「生きた建築ミュージアムフェスティバル」略して「イケフェス」というイベントが大阪で毎年開催されていまして、遊びに行ってきました
まずは阪急電車で梅田から十三へ向かいますが、これは途中駅の中津。点字ブロックの内側が異様に狭いことで一部鉄オタ界隈では有名です。点字ブロックの外側(線路側)よりも狭い
十三駅に到着。ご覧くださいこの電車の群れ。梅田〜十三間は阪急神戸線、宝塚線、京都線と、たった一社の鉄道で3つもの路線が集結している驚異の複々々線。しかも3つとも主力路線。アンパン、食パン、カレーパン。そのためほぼ同時刻に発車し、同じ駅に向かう電車が勢揃いします
日本のあちこちを旅してると、1、2時間に1本しか列車が来ない単線なんかざらにあるので、阪急電車のこの鬼のような過密ダイヤは感動を通り越してもはや恐怖を覚える
十三は飲屋街、あるいは歓楽街として有名。私も飲みにきたことはありますがじっくり街歩きをしたことはなく、せっかくなので堪能してまいりたいと思います
さっそく駅前でお迎えしてくれたイケてるネオンサイン。「栄町」というネーミングからも、ここが目抜通りだと一発でわかる
すばらしきデカネオン看板。外壁もシャレとる
こちらがイケフェス1件目、ずっと来てみたかった「グランドサロン十三」。数少ない現役営業中のキャバレーで、昭和バブル期の香りをたっぷりと楽しめます
玄関ホールからのぞく光景にすでにテンションが上がりまくりました
ブルーのソファが並ぶ圧巻の光景
照明器具の美しさにいちいち見惚れてしまう
オレンジ色のランプと青い間接照明がうっとりするようなコントラスト
壁の模様も、ソファ席を区切る手すりのデザインも凝ってるー!
ステージも見事です。カーテンのドレープの重厚感がすばらしい
2階席を仰ぐ。やはり手すりのデザインが凝ってる。赤いライトも花みたいな独特の形です
ステージ上の特大シャンデリア。ダンスホールとして使用されることもあるらしく、こんなシャンデリアの下で踊ったらそりゃもう煌びやかやろな
このカラーリングのレトロ感、たまりません
ホステスさんたちの名前が書かれたキープボトル。50年通い続ける常連さんもいるんだとか。さすが1969年創業の老舗キャバレー。とはいえバブル崩壊後、次々と他のキャバレーが閉店していく中で、こうして経営と建物を維持してきたのは並大抵の努力ではなかったはず
2階へと向かいます。この螺旋階段空間も、照明、手すり、壁紙、天井に至るまでどこを見てもため息もの
お店の公式SNSには、この照明のチェーンを一個一個外して掃除・メンテナンスしている様子が投稿されてました。途方もなく手のかかる作業
2階からの景色もまた格別です
このシャンデリアまわりの天井のデザインもすごい。なんの素材でどうやって造られたのか
まさに大人の社交場という雰囲気。あ〜〜〜〜左馬刻のシマにこういう店ありそ〜〜!
この美しいブルーのソファにハマ3人が座っているところを見たい〜〜〜!!
こういう円形のソファも今では製造が難しいそうです
鏡に反射するホールの景色さえ美しかった
来れてよかった、グランドサロン十三。こんなすばらしい建物と内装を守ってきてくださった方々に感謝
駅に戻りがてら十三の街中を楽しみます。グランドサロンを出てすぐに出会ったのは、この年季の入りまくったコンクリートビル。キリンビールの看板、亀裂の走る壁、繁茂し増殖する道端植木鉢、なにもかもが良い
ホストクラブ系がたくさん入ってたビルのドデカ鏡面飾り。ステラっていうビル名からきてるんやろな
レトロなビルとこういう近代的なデザインのビルが混じり合ってる混沌感、大好きです
えらく派手な色合いの外観やなと思いつつ側面を見てみたら
ハート形の格子窓が。こういうの元遊郭の建物とかで見るけど、ここはどうなんやろ。めちゃくちゃ風俗街の中にあるから余計にニヤリとしちゃう
良きフォント。こういうグッとくる街角フォントコレクションもどっかに集積しておきたい
「アルサロ」という言葉に初めて出会いました。調べたら「アルバイトサロン」のことらしく、アルバイトのホステスさんと飲めるお店のようです
ここも夜に来たらネオンすごそう
古い商店街あるあるの、独特な街灯
飛び出す「映画」の文字に惹かれて近づいてみたら、どうも古い映画館らしい
こういう単館系映画を上映する映画館っていうのもめっきり見なくなった感。昔は神戸にもいくつかあって、よく映画好きの母親に連れてってもらったけど、シネコンに客を取られほとんどが閉鎖してしまった
天井の模様が芸術的
ピンサロとかの風俗店が堂々と軒を連ねております
スナック天国。都会のド真ん中では、もはやこういう看板さえ貴重
十三から梅田へと戻り、イケフェスの続きを楽しむ前にちょっと休憩を
木の天板、木の椅子、壁も立体的な木材の構造と、あきらかに木にこだわった内装で良い雰囲気
おすすめの秋ブレンドと、ガトーショコラをいただきました。美味しかった〜〜歩き疲れが癒やされました。コーヒーカップも店長さんのこだわりなんやろな
一服したあとは、肥後橋あたりのイケフェス建築を楽しみます。まずは「江戸堀コダマビル」。綿布商だった児玉竹次郎の本宅として建てられた、和洋折衷な建築物
玄関脇のステンドガラスがオシャレ。外観の目立つところにバーンと配置するんじゃなく、こうやってさりげない場所に凝ったステンドガラスを使うセンス、すばらしすぎる
なんとなく心惹かれた地下への階段
華美じゃないのに、ところどころに繊細なデザインが施されてる
一階廊下。シンプルかつ品のある雰囲気
ピアノが置いてある小さな部屋があって、ちょっとした演奏会とかできそうな感じ。壁の木材は防音も兼ねてそう
ここにもあった、気になる地下への階段
建物内には、古い家財や機材も置いてありました
これは出征する人に贈られた日章旗とみた。兵士の方々はお守りとして戦地で身につけてたり、アメリカ兵によって戦利品として奪われたものが戦後に返還されたり、いろんなドラマがある
彫刻みたいな壁かけ時計
窓の鍵もレトロなデザイン
せっかくなので普段入る機会のない建物も見学したかったため、次は「日本基督教団大阪教会」へ。大正時代に建てられたプロテスタント教会とのこと
煉瓦積みによって生み出される凹凸