久々の遊郭跡地めぐりついでに、気になってたローカル線・水間鉄道に乗って水間観音にも行ってきました
その前にまず見ていただきたいこちら、関西空港の一駅手前「りんくうタウン駅」のホームですが、「関西空港駅」と同じく、JRと南海鉄道が共同使用している駅です
だからなんやねんと言われたらそれまでなんですが、JRと南海が同じホームに並んでるだけで、ちょっとテンション上がっちゃうわけです。元・国鉄と私鉄というライバル同士なわけですし。たとえばJR難波駅と南海難波駅なんか、同じ駅名を名乗らんとってくれってぐらい離れてたりするので
南海らしい赤と、JR西日本らしい青の看板が並んでるだけでワクワクしちゃう。そして本日は南海に乗って、貝塚駅へと向かいます
南海貝塚駅から水間鉄道へと乗り換えるエスカレーター、今から立派なお寺に参拝に行きまっせ感をめっちゃ出してくれてる。昔は寺社仏閣への参拝客輸送のために設置された、いわゆる門前駅がたくさんあったことを思い起こさせます
こちらが水間鉄道の貝塚駅。風情がありすぎる駅名標と、な、なつかし〜!!昔こういうイス多かったよね!!なイス
車体も味が染みまくってる。山陽鉄道と良い勝負
そもそも水間鉄道自体、大正時代に水間観音への参詣鉄道として敷設されたもので、最盛期の昭和40~50年代には年間約400万人が利用していたとのこと。バブル崩壊後は経営破綻に陥りましたが、今でも参拝客や地元民の足として頼られてるんやなぁというのは実際に乗車してみて感じました
車窓の光景がザ・ローカル線しててとても良い。レールに迫るように両側に住宅が立ち並び、途中おばあさんがレールのすぐそばで植物に水をやったりしてて、おばあちゃん轢かれるで!とヒヤヒヤしたけど、地元民にとっては当たり前の光景なんやろな
終着駅の水間観音駅に到着
いにしえのくず入が現役で活躍中。「駅を美しくいたしましょう」という美しい日本語
車止めに植木鉢が置いてあるのも、めちゃくちゃローカル線らしくて素晴らしい。ローカル線って駅のホームとかによく、個人の方がお世話してはるんやろなって感じの植物が置いてあるイメージ。徳島旅行で乗ったJR四国の牟岐線とか
そしてこちらはホームに静態保存されている古い車体。保存というよりは放置に近いが、廃墟好きとしては、この風雨にさらされ朽ちるままになってる姿も大変そそられる
一応階段が設置されてて車内にも入れるようになってるっぽいが、外観はどこも錆び錆びなので、中に入るのは危険そう。撤去するにもお金がかかるし、このままここで乗客や地元民に見守られながら朽ち果てていく運命なんやろな
なんと駅舎は1926(大正15)年開業当時のもの!昭和の香り〜と思ってたけど大正の香りでした。すごい
駅のロータリー前がもうこの雰囲気です。ワクワクしてしまうじゃないか
というわけで早速、水間観音に向かって出発。駅から寺までは真っ直ぐに整備された道があるんですが、わざと脇道に逸れ、昔ながらの道を歩いて行きます
歩き始めてすぐ気づいたが、町中にたくさんの水路が走っており、前日が雨だったこともあってたっぷりの水がザバザバ流れていました。そう、水間の町は水路だらけな町だった…!!これには水路好きワイ大興奮
ここなんか、ごく普通の民家のそばを流れてる用水路だというのに、かなり複雑な構造をしています。まず二叉路にわかれ、
一方は別の用水路と立体交差。何これ、興奮しちゃう
民家の前をがんがん水路が通ってるので、家からも小さな桁橋を渡って道路と行き来することになる。良いですね〜〜生活に密着した水路の姿
水の音に誘われるがまま小道を進んでみると、
良い感じに醸成されつつある廃墟が
いくつか扉が並んでたので、個人宅というよりアパートだった様子
