おはようございます。本日は世話になるぜ関越交通バス!というわけで、伊香保温泉から「かつてはここをチンチン電車が走ってたんやな」と思いを馳せつつ、渋川駅までやってきました
駅前が工事真っ最中でしたが、なかなか立派な駅舎の渋川駅
まずは水上駅へ向けて群馬県を北上していきます。群馬に来たなら、どーしても!行っておきたい!駅がありまして
車窓の眺めがずっと良くて、飽きずにパノラマビューを楽しみました。車の旅もいいけど、電車の窓からしか得られない栄養がある。まったく見知らぬ人たちと、今この時間と景色を共有している感がいいのかも
水上駅に到着。山奥にあるのに、かなり立派なホームと複線。かつては上越国境越えの機関区としてさまざまな機関車が配属された駅で、SLや転車台も残されてるらしい。ここで電車を乗り換えて、さらに北を目指します
まるで山肌に突入するかのような迫力
湯檜曽(ゆびそ)駅に到着とのアナウンスがありましたが、駅……駅?真っ暗だが?
そう、ここは谷川岳の中腹をブチ抜いた新清水トンネル内にある駅。そして私の目的地は次の駅。これは期待が高まります
ここが群馬に来たならどうしても訪れたかった場所!日本一のモグラ駅と呼ばれる「土合駅」
どぅわー!この迫力。地下70mにあるトンネル内が駅のホーム。ただただ圧巻です。めちゃくちゃ涼しいどころか普通に寒い
こんなとてつもないものが人の手によって造られたという証である人工物たち。嬉しい。しかし大興奮の私はこの時、ある誤認をしていた、ここで「下り線」の表示しかないことに気付かなかったばかりに…
土合駅のすごさはここから。なんと地上の改札口まで約500段弱ある階段を、自力でのぼっていかなければなりません。ヒャッハー!ブチ上がるぜ!
でかい、すごい、美しい。水路や橋梁やあらゆる道路と同じく、必要だったからここに造られた、ものすごい労力をかけてでも造られた巨大土木建築物というのは最高に昂まります
ようこそしていただいた。改札口まで約10分、しかも私は今から30分後にくる上り線に絶対に乗らなければなりません、なぜならそれを逃したら次の電車は2時間後だから。おもしれーじゃねーの
というわけで、ほぼ登山を開始。行きしの電車はガラガラだったのに、駅のホームには大勢の人がいて、老若男女にぎやかにしゃべりながらのぼっていきます
急斜面を流れ落ちていく水。地下やから水が湧きやすいのかな
こちらの壁面からもドボドボと水。日本は雨や活断層の影響で水をたくさん蓄えている山が多く、掘削するのが本当に大変だと聞いたことがあります。実際、ここ新清水トンネルも掘ってるときに温泉が湧いたりして難工事だったんだとか。こういう巨大インフラ設備の工事に携わる方々には本当に頭が下がる思い
地上まであまりにキツい階段が続くので、途中で何ヶ所かベンチが設置してありました。やさしい。信貴山のケーブルカー跡を思い出す
ようやく地上の光が見えてきた時の感動ったらなかったです。私は暗いところが好きで、部屋の電気も基本つけませんが、この光が見えた時の安堵感は、かつて太陽や月明かりしか光を知らなかった頃の原初の人類の記憶がよみがえるからな気がする
まるで古代神殿の様相
ついに!「ようこそ土合駅へ」の文字が!
