本日、兵庫県は姫路駅。姫路といえば言わずと知れた世界遺産・姫路城が、この写真のとおり駅を出て真正面にドドンとそびえてるわけですが、今回の目的は姫路にかつてあったというモノレールの廃線跡探しです
駅前をしばらく歩き、どこにあるんやろーと見回していると、急に視界に入ってきた、明らかに異質なコンクリート柱…!!!
こ、これやー!!と見つけた瞬間大興奮。屋根をブチ抜いて連なるコンクリート柱が、かつての姫路モノレールの橋脚です
まさかこんなビルの上にブッ立ってるなんて…!!と思ったんですが、なんとこれらのビル、モノレール橋脚に巻き付くように後から建てられたらしいです(参照:神戸新聞NEXT )
すごー!!確かにモノレール自体、駅前の立地の良い場所に敷設されたわけやから、その土地を活用して、ビルを建て商売するというのは効率的やけども。モノレールが走ってる時のビル内部とかどんな感じやったんやろか
しかしこれらのビルがあったからこそ、モノレールが営業廃止になって50年近くたつ今も廃線の橋脚が残されてるわけで、ある意味で共生関係というか。意外な流れでこんな他では見ない街並みが生まれたと思うと、本当におもしろい。なんせ超駅前の超街中に、これほど巨大な廃線遺構が残されてるんですから
こちらの橋脚にはまだ軌道が残っています
こうして見ると、かつて走行していたモノレールの姿がくっきり浮かんでくるよう
そして道路を挟んだ向こう側へ目をやると、まだ続いてる…!!うれしい…!!!このときの喜び、言葉では言い表せない
こちらもやはり橋脚にビルがくっついて建てられています。橋脚を避けるんじゃなく、ビル内部に取り込んじゃうって発想がおもしろい。この特異な光景、どうにか残していってほしい
姫路モノレールは、1966(昭和41)年の姫路大博覧会開催にともない、姫路駅から、博覧会会場のひとつだった手柄山へのアクセス手段として開業。最終的には鳥取にまで延伸する構想があったというからすごい。この点々と続く橋脚が、山陽山陰地方を縦断して日本海側まで至っていたのかも。しかし実際は利用客の減少によって開業からわずか8年目に休止、その後廃線となっています
ビルに取り込まれないまま残る橋脚も
大通りで橋脚が途切れ、もうないんかなーと思ってたら、渡った先にまだあった!しかもこっちは軌道桁も残されてる!それにしてもセブイレのすぐそばに、こんなでっかい廃線が残されてるなんて本当にすごい
街中にあきらかに異質な存在があるのに、人々は気にすることなく日々の生活を送っている……SFっぽくてゾクゾクする
モノレールは船場川に沿って南下し、手柄山へと向かっていきます
橋から逆側を観察。この堤防沿いにも橋脚があったはずですが、今は跡形もない。現在残っている橋脚も撤去される可能性があり、六甲山の廃ロープウェイ同様、全国にある廃線跡も見れるうちに見に行っとかんとなぁという気持ち
草木が繁茂し、まるで古代神殿のよう
枯れ草が絡まっていてなお凛々しい姿
いつかこれらの橋脚も、老朽化や安全性の問題で撤去されてしまうやろうけど、それまでは目に焼き付け、記憶として残していきたい。かつてここ姫路から鳥取まで延伸するという壮大な夢を見た多くの人々が、この建設工事に関わり、また乗客として、モノレールの車窓から街並みを眺めていたんだろうことを
実は姫路モノレール廃線跡には大将軍駅・高尾アパートという、駅とアパートが一体となったシンボル的存在があったらしいんですが、老朽化によって2016年に解体されてしまい、今はもう見る影もない。アパートの途中階を貫いてモノレールが走ってたなんて、なんとも夢みたいな構造。この目で見てみたかった
ところで姫路には祖父母の家があるため数えきれないほど来てるんですが、逆に街中を一人でブラついた経験がなく、かなり新鮮な気分。こんなでっけーかっこいいビルがあるとは知らなんだ。しかも1・2階部分が抜けています。かっこよすぎる
向こう側の道路に抜けている部分。とても情緒がある
これも全然知らなかったんですが、姫路城南部エリアがけっこう大きな歓楽街・風俗街らしく、素敵な建物がたくさんありました。こちらは建物名もフォントもデザインも欧風でバブリーな雰囲気。白い外観に赤い階段というのが良すぎる。夜な夜ないろんな男と女のドラマが繰り広げられたんやろな
素晴らしきかなスナックビル
こちらもバブル時代の景気の良さを感じさせる、ゴールデンな建物
一階のお店がまさに「月」という店名だった様子。おっしゃれーい
マンホールもシャレとる。姫路市花のサギソウのデザインかつ、姫路城の別名・白鷺城の白鷺を連想させる。暗色の中の白色がめちゃくちゃ効いてます。今まで見たマンホールの中でもトップのデザイン性かも
さてJR姫路駅に戻ってきまして、山陽電鉄に乗り換え。ご覧くださいこの80年代SF作品を彷彿とさせる車両デザイン。アルミニウム独特の質感。最高です
山陽姫路駅から1駅で手柄駅へ。かつてこの区間を結んでいたのがモノレールというわけです。新幹線も通ってて観光客がわんさと行き交う姫路駅からわずか1駅で、さっそくの無人駅。そりゃモノレールも廃止されるなと納得。この駅舎の雰囲気もたまりません。ここもそうやけど、昔の駅舎ってわりと商店と一体となってるイメージ
姫路大博覧会の会場となった手柄山には、今は水族館や戦災慰霊碑がありますが、実は廃線となったモノレール車体が静態保存されています。これは激アツ!