実を言うと、水間観音のような古くて大きな寺には、周辺や参拝路に精進落としのための色街があるんちゃうかなぁという下心があり、生駒の宝山寺にある生駒新地や、横浜の成田山参道、信貴山の参道みたいな感じで、色っぽい建物があるかもと思ってたんですが、正直まったく見当たらない。そしてその理由は後々わかることに
参拝路にたびたび現れる可愛い像。これは水間観音の成り立ちに関わる伝承で、かつて病床に臥せっていた聖武天皇が夢で「観音菩薩をお迎えすれば病気が治るぞ」と告げられ、天皇から勅命を受けた行基が観音菩薩を探していた時に、十六人の童子が現れて、行基を水間にある滝へと導き、そこで行基は観音菩薩と出会えた、という話。その十六童子をモチーフにした像が、水間観音までの道に飾られています。みんなクセ強めの顔しててかわいい
そして再びの水路散策。こちらも複雑な構造。小さい水門まであってテンション上がる
高低差のある水路も
こんこんと水を湛えた光景、絶え間ない水の音。昔から変わらない景色なんやろなという感じ
大きなお屋敷の玄関には、洗い場やったんかなという感じの場所が
名前的に親近感を覚えずにいられない童子。顔も酔っ払ったみたいな表情しとる
興味深かった謎の構造。なんのために設けられたスペースなんやろか
こちらは用水路が建物の下を通ってるパターン。私が大好物なやつ
こんな風に水路が建物の下を抜けていって、
隣りの建物の下にも続いていく。水間がこんなに水路天国とは知りませんでした。やっぱ自分の足で歩いて自分の目で見て初めてわかる魅力が、どんな土地にもある
そして水間観音に到着。立派な参拝橋!橋の下を流れる近木(こぎ)川は、葛城山から貝塚市を縦断し、大阪湾にまで至る二級河川。荒々しくて迫力満点
参拝前に、周辺を少々散策。寺の前には、かつて料理屋とかなんか商売してはったんやろなという感じの、大きな建物がちらほら
実はまだ寺周辺で色街の気配を見つけられないかと探索してたんですが、見つからずじまい。とはいえ良い佇まいの建物がたくさん
このお屋敷もかなりの大きさ。複雑に組み合わさった瓦屋根がかっこいい
近木川沿いの建物の雰囲気も良い。なんとなく橋本遊郭を思い出す
こちらは近木川の支流、秬谷(きびたに)川。蛇行に沿って組まれた石垣、繁茂する緑、すばらしい景観
ようやく水間観音へ参拝。石柱に書かれてますが天台宗別格本山とのことで、つい先日に祖母のお葬式を天台宗でおこなったばかりだったので、これも何かのご縁やなぁとしみじみ
ちなみに祖母の初七日法要の時、お坊さんと一緒にお経を一部だけ唱えたんですが、言葉難しくて舌まわらんわ、息が全然続かんわで、なるほど修行僧の波羅夷空却がラップの才能あるのも納得というか、読経ってめちゃくちゃ滑舌と肺が鍛えられるなと思ったりした。お坊さんもやっぱ読経のときにエエ声してはる方が人気らしい。ラッパーに向いている
参拝橋から見下ろす近木川、ド迫力!水の流れ豊かな谷間、地名が「水間」なのも納得の光景
お寺側から道路側を見れば、道路下の石垣にいくつかの穴やら何やらが見える。こういうところを橋や治水施設専門家と見て回れたら楽しいやろな〜〜レンタル博士させてほし〜〜〜
橋だけじゃなく建物も立派。言い方悪いがこんな田舎のお寺なのに、三重塔まで。今は田舎でも、昔は多くの人で賑わった土地やったんやろな。現地に来るまで水間観音がこんなにおっきなお寺とは知らず、失礼いたしました。そら参拝のための私鉄が生まれるはずやわ
境内には日露戦争の慰霊碑が。兵隊さんの石像も
めちゃくちゃ立派な本堂
本堂の真裏にも参拝所が。本尊はもちろん正面側にあるんですが、真裏にこんな風にひっそりとあるのも、隠し本尊(?)ぽくてわくわくしちゃう。太陽の塔みたいに裏面に真の顔がある的な
