柳田國男の故郷でカッパと戯れ、カッパ寿司でハマのアクスタをGetし、水門や古道を見に行く

2025年3月20日木曜日

オタ活

t f B! P L


播但線に乗り、降り立ちたるは福崎駅。マンホールに川の流れと植物が描かれた、いかにも自然豊かなこの町で有名なものといえば

そう、駅前でさっそく迎えてくれるコレ

ご存知カッパのガジロウ。カッパが「ようこそふくさき江」ゆうてはる

おもてたよりも……デカイ……………
このガジロウ、福崎出身の民俗学者・柳田國男の著書に出てくるカッパがモデルとなってるわけですが、なんかもし人間に捕獲されたカッパがこうして看板を持たされ、延々と出たり入ったりを繰り返させられて駅前で見せ物になってるのかも、と想像すると不憫すぎましたが、たぶんそんなことはない。たぶん
『遠野物語』の舞台である岩手・遠野に行くよりずいぶん前から、柳田國男が福崎出身っていうのは知ってたものの、今回祖母の入院見舞いにかこつけてようやく訪れることに

祖父母の家周辺と同じく、このへんはイカつめの水路が家々の合間を通っていて、とても好きな景色。私の無骨な構造物好き&水路好きのルーツはここかもしれん

車道の橋と歩道の橋が分離してるの、そうそう見ないのでテンション上がりました。あとで福崎町の資料館で読んだ記事によると、もともと右側の橋が架けられていたが交通量の増加にともない事故が増えたため、歩道用の橋を別に造ったんだそう

橋からの眺めが大変良い。まさに里山の風景という感じ。柳田國男もこういう景色を見て育ったんやろな

柳田國男の出身地である辻川エリアは、福崎駅から川を越えた先。いまは町の中心が電車の沿線上に集中してるけど、昔は辻川のほうに街道があって、人や物の行き来がさかんだったとのこと

というわけで辻川に来ると、さっそく妖怪たちが町のあちこちに

メルヘンな馬とコラボするリアルな妖怪という、非常にシュールな光景。作画が違いすぎる
辻川は「銀の馬車道」が通っていた場所。かつて生野銀山での採掘に関する物資輸送のために官設の馬車道が敷かれていて、近代産業遺産・日本遺産にもなってます。「銀の馬車道」にはいろんな鉱山関係の遺構が残っているので、いつか踏破したい

柳田國男の生家に行く前に立ち寄った、鈴の森神社。なんかすでに良い雰囲気醸し出してるなーと思ってたら

お名前がガッツリ残されていた。まちがいなく國男も何度も足を運んだだろう場所

こちらの神社、決して広い境内や壮大な拝殿があるわけでもないけど、空気感がめちゃくちゃ良かったです。清廉な雰囲気というか、かといって近寄りがたいわけじゃなく、静かで穏やかで

拝殿前には明治三十六年という文字が。神社の創建年代は不詳、明治時代には村社として登録されていたようで、おそらく遠方からわざわざ参拝客が来るような大きな神社ではないが、地元でずっと大事にされてきたタイプ。とても良い

拝殿から続く本殿が、だんだん上がっていくおもしろい構造。単に山の斜面に沿ったのかもやけど

境内を出ると、すぐそばにはなんとも目を惹く洋館が

言っちゃなんですが、こういう田舎でこんな建築物めずらしいな!と思ったら、元は明治19年に建てられた役所の建物で、当時もやはりめずらしく町のシンボル的存在だったようです。「となりのトトロ」の家っぽさもある。現在は資料館となっていて、無料で見学可能

そしてお隣にあるこちらが柳田國男・松岡家記念館。柳田國男は松岡家の六男で、他の兄弟たちも学問や芸術に秀でていたようです
館内の資料は基本撮影禁止でしたが、一番テンション上がったのは柳田國男関連の本が置かれたスペース。國男の著書及び蔵書が本棚いっぱいに詰められていて、ここにおるだけで一週間は過ごせるぞ的なボリュームでした。実際、近くには大量の書物とともに過ごせる宿屋もあります

ほがらか國男像。石碑には國男が帰省した際に、旧友たちから昔のあだ名で呼ばれ、「当時を思い出すなぁ〜なつかしわぁ〜」と感じたみたいな詩が彫られてました。気持ちわかるわかる