窓から差し込む自然光に、ようやく地上に出てきたのだという実感が押し寄せる
しかしまだ改札口ではないという事実。「がんばって下さい」と軽く煽られながら先を目指します
しかし時間的にそろそろ戻っておかないと帰りの電車に間に合わない、というわけで改札まで到達せず来た道を引き返すことに
くだりはくだりで怖い。ひえ〜っ
この傾斜である。はるか昔に行った香川県の金比羅参りを思い出しました
ようやく地下ホームへと帰還。電車の時間に間に合ったので、しばしホームを探索
まさしく「モグラ駅」の名にふさわしい光景
数十メートルごとに消化器も完備。トンネル火災はおそろしいですからね
しかし待てど暮らせど、帰りの電車が来ない。おかしいなーと思いながら駅名標を見ていて気がついた、下り線の表示しかないことに…矢印が<こっちにしか向いていない……
そう、私は「こんなでっかい地下ホームなんやから、上りも下りもここなんやろ」と勝手に勘違いしていたんですが、実は土合駅の上り線のホームは地上にあるのです。しかしここは地下70m、私のスマホは圏外、ネットで調べることもできず、あれだけいた人ももはや一人もおらず、今から走って地上へ向かっても絶対に間に合わない。オワタ
どうあがいてもどうしようもないので、呑気に熟成中のビール保管庫を撮影するなどしていました。新潟で雪室の醸造所には行ったことあるが、駅のホームでビールを熟成させているのは初めて見た
で、やはり時間を過ぎても電車は来なかったので、あきらめて再度階段をのぼっていきます。上がって下ってまた上がる、合計約1500段の往復
一度目にのぼった時はだいぶ急いでいましたが、今度はもう余裕ぶっかましです。なんせ2時間後まで次の電車は来ません。床から突き出たパイプを撮る暇も全然あります。すごいなコレ、最初から突き出てて折れたのか、コンクリが削られたのか?
せっかくなので動画もドゾ
再び地上までのぼってきた時、窓のこのラクガキにどれほど共感したか。心の底からの「ほんまそれな」
ありがたき地上の光。窓辺を覆う緑が美しい
よく見れば植物が窓どころか建物内に侵入してきてます。自然の力はすごい
さっき見た光景をもう一度見ながら、今度こそ地上の改札口へ
ついに!こここそが土合駅の改札口。下り線の地下ホームに電車で到着してから約40分後に、ようやく改札口に到達しました
一旦帰りの上りホームも確認しておくことにします
なるほどこれが土合駅の上りホーム。地上にあったのね。なるほどね。マジで知らんかったわ
旅に出る前にさらっと目的地をチェックしたりはするんですが、現地でのお楽しみにとっておきたくて、詳細まではいつも調べずに来てしまうため、こういうことが度々起こります。しゃーない。私は学んだのだ、旅先でのトラブルこそ、人生を柔軟に受け入れ楽しむための訓練になるのだと
謎の監視台みたいなのを発見
上りホームに入線する電車を眺めるためとしか思えない設備。駅が無人化する前は、駅員さんが使ってたんかな
改札口には、かつての駅の設備を利用したカフェが。おっしゃれ〜
カフェ店内には、当時の伝言板やら駅員さんの帽子やらも飾ってある様子。ここでコーヒー飲んでゆっくりしてもいいなと思いつつ、とりあえず駅周辺の探索へ
見よこの時刻表を。一本逃すといろいろ終わります。私のように
外に出てみると、立派な駅舎の全容が!山小屋をイメージしたどでかい三角屋根がかっこいい。1968(昭和43)年10月完成、外壁には新清水トンネル掘削時に出てきた石英閃緑岩が使われているとのこと。電車に乗り遅れたおかげでこの駅舎が見れたから本当に良かった