明治三十一年ものの銘板も発見。「永代日御膳」というのは毎日ご本尊の御膳をこのお金で賄ってもらうための高額な寄付金で、これによって永久に自身の墓前へ膳を供えてもらう、いわば永代供養的なことらしい
そして本堂の横手に唐突に現れる鳥居。こんなところで神社要素が出てくるとは、さすが神仏習合の日本文化。と思ったが、鳥居って必ずしも神社にあるとは限らず、むしろ神社というものが造られる前から鳥居は存在したらしく、シンプルに神域の入り口を示す場合もあるとのこと。どおりで、この先どんだけ探しても神社っぽいのがないと思った。ひとつ勉強になりました
そして先ほどの鳥居が神域の入り口を示していた理由はこちら
この滝で行基は観音様と出会い、水間観音が建立されたとのこと。看板に「パワースポットです」と書かれており、パワースポットかはわからんが滝の音と清浄な空気があいまって、心地よい空間ということはわかる
神域側から見た鳥居。神社特有のものじゃないとわかっても、神道由来の鳥居と仏教のお堂が一緒の画角に存在するのは、日本特有の光景でおもしろい
扁額もなく静かに苔むしていく鳥居。良い佇まい……こんな風に老いていきたい
なんか珍しい形の石灯篭。クリーチャーみたいなんが足元を支えとる。水間観音の境内にはこのパターンのやつが何台かありました。奉納金が高そうということはわかる
水間観音駅まで戻ってきて、電車を待つ間に駅前のラーメン屋でラーメンいただきました。店はママさんが一人で切り盛りしてて、カウンターだけの席に地元常連客だという二人連れが酒飲んで煙草吸いながらママとわいわい喋ってて、常連客のおじーさんの方が唐突に私に「コショウあるで」と差し出してきたので受け取ったら「500円」と言われ、ケンミンショーかってぐらいピュア大阪人のノリを食らって楽しかったです。もちろん500円はとられなかったし、なんなら「ネエちゃん吸うんか」と煙草一本もろた
水間は大阪府ではあるがだいぶ和歌山に近いので、ママやお客さんらの言葉がちょっと和歌山っぽいというか、大阪市内の人間に比べたらわりと乱暴に聞こえる口調でおもしろかった。大学時代にバイトしてた居酒屋のマスターが和歌山出身で、たまに地元の連れが来ると、喧嘩してるんか?みたいな口調で仲良く喋ってたのを思い出しました
再び水間鉄道に乗って、貝塚駅へ戻ります。行きしもでしたが、この線路両脇に住宅が迫ってくる光景、ザ・ローカル線で最高。こんなとこJR新快速が爆走したら家の塀が吹き飛んじまう
駅には昔の水間鉄道の写真展示も。田んぼと小屋と遠く連なる山々、今よりもなおのどかな景色
さて貝塚駅で下車し、貝塚の街歩きを始めます。可愛らしいマンホールデザイン。KAIZUKAの「I」を市花コスモスの茎で表すというニクい演出
駅前から近木町周辺へと歩き始めると、さっそく何やら趣深い建物が。一階は現在、喫茶店になってますが、ファサードからして只ならぬ雰囲気
二階の肘掛欄干にご注目。凝った装飾がされています。奈良の洞泉寺遊郭を思い出す
こちらはいかにも艶っぽい朱赤の壁が圧巻。少し前まで料亭として使われていたとのこと
貝塚のほぼ駅前といえる場所にあるここら一帯は、貝塚遊郭あるいは近木新地と呼ばれた色街。江戸時代、大坂と和歌山を結ぶ重要な街道だった紀州街道の近辺に、旅籠が多く建ち、そのうちに風俗営業も始まったのが貝塚遊郭の原型。明治には公認遊郭となり、とはいえ主要街道沿いに遊郭はよろしくないとなって、大正期に現在の近木町周辺に移転。昭和12年には300人の娼妓を抱えていたとのことで、地方遊郭ながらかなり繁盛していた模様。というのも日中戦争が始まり、出征していく若い兵士の筆おろしのため、こういった場所が利用されるのは当時の常識だったとか。さらに、もしかしたら水間観音への参拝客の精進落としとしても利用されていたのかもしれず、やから水間観音のそばには逆に色街がなかったんかなと。こうして発展していった貝塚遊郭も昭和20年に空襲を受け焼失、戦後は赤線として復活し、地方のため街の大規模開発がおこなわれることもなく、今も妓楼建築やカフェー建築が残っているというわけです