今日ここまでの道中で見てきた橋脚や軌道桁の上を、まさにこの車体が走ってたのかと思うと非常に感慨深い。しばし姫路駅前の空中を走行していた姿を夢想す…
車両の中にも入れます。嬉しいのが駅看板も再現されてるところ。やっぱ姫路といえばの「御座候」。いわゆる回転焼きとか今川焼きとか呼ばれるあの和菓子を売ってるお店で、おもに阪神地域で回転焼きのことを御座候と呼ぶのは、このお店由来。今もJR姫路駅構内で買えます
こちらは運転席側。テレビ画面で当時の映像が流されてるのも良かった
天井も横幅もかなり広々、座席ふかふか。これは当時の最先端技術と夢が詰まってたやろなぁという感じ。カーテンもあったりして豪華です
こんな感じで駅舎から出発進行してたわけですね。駅舎もかぁっこいい!
当時の駅構内を再現した展示も楽しい。なんでか昔の駅のホームって蛇口があってんよな。SLが走ってた頃、手や顔についた煤を洗い落としてたとかやろか。煙草の吸い殻入れも昭和ならでは
須磨浦ロープウェイは今も現役で活躍中。そして「カーレーターが開通しました」というコピーの通り、須磨浦の山上にはカーレーターという珍しい乗り物がありまして、とても行ってみたい
かつての駅名標。往復約15分とのことで、現在は姫路駅〜手柄駅間を山陽電鉄が2分で結んでいることを考えると、どちらにせよモノレールでは競合電鉄に勝てなかったかも
非常に見やすい時刻表。この頃は時刻表も縦書きやったんやな
という感じで私がいろいろ興味津々に見ていると、館内スタッフのおっちゃんが話しかけてくれて、ちょっとした展示案内をしてくださいました
そもそも現在モノレール展示室となってるこの建物自体が、当時のモノレール駅舎だったとのこと!そうなんや!こうして外観を見てみると、今は壁が作られてますが当時はそこをブチ抜いて軌道が続いていたと。モノレールはまさにこの建物を貫いて行き来していたわけです。左側の丸い塔なんかは、1966(昭和41)年開業当時のままらしい。すっげー!