駅前にはひとめで廃墟とわかる民宿が。冬になると雪深いだろう地域、この廃墟もいつまで雪の重みに耐えられるか
ちょっと離れて見る駅舎も大変良い。背後の山岳風景とピッタリお似合い
それにしても電車に乗ってた人は本当に少なかったのに、駅の地下ホームにあれほどの人がいたことにだいぶ驚いたんですが、どうやら多くの人たちは車やバイクで訪れるようです。ツーリング客の方もたくさんいらっしゃった
そしてここで朗報が。バスあるがな!しかも水上行き!時刻表には1時間後にバスの発着予定があり、あまりにも地獄で仏。もうこの時点では私は地獄とも思ってませんでしたが。土合駅に「ゆっくりしていってね!」って言われたんやなと思って、ゆっくり探索を楽しむつもりでした
そんなわけでバスが来るまでの間、駅周辺をブラつきます。赤い建物が、さっき地下からのぼってきて改札口に至るまで歩いていた渡り廊下
こんなふうに道路をまたいで、地上駅舎へとつながっていたようです
反対側から。中を歩いている時、窓辺が緑に覆われていたのは外がこうなってたからとよくわかる
無骨な外観がかっこよくて、いろんな角度で撮っちゃう。そしてこのへんを歩いてる時ずっと、ハマサカステの「錆びたレールの上〜♪」を口ずさんでました。錆びたレールの上〜はみ出して行こうNewなシューズ履いて〜♪
新しいドアを開くのは新しい道を行く者のみで、遠くまで歩ける足が広い道を作り出す。おばあちゃんが言ってくれた「自分の足で歩けるうちに、行きたい所どこでも行ったらええ」という言葉も、いつも私の旅を後押ししてくれる
駅の反対側には、これまたレトロなドライブイン。左側の塔のステンドグラスがかわいい
めちゃくちゃイカしたフォントの谷川岳
土合駅の駅舎に戻っていろいろ見ていると、こんな記念碑を発見。「上越南線直轄工事記念」とのことで、建立は「昭和六年八月」。戦前の鉄道省の時代です
上越線開通時に、まずできたのが地上の上りホーム、のちに複線化にともなって下り線が地下に造られたとのこと。地下が先かと思ってたので驚き
さて、だいぶ満喫した土合駅とお別れし、バスに乗って水上駅へと舞い戻ります
世話になったぜ関越交通バス。ありがとう関越交通バス。西園寺さんのYouTube動画見てると鉄道だけじゃなくバスの交通網ってすごいんやなと思うが、改めて鉄道不毛地帯のバスのありがたみを思い知った
行きしは乗り換えに使っただけの水上駅、役所のようなシックな駅舎に金文字が光ります
電車までちょっと時間があったので、駅前探索。土産物屋が並んでたり、そこそこ賑わってる様子ですが、その向こう側にはもう不穏な気配を放つホテルが佇んでいます
当然そちらに向かって歩いてみると、ほーらワクワクする看板が登場。「宮」の文字がグネっており、良い
すばらしい朽ちっぷり。曇天に合いすぎている
階段もすでに床が抜けそうになってました。昨日の伊香保温泉からなんぼほど廃墟見てきたやろか
水上は温泉郷として知られる土地。きっと周囲を歩けば良い建物がたくさん見つかることでしょう。そして駅前からの谷川岳の眺めが抜群に良い。ここの街と人はこの山とともに生きてるんやな感
懐かしい感じの行先表示板。一路、高崎へ向かって南下します
高崎駅は新幹線が通ってるだけあって大賑わい。残りの時間、高崎の街ブラを楽しみます
マンホールが一面イラストでかわいい。お祭りの熱気が伝わってくるようです
こじんまりした神社を発見したので、土地にお邪魔してます〜のご挨拶。境内は狭小ですが、拝殿がとても立派
おそらくさっきマンホールで見た祭りで出される山車が納められてるんやろなという蔵