地方行政としては大変やろけど、色街を歩くのが趣味な人間にはありがたい。東京の吉原に行った時は現役風俗街すぎて、街中でまともに写真が撮れず、それでもわずかに残された古い建物を見つける楽しみはありましたが
それにしてもこちらの建物、壁の色味の素晴らしさはもちろん、丸電灯が取り付けられた入り口のデザインも良い
表玄関もこの立派さ。数年前まで料亭として営業してた時は、当然店内も見て回れたんやろな〜〜うらやましい〜〜〜〜
貝塚遊郭の妓楼建築が生き残ってる理由は、再開発されてないからってのもあるが、料亭や喫茶店などの店舗、あるいは住居として現在も使用されているからってのもあるっぽい
こちらの建物も、ただの住宅にしては迫り出した窓下に朱色の木板が使われてたり、二階の欄干が凝ってたり、色っぽい雰囲気が残されててたまらない
引いて見るとこんな感じ。複雑な構造でおもしろい。内部どうなってんねやろ
こちらの建物も現在は料亭として使われている様子
ひさしの裏側に装飾が施されてるの、吉原遊郭でも見た。こういうパッと見では気づかない意匠のこだわり素敵
「新地」という名前が残されてる電信柱
漂うカフェー建築の香り
ここは「新地」の電信柱が残ってる通りなだけあって、すばらしい景観
間口は狭めやけど、玄関上の照明といい二階の欄干といい、細部のこだわりが伺える
こういう出入り口が2つある建物は、まさにって感じで良い
塀の飾り瓦が波みたいな造形?変わってておもしろい。ここ貝塚はもともと「海塚」の字が使われてたことからしても、海や水辺に由縁があるんやろな
玄関のところ、タイル貼りなのか私の大好きな緑青なのか。左右どちらの窓も凝ったデザイン
こういう狭くて高低差がある通り、ワクワクする
段差をのぼった先にあった建物。斜めになった入り口がいかにも
大きなお屋敷も多いです。往時の賑やかさを偲ばせる
細かいモザイクタイルに独特なファサード。ただものじゃないというオーラがビシバシ
二階のタイル飾りがおもしろい。本当に個性的な建物が多くて見てて飽きない
思わずウワ〜オ!となった肘掛け欄干
玄関の意匠も良すぎる。こんな家に住んでみたい
こちらもかなり大きかった建物。窓の格子といい壁といい、こだわりがすごい
木造電柱が生き残ってました
こちらが駅前商店街。一本通りを入れば貝塚遊郭のエリア
街灯といい立ち並ぶ建物といい、風情たっぷり
商店街の中でもひときわ大きかった建物。元は料亭や旅館だったりしたんかな?維持していくのも大変そうですが、とても綺麗な佇まいでした。棄てられ荒れ果てるままになってる廃墟も好きやけど、こういう人々の保存していこうという意志や努力を感じる建物もとても好き
ところで以前に飛田新地の周辺を歩いたんですが、飛田は現役ばりばりの風俗街のため街中で写真を撮るのはお店にもお客さんにも迷惑なのでマナー違反、しかし中心地からちょっと離れた場所にも見事な妓楼建築を見つけました
これはすごい。カフェー建築っぽいデザインと融合してます。洋風部分はあとから改装したんかな
洋風部分の上、二階に小さいベランダっぽいのもあって、本当におもしろい。すぐ真横の電柱に「トビタ」と書いてあったので、ここも飛田の一角であるのは間違いなさそう。出来る限り長く残ってほしい建物
楽しい街歩きでした。おしまい
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