そして、昔はこの駅舎からさらにロープウェイが園内を走っていたとのことで、めちゃ近未来的な光景やったやろな
こちらはモノレールの台車部分。姫路モノレールは跨座式・ロッキード式と呼ばれるシステムを採用したものの、本社のアメリカも日本のロッキード社も1970年に事業撤退してしまい、車両や軌道などの補修部品を手に入れるのが難しくなったことが、廃線となった理由のひとつらしい
スタッフのおっちゃんいわく、走行音もかなり大きかったらしいとのこと。後で入院中のおばあちゃんに聞いたら、姫路大博覧会にも行ったしモノレールも乗った、確かに音うるさかったかもと言ってたので、どちらにせよ都市を走るには不向きだったのかもしれません
わかりやすい台車の図。しかし外に設置された説明版のため風雨にさらされ経年劣化がすごい。そもそも、現在はモノレール展示室となっているここ旧手柄山駅舎も、廃業から37年ほど放置されていて車両ごと廃墟化してたようで、廃墟好きとしては時の経つまま朽ちていってるさまも美しいと思うし、ここまできれいに整備されて一般公開されるようになったのも嬉しい
街の空撮とモノレールの立体模型。試験線だったため、わざと軌道に勾配やカーブをつけた面もあったらしいが、これによって車体や軌道桁の劣化も早まったとのことで、やはり廃線になったのにはいろんな理由があった様子
この大将軍駅を!見てみたかった〜!ビルをモノレール軌道がブチ抜いてるなんてワクワクしかない。解体前の最後の見学会が2016年にあったらしく、知ってたら見に行ってたのにと大後悔。やはり廃墟も廃線もあらゆるエンタメも、見に行けるうちに見に行っとかなあかん。すべてのものはいつか等しく失われるので
モノレール展示室のある手柄山交流センターの外観。こうやって見ると、なるほど駅舎らしい。というか博覧会跡地を、当時の建物も残しつつこんなふうに活用してる場所が姫路にあったなんて全然知らんくてビックリ
後日、追い調査として再び姫路駅からモノレール跡をたどってみました。ここがかつてモノレールの大将軍駅・高尾アパートがあった跡
かなり広いスペースですが更地になったまま。上記記事によると、アパートの基礎として地面に打ち込まれていた鋼鉄の杭がまだ200本近く残ってるらしく、完全撤去が難しいため新しい建物を建てられないとのこと。すごい、もはや地上からは姿を消しているのに、見えない存在感をこれからもこの地で持ち続けるのか……なんかもうそういうSF映画ありそうやん
しばらくモノレール跡沿いに歩いてると、こちらの看板を発見!大将軍駅だけじゃなく、大将軍橋というのもあったのか。こういう発見があるから街を歩いて見て回るのはおもしろい
しかも看板に掲載されていた写真には、モノレールがはっきり残ってます!これには大興奮
わかりづらいですが白矢印部分です。橋脚だけじゃなく軌道桁もはっきり!当時は廃線がこんなにもそのまんま残されてたのか〜〜見たかったな〜〜〜〜
そして今は亡き高尾アパートも!こうやって見ると、周辺では一際大きな建物やったんやな。やや湾曲してるのが余計に特異な存在感を放っている
船場川沿いにさらに南下していくと、モノレール橋脚の基礎部分っぽいやつを発見。たぶん橋脚の跡と思うけどなーどうかなーと考えていると
やっぱりまだあった!ニョキニョキと生え続ける橋脚
本当に何度見ても、街中にこんな異質なものが連なって建ってるの、不思議な光景で仕方ない
側溝のすきまからも橋脚がコンニチハ
撤去された跡と、残存する橋脚
もはやイースター島のモアイ像に似た神秘性さえ感じる。以前はこの橋脚の上に桁まで残った状態で、廃線と化して手柄山まで連なってたんやから、その存在感たるや物凄かったことでしょう。だというのに、街の人は当然そこにあるものとして特に見向きもしない、よそから来た人間にはこんなにも異質でおもしろいものとして写るのに。という違和感が、私を魅了してやまない理由かも
そしてモノレール跡をたどり、再び到着した手柄山。再訪時は桜のシーズンだったため、園内のあちこちに桜が咲き乱れていて大変華やかでした。モノレールから眺めるこの景色も、たいそう見事だったことでしょう
前回は撮り損ねた、モノレール展示室の入り口。ガラスに車体と軌道をえがくことで、かつてここをこんな風に通ってたんやなと想像できる。改めて良い展示
こうやって廃線のホームと車体が保存され公開されてるの、まことにすばらしいな。一方で、六甲山のロープウェイのように、誰にも知られず山の中で朽ち果てていくのもまた廃線の美……
今回、姫路モノレールについてネットでいろいろ調べてたら、営業当時の写真がたくさん掲載されている「麗しの姫路モノレール」というサイトを発見し、すごいなーと拝見しててふと思った、姫路在住だった亡き祖父はカメラが趣味だったので、もしかしたらモノレールの写真も撮ってるかも!今度おばあちゃんに聞いて写真探してみよう