なぜか高崎駅まわりはラーメン屋がたくさんあったので、お昼ご飯をいただきました。ここがめちゃくちゃ美味しかった、舌がアホなので大抵のものは美味しくいただけるんですが、久々に「また食べたい」と思うラーメンでした
上州豚骨とのことなので、関西にはないんやろな。まこと美味しかったです
途中で見かけた銅像、なんか兵隊さんっぽい格好した少年?と思ったら、「長崎平和祈念像」を手がけたことで知られる北村西望・作とのこと。日露戦争で戦死した中佐の像制作のため、彼の遺品がアトリエに届いた時、北村西望の息子が帽子や軍靴を身につけ敬礼してみせた、みたいなことらしいです。微笑ましいが、その背後には戦争の暗い影がある
高崎城跡の公園に入ると、なんとも仰々しい建物が。群馬シンフォニーホールという音楽ホールらしい
地方都市でたまに見かける、こういう謎にドデカくてイカつい建物大好き。愛媛県の大洲で見た市民会館とか
こちらは群馬音楽センター。調べたらチェコ出身の建築家アントニン・レーモンドによって設計され、高崎市民の寄付金を基にして昭和36年に建てられたとのこと。市民の想いがこもった建物なんやなと思うと、非常にグッとくる
道路を挟んで向かい側にも、何やらおもしろそうな建物が。こちらは高崎シティギャラリー。沖縄県立博物館・美術館といい、こういう無骨な石の神殿じみた美術館系好き
高崎城跡にはこんなものも。歩兵第十五連隊は、西南戦争後の軍備拡張によって1884(明治17)年に群馬県高崎市にて創設。碑文によると、
歩兵第十五連隊は、シベリアや満州など、これまでの数々の戦争で勇敢な活躍によって名を馳せました。日中戦争が始まると、中国の黄河の南北で作戦に従事しました。その後、チチハルに移動して、満州北部の守備にあたりました。
しかし、太平洋戦争が始まると状況は一変します。急遽、南方のパラオ諸島での作戦に投入され、ペリリュー島では、特に激しい敵の攻撃が、第三大隊に集中しました。
これに対し、増援の第二大隊が上陸を試み、両大隊は連携して、およそ4か月にわたる激戦を繰り広げました。最終的に、両大隊は想像を絶する壮絶な最期を遂げ、全員が玉砕しました。
全員玉砕という言葉があまりにも重く響く。気が遠くなるほどの多くの犠牲を経て今の平和があると、改めて感じてしまう
連隊歌の碑も。ちょうどこの旅では沢木耕太郎「テロルの決算」を読んでいて、のちに演説中の社会党委員長・浅沼稲次郎を刺殺することになる右翼の少年・山口二矢が、軍歌を口ずさんでたなぁなどと思ったり
せっかく高崎城址に来ているというのに高崎城の遺構を全然見てなかったんですが、こちらは江戸時代の面影を残す東門。明治期に土地の名主に払い下げられ家の門になってたが、買い戻してこちらに移築されたという、なかなかおもしろい歴史が。そういや京都・亀山城下でも城にあった襖を使ってる家とかあった
他にも土塁や堀跡が残っていて、かなり大きなお城やったんやろなと想像できる。そして城跡が陸軍に使われてた例って多い、大阪城はもちろん千葉の佐倉城跡もそうだった。そもそも全国の城郭は明治維新後、陸軍省所管財産になっていて、「廃城令」によって「存城処分」として陸軍省所管の行政財産とするか、「廃城処分」として売却処分するかに分けられたかららしい
さて、ここからは事前に「高崎の柳川町はかつて赤線地帯だった」という情報を仕入れていたので、柳川町の現在を見に行きます。この建物は柳川町ではないけど、おそらくスナックとかそれ系だったっぽい良い建物
こういう屋上に無理やり乗っけました系建築も大好き
柳橋というかなり個性的な欄干の橋を発見し、これはもしや柳川町という地名と関係あり?
