなんと美しきこと。古代神殿のよう
こちらの久地円筒分水は、なんと国登録有形文化財。川から流れてくる流量が変わっても分水比が変わらないまま分水できる装置で、昭和16(1941)年建造。その技術力は、戦後GHQが視察に訪れアメリカに紹介されたほど
そもそもこの分水装置が造られたきっかけは、前述の二ヶ領用水。江戸時代、治水と新田開発のために造られた二ヶ領用水は、分量樋によって4つの堀に分水されていたが、どうしても流量によって分水比が変わってしまい、さらに流域の水田が拡大していくとともに水不足が深刻化し、水騒動が頻発するようになったとか。しかも自分の地域の水量を増やすために勝手に水路を堰き止めたりと、まさに我田引水をする人たちも出てきて、文政4(1821)年には「溝口水騒動」が発生。水を堰き止めていた名主の家を農民たちが襲撃して、幕府から処分されるなんて大事になったらしい
それほどに当時、用水というのは生活や生き死にに直結する重要な課題で、より正確な分水管理ができる分水装置が必要となって造られたのが「久地円筒分水」というわけです
こういう記念写真が残されてる時点で、地域住民や関係者たちにどれほど期待され望まれた存在かがわかる
この土地ならではの課題があり、苦しんでいる人たちがいて、それを解決するために生み出された久地円筒分水。現在は都市化・宅地化によって、農業用水としての役目はほとんど失われているようですが、初期の貴重な円筒分水例として、またこの存在があることで地域の歴史も学ぶことができる、こんなふうに人と街の物語が感じられるから土木建造物というのはおもしろい。自然をいかに克服してきたかという戦いの歴史が、こんな美しい造形物に残されている
今も円筒分水によって分水された水が、各水路へと流れています。こちらは水路沿いに緑道が整備されていたり、とても良い雰囲気
立体的に水があちこちに流れているさまを眺めるのは、なんとも癒される
水中にも草が繁茂
こんな真夏の真っ昼間にこんなとこ来てるの私ぐらいかと思ったら、他にも何人かご年配の方だったりが円筒分水を眺めてて、やっぱりこういうのに魅力を感じる方もたくさんおられるんやな。本当に見に来てよかった、自分の目で見れたことが何よりも嬉しかった。円筒分水という装置自体は日本各地にあるので、他県のも見に行きたい
それにしても、こんなイカつい鉄筋コンクリート造の水路だというのに自然が豊か。野鳥がひっきりなしに飛んできます
平瀬川はここから北上し、すぐ多摩川と合流
せっかくなので水路沿いの緑道を歩いて溝の口駅へ向かっていると、ちょうどよく紹介看板が。春には桜も見れるみたいで、きれいでしょうね
歩いてるうちにでくわした、水路に架かる橋の上から伸びた歩道橋
水路の上を縦断していく、こんな歩道橋めずらしいなとつい興奮を覚えてしまった。両サイドが狭い車道やからこそ生まれた構造。これも課題を克服するための土木建造物
しかしあまりの暑さに、コンビニで休憩がてらアイスを購入する始末
そして本来ならば、溝の口駅から東急田園都市線に乗って駒沢大学駅近くにある駒沢給水所配水塔を見に行くつもりだった、のに、ここでも前日同様アホな乗り間違えをし、完全に逆向きに乗ってしまい、もうダメだ〜!いっそ横浜いったれ〜!となって、あざみ野駅で横浜市営地下鉄ブルーラインに乗り換え、桜木町駅で降りたちました。昨日から横浜と東京を謎に反復横跳びしとる
大岡川の河口付近を歩いてると、クラゲの大群を発見。ちょうど福澤侑さんのラジオにYUKIさんがゲスト出演した時のやつを聞いてて、二人とも海水浴が苦手という話をしており、ざわゆさんが「クラゲとかいるし」って言ってたのを思い出した、という写真
そしてミクステ大千穐楽を家でアベマで見るため帰路につきました。もちろん買うぜ崎陽軒。いろいろハプニングはありましたものの、大変楽しい旅でした
おわり
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