さて再び手柄山までやって来た目的はもうひとつ、前回時間がなくて来れなかったこちら!回転展望台を間近で見るため
ご覧くださいこの異様な雰囲気。現代のセンスじゃ生み出せないデザイン
姫路大博覧会のテーマ塔として1966年(昭和41年)開業。4階が喫茶室になっていて360度回転し、姫路市街の眺望を楽しめたが、老朽化のため2018年に閉鎖。大阪味園ビルの閉業もやけど、やっぱ建物って50〜60年がひとつ区切りなんやな
姫路市は当初、この塔を解体する予定でしたが、市民の声を受けてモニュメントとして残すことに決めたとのこと(神戸新聞より)。大変ありがたい話
約半世紀近くの間、数多くの人たちがこの入り口にワクワクして並んでたことでしょう。52年も営業してたってことは、小さい頃に親に手を引かれて来た子供が、大きくなって自分の子供を連れてくることもあったかも
展望台や喫茶室としての役目は終えても、シンボルタワーとして残り続ける存在に。それにしても改めて引きで見るとすごい。もはや歩き出しそう
こちらは戦争の空爆被害者慰霊碑。沖縄にある平和の礎のような、静かで厳かな雰囲気
姫路や関西地方だけじゃなく全国の空爆被害者の慰霊なので、北海道から鹿児島までの空爆被害が刻まれてました。新潟県長岡の戦災資料館でも空襲について学んだけど、日本全国各地でこんなにも空爆があったなんて…どれほどの市民が巻き込まれたかを思うとゾッとするばかり
園内のあちこちには、今も姫路大博覧会時の建物がちょこちょこ残されていて、モノレールや回転展望台だけじゃなく、全体的に昭和風情が漂う手柄山。当時の人々がえがいた夢の跡。もっと早くに来れていれば、モノレール廃線跡や回転展望台ももっと違った姿が見れたかもしれんけど、今の私の感性やからこそ楽しめたっていうのも大きいので、とにかく今来れてよかったなぁ
手柄山から歩き、こちらは現役の山陽電鉄・手柄駅から姫路駅へ戻ります。現役ではありつつ最高にノスタルジーな駅
電車が山陽姫路駅ホームに入る直前で、窓からモノレール橋脚が見えてすかさず激写。やっぱり何度見てもビルを突き破ってニョキニョキ生えてるの、不思議な光景。かなり高い位置を走行してたんやな、山陽電鉄より視線が全然上です。かつてはモノレールと山陽が立体交差してたと思うとアツい
姫路駅ではホームに建つ有名なえきそばを昼飯に
とり天そば。これがもうめっちゃ美味しい。とり天がなんか他と違う味がするんです。めちゃくちゃ好き
そして入院中の祖母への手土産。自宅介護中や入院当日、何を食べても血と一緒に吐いてしまっていた祖母が何度も「食べたいなぁ」と呟いていた地元の和菓子屋さんの生菓子。予約制とは知らず、当日ダメ元で連絡してみたら「ご用意しますよ〜」と言っていただき、しかも私が買いに行って祖母の名前を伝えたらすぐに誰かわかってくださって、どうしてはるか心配してた〜お菓子よければ持っていって〜とオマケしてくださり、もうそのお心遣いと、祖母が今まで周りの人にどんだけ良くしてきたかがわかって涙〜〜〜
本当に、人にやさしくするって大事。なぜならやさしさも怒りも伝播するものだから
ところ変わりましてこちらは、祖母の病院に行く途上で兄が車で連れってくれた場所。何かと言いますと
古い隧道です!やったー!!
初めて来たみたいなテンションで喜んでしまったが、兄いわく「何年も前にも連れて来たったで」とのこと。廃墟好きやったやん昔、と言われましたが今も好きやし、なんなら隧道は当時より今の方が好きやけども、それにしても以前にも連れて来てもらってたなんてまったく覚えてなくて、自分の記憶力のなさが怖い
こちらは大正10(1921)年に完成した隧道。すでに100歳越え!すごい。当時はセメントが普及してなかったため、七割が煉瓦造り
凝った扁額。当時の人々にとったら、このトンネルが開通することがどれだけ村々の行き来を便利にするか、その期待と希望もこもっているような立派さ
今でももちろん現役バリバリで使われてますが、隧道内は車の行き違いはできない幅員で、一方通行。真っ昼間でもちょっと怖い感じの薄暗さ
振り返ってみるとこの感じ。さすがに一人で来るのは怖いかも
反対側に出ました。こちらは扁額が失われてしまっている?まことに情緒があります。このトンネルをくぐった先は因習村につながってそう、ゲゲゲの謎のように
引きで見るとこの雰囲気。鬱蒼と茂る木々の合間に、ぽっかりと空いた口。すばらしい光景でした。しかし以前にも来たなんてまるで思い出せん…なぜ…もしかしてこの隧道を通り抜けるたびに、記憶をなにものかに吸い取られてるのでは…?
おしまい
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