柳橋から北側が柳通りで、柳川町の目抜通り。この雰囲気、すでに良い。住宅地とかと違って、高さも形状も違ういろんな建物が雑多に混ざり合っている。なんか街並みが名古屋の中村遊郭跡を思い出す感じ
柳川町は、江戸時代に湿地帯で馬場だった場所が、明治期に岡場所となり遊女屋や飲食店が増え、またすぐそばの高崎城址に千人の陸軍兵が常駐していたこともあって、日本の軍事大国への歩みとともに、柳川町も花街として発展。第一次世界大戦後は特に戦勝国としての好景気に湧いて、柳川町には娼屋55軒、働く女性は300余名を数えたというから、かなりの規模。女性たちと兵隊さんとの関係も終戦まで続き、慰問袋や千人針を作って送ったとのこと。いろんな恋物語もあったでしょうね
ここも見に来たかった建物。柳川町のシンボル的存在といえそうな、高崎電気館。大正2(1913)年、高崎市初の常設映画館として開館。「電気館」ってネーミングがめちゃくちゃいい、それほど「電気」自体がめずらしかったというか特別な価値があった時代というか
今も映画が上映されてる様子
「当時花街として賑わっていた」という記述が見れてニッコリ
通りの名前も「電気館通り」。またこの街並みがすばらしい
一帯は現役の風俗街ではありますが、すでに朽ち果てた物件もあちこちに
さらに小道へと入って行きます
このへんは現役っぽいお店がたくさん
あるおうちから出てきた猫ちゃんが、えらい人なつっこくて、ニャ〜ニャ〜言いながらしばらく私の色街探索に付き合ってくれました。めちゃくちゃかわいかった
ここもかつては色っぽいお店やったんかなと感じさせる佇まい
この狭い通りにひしめいている姿、たまらない
マンションやビルの狭間にこういう建物が生き残ってると嬉しい
隣りの建物との間が植物の繁茂ですごいことに。街中の異世界感
丸窓のイラストがオシャレ
料亭がたくさんあったからか、こんな会館も。これもなかなか古そうな建物
そんな屋根ありなんですかとテンションあがった傑作
この建物や…
このへんもなにか、色っぽい雰囲気が漂っています
街全体の絶妙な廃れ感も、名古屋の中村遊郭跡と似ている。人であふれる賑やかで明るい観光地より、こういう街の栄枯盛衰を感じさせる景色にとても心惹かれます
そして柳川町と接するこちらは高崎中央銀座商店街
「中央銀座」という名前から、かつては隆盛を誇ったんやろなと想像できますが、現在はこのように終末感漂う雰囲気。最高です。岐阜の柳ケ瀬商店街を思い出す
出た、かっこいいフォント
こちらは商店街を抜けたところにあった、おそらく古い家をリノベしたもの。ガラス張りの一階が気持ちよさそう。こんなところで仕事したり小説書いたりしたい
でかいマンションの足元に堂々残る昭和。めちゃくちゃかっこいい
グーグルマップを見ていたら、駅の反対側に円筒分水の文字を見つけてしまい、来るしかなかった。住宅街の中に突如、水路と水門が現れます
この先に水利施設がある気配がひしひしと
でたーーーーっ!!
円筒分水だーーー!!しかも神奈川の久地円筒分水は水の流れがゆるやかやったけど、ここはものすごい勢いでザバザバと水があふれている
そばには花壇っぽいのがあったり、きれいに整備してあるのに、ゴミの溜まりだけが気になる。でも多分ここで捨てられたというより、いろんなところから流れて集まってきちゃったんやろな
こちらの円筒分水は、高崎市中部に流れる長野堰の一部。長野堰の原型が造られたのが1551年というからすごい。しかしこの土地でも久地円筒分水と同じく、水争いが絶えなかったため、1962(昭和37)年に円筒分水堰が建設されたとのこと
サイフォンの原理で水量を公平に分けて…
4つの堰に分岐していきます
わかりやすい図。はるか榛名湖から流れてきてるんやなぁ
水辺に鳥もいらっしゃった。のどか〜
それにしてもザバザバと景気良い水の音が心地良すぎます。近くにこれあったら毎日来ちゃう、水の流れを眺めながらボーッとしたい
もともと高崎は川に挟まれた台地で水利に乏しく、「長野堰なくして高崎なし」と言われたほどだったらしい。長野堰によって農業が発展し、のちに商業都市として成長した高崎の歴史の一端を感じることができました
そして高崎駅から上越新幹線「とき」にて東京へ。「とき」たぶん初乗車!前に東京駅サピアタワーのスタバで入線してくる「とき」を見て以来
おしまい
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