こちらが國男の生家。いかにも日本の民家といった佇まい

柳田國男はこの家を「日本一小さい家」と記していて、民俗学を志すきっかけになったとも。現在は鈴の森神社のそばに移築されてますが、元々は辻川の街道沿いに建っていて、いろんな人が行き交い、いろんな話が飛び交ってるさまを幼い頃から見てきたからこそ、「遠野物語」のような伝え聞きの物語にたどりついた、的なことが書かれてました。なるほどーやっぱ幼少期の体験って人生に重要な影響を残すんやな

近くの公園にはコンテストで募ったという妖怪銅像がずらり。この像とかめちゃくちゃかっこいい、ジョジョ的な躍動感がある。なんならジョジョ4部みがある、住んでる町に起こった不可思議な現象や違和感から始まるストーリー的な

小屋からは、なぜか逆さ吊りの天狗が出てきます。なぜ。この天狗、前後に行き来しながら喋るんですが、ずっとノムさんなみにボヤいてておもしろかった

池には待機中のカッパが。このカッパも水上に出現してくれるはずが、私が見てるあいだは出てきてくれなかった。昼間やからいいけど、夜にこうやって沈んでる姿見たらけっこう怖そう

ガジロウ…(´;ω;`)

たまたま通りがかったお堂では、柳田國男と兄弟たちが堂の床下で生まれた子犬をつかまえたっていうエピソードが記されてました。我が母と同じようなことしててなごむ

こちらの三木家は、姫路藩の大庄屋として地域の政治や文化の中心的存在だったお家柄。柳田國男は幼少期にここに預けられ、大量の書物と出会って日々読みふけっていたらしく、國男の後年の活躍には欠かせない経験だったとのこと

縁側をのぞむひろーい客間

格子が生み出す光と影

天井には二階に上がる階段が。からくり屋敷みたいで楽しい

屋敷の奥の方の雰囲気がたまらなかったです。「百鬼夜行抄」の律の家みたいに、いろんな怪異が起こりそう

こういう建具による陰影の美しさも、日本家屋ならでは


日本家屋が生み出す独特の闇、なんなんでしょうね、西洋建築のパキっと分かれた暗闇というよりも、こう徐々に飲み込まれていくような闇。とても好きです

公開されてるのは母屋のごく一部で、さらに離れやら酒蔵やら厩やらがあったというからすごい

三木家のすぐ近くに建っているこちらは、元郵便局の建物

ドアにうっすら前世のなごりが。今はカフェとして使われてる模様。妖怪ブックカフェと書かれてたので立ち寄りたかったが、なぜかこの日は営業してませんでした

ところで福崎周辺はもちむぎの産地で有名らしく、昼飯にもちむぎそばをいただきました。文字通りもっちもちで美味しかった

町内には他にも良き建物がたくさん。かっこいいフォントの「洋品雑貨」

こういうY字路にある建物はなんとも風情がある。区画整理がおこなわれる前の時代にしか生み出せない建物として

異様な存在感があった複合施設型廃墟

水路沿いの家々も蔦が茂り、朽ちていくままに。かつては鉱山の輸送路として賑わった町の栄枯盛衰

駅前に戻ってきたらガジロウが人々に囲まれてました。外国人観光客たちもカメラを向けていた。よかったねガジロウ

ところ変わって、今度は播但線の京口駅。この日は自分の誕生日で、ちょうどかっぱ寿司とヒプマイのコラボが始まったところだったので、朝から寿司を食うという贅沢。噂には聞いてたけど、寿司といっしょにアクスタがレーンで運ばれてきて笑った

寿司屋のハマか〜わいい〜〜〜〜ん

よく見たら左馬刻のピアスが増えているので、ヒプムビ仕様。かわいい〜〜〜〜〜ん

寿司とパフェで腹を満たし、京口から北上していくと、何やら家の合間から急に異質な存在が出現。こういう日常風景に溶け込んだ異物が大好き

どうやら浄水場の様子

Googleマップ見てたときに、でっかい丸い円が何個かあって何かと思ってたけどこれだったらしい。そして今から行く場所も水ゆかりのスポット

砥堀に向かって歩いていると見えてくる、レンガ造りの樋門

飾磨樋門と呼ばれるこちら、元々は1600年代に姫路藩主の命によって築造されたと見られ、現在の樋門は明治36年に造り直されたもの
昔から地域一帯の田畑への取水、姫路城の濠への給水など、治水に欠かせなかった存在。明治の廃藩置県によって管理責任が姫路藩から村へと移され、地元有力者が中心となって樋門を守ってきたらしいですが、川が決壊し大洪水が起きてしまい、レンガと花崗岩による頑強なものに造り替えられたようです
私の祖父母の家周辺をはじめ、福崎でも用水路や側溝が多いなと思ってたけど、考えてみれば当たり前で、田畑に水を引くためにこういう設備が昔から造られてきたんやなと。長年、水害や飢饉を防ぎ、人々の暮らしを守るために藩や村々によって管理されてきたと思うと胸アツ

めちゃくちゃ立派な記念碑もありました。樋門改築に対する人々の並々ならぬ想いが伝わってくるよう

こちらが生野銀山から姫路を通り瀬戸内海までつながっている広大な市川。この水量をコントロールするために、いろんな水門や治水設備が必要やったんやろな。恵みでもあり脅威でもある、それが自然の力

100年以上前に造られた樋門が、いまも川の氾濫を防いでくれていて、この穏やかな景色を守ってくれている。先人たちの苦労や尽力に感謝

その後、母と合流し誕生日ランチをしまして

夜は祖父母宅でひとり晩酌。誕生日にちょっとした旅と美味しいご飯と酒と推し活を楽しめてベリーハッピーでした

別日。福崎を通っていた「銀の馬車道」の遺構が近くにあると知り、今度は姫路駅から山陽電車に乗って海方面へ。ずっと読み方がわかってなかった飾磨(しかま)駅で初下車

まずは腹ごしらえと爆食ランチ。エビフライが突っ立ってるのが半熟卵入りのタルタルソースなんですが、めちゃくちゃ美味しかった。これでさらにライスおかわり自由。サービスが過ぎる

腹がはちきれそうになったところで、飾磨の街歩きへ出発。野田川を渡る山陽電車、風情のかたまり

野田川に沿って河口方面に歩いていきます。さっそくドデカ水門を見つけワクワク

途中で見つけた「姫路藩御船役所」の石碑。説明によると、藩主・池田輝政が創設した水軍組織が置かれた場所とのこと。ここら一帯は「飾磨津」と呼ばれ、姫路城下の外港として荷物や人の輸送など、非常に重要な役割を担っていたらしい。経済的にも、城下町の守備防衛的にも、大事な場所やったんやろな。なので姫路藩の水軍が置かれた、と

さっき遠目から見た水門、近づいてみると大変立派

水門のすぐそばにあった建物、おもしろい構造してるな、なんらかの治水の役割があるんやろなと思ってたら、排水機場とのこと。水門を閉じたときに水を川へと排水するための施設らしい

川を渡る橋に「向島」とあったので、さてはこのへんは向島という名の中洲やったんか?と思ったら大当たり。姫路城の外堀を掘ったときの土砂で埋め立てられた中洲で、水軍の基地だったとのこと

川沿いには、昔からの街並みを偲ばせる建物もチラホラ。こちらは「今村家住宅」で、姫路市の重要建築物

おっとこちらは暗渠の匂いがプンプン。右下の物体、おそらくかつては橋の親柱で、たぶんこの黒い方のアスファルトの下に水路が流れてそう。YouTubeで見れる番組「道との遭遇」のおかげで、すっかり暗渠にも目がいくようになってしまった

先ほどのミニバージョンのような水門。ここからも導水し、

住宅街へと水路が続いています。やっぱり姫路市はそこらに水路があって楽しい

街中に水路が通ってる風景、とても好き。観光地の水路じゃなく、現在も地元民の生活に密着している感じの水路

ようやく目的地だった「銀の馬車道」の飾磨津物揚場跡に到着。「物揚場」ってどう読むのかなと思ったら、「ものあげば」だった。こちらは生野銀山専用の物資を揚げ下げする貨物港で、写真は港湾周辺にあったレンガ造りの一部を移設保存したもの

説明版の奥にある胸像は、浅田禎次郎氏。生野銀山の発展に力をそそぎ、町政にとどまらず国政にも参加、播但鉄道の設立発起人でもあったとのことで、めちゃくちゃ播但線にお世話になってる身としては大感謝

昔はこんなふうにレンガ造りの塀や建物が並んでいたようです。神戸や横浜もやけど、レンガ造りはまさに港町の景色ってイメージ

飾磨駅へ戻るため歩いていると、なんかとても良い感じの水路を発見。昔からこういう風景やったんやろなーという雰囲気

特にこのへんの景色がとても良いなと思って写真を撮ってると、通りすがりのおじいさんが声をかけてきてくれ、どうやら飾磨の街歩きガイドをしている方らしく、周辺のことをいろいろ教えてもらいました

最初、この左手の建物を指して「これ見に来たんか?」と言われたんですが「いや、そういうわけじゃなかったけど、なんの建物なんすか?」というところから始まり、どうやらこの建物は昭和初期から残る高級料亭とのことで、廃業した今も年に一回とか内部開放しているらしく
おじいさん曰く、飾磨は今はさびれた街に見えるが、昔から港だったから稼いでる人が多く、ここらへんの料亭も大変繁盛した、自分の祖父なんかはこの料亭でよく遊び、家の者には料亭のご飯を届けたりした、この川は姫路城主が船を浮かべて遊覧したし、その船は今は神戸の相楽園にある、川の先にある天満宮では1300年続く秋祭をやっていて、今年は8年に一度の大きな祭がある、などなど、地元の人ならではのお話がたくさん聞けて大変おもしろかった
川向こうには姫路藩の米蔵が建っていたらしく、なるほどそれであそこに「蔵前」って地名残ってんですねと、いろいろ勉強になりました

改めて見てみれば、本当に立派な建物

何棟もあるけど、これ全部つながってるんやろか。ひとつの敷地に建ってる感じだったんですよね。内部がどんなふうにつながってるのか、めちゃくちゃ見てみたい

かつての姫路城主も船で遊覧した景色。歴史の連なりを感じる良き川べり

秋祭りをやっているという恵美酒宮天満神社。おじいさんいわく、菅原道真が九州左遷時に逗留したとのことで、だから梅の紋
漁猟の神、航海安全の神として信仰を集めたらしく、なるほどそれで恵美酒(えびす)か。エビスといえば不具の子として海に流されたヒルコと同一視されてたり、漁師が海で見つけた水死体をエビスと呼んだり、海や漁業と関連が深い。このへん大体は諸星大二郎作品からの知識です。このブログで諸星大二郎の名前出てくんの何回目?みんなも読もう諸星大二郎。宮崎駿や庵野秀明も好きな諸星大二郎

鳥居前にあった謎施設、他の神社でもたまに見かけるけど何をする場所なんやろか。祭の時に使うとか?

しめ縄に、縄で造られたカマと梅の紋が。初めて見る飾りでかっこいい

天満宮といえば私にとっては大阪天満宮が身近で何度か行ってますが、こちらは大阪天満宮ほど境内も広いわけじゃないけど、建物はとても立派で格式を感じ、地元の人に大事にされてるのがよくわかる

なんかここだけ玉垣に囲まれて木々も繁茂して、不思議な空気感を醸し出していた一角

飾磨駅に戻り、山陽電車で姫路駅に入線する間際、車内からまたしても姫路モノレール廃線跡を激写。何度見ても良すぎる光景

遠景からも。かつてこの橋脚の上を、空を横切ってモノレールが走っていたと思うと本当にアツイ

別日。今度は播但線の砥堀駅から歩いて市川のそば、「銀の馬車道」の跡地のひとつ、「馬車道修築碑」へ

明治9(1876)年、馬車道完成を記念して建てられた記念碑。工事に際し、特に難関だったのが橋の架設で、最長は薮田村から砥堀村に渡る薮田橋。この橋は馬車道竣工時に「生野橋」と名を改められたとのこと。名前からして、この工事に関わった人々の苦心と誇りが感じられる。修築記念碑が、発着地の生野銀山や飾磨津じゃなくこの地に置かれたのは、ここが最も難工事だったからのようです

馬車道の行程、こうやって見ると飾磨津から生野銀山まで、すごく長ーーーい道のりやったんやなと。この道を整備した先人の苦労が偲ばれる。出発地の物揚場跡と修築碑、柳田國男生家は訪れたので、次はもっと奥地の方にも行ってみたい。生野銀山自体には遥かいにしえに行ったことあるんですが、ほとんど覚えてないので再訪したい

馬車道建設に尽力した朝倉盛明さんは薩摩藩出身。福島・会津への途上で大久保利通が戊辰戦争で荒廃した北陸地方の復興に尽力していたことを知ったが、私は戊辰戦争は旧幕府側が好きなのでつい新政府軍側を敵視してしまうけど、明治期の人たちはどこ出身に関わらず、国の発展のために日本各地で活躍してたんやなぁとしみじみ感動してしまう

昭和初期の写真、馬車道の周りは完全に田園風景が広がっていて、その中にこれほど真っ直ぐな舗装道路が貫いてるの、まさしく文明の象徴やったんやろな

こちらが薮田橋あらため生野橋。街や国の発展のため難工事に尽くした先人たちに感謝

おしまい

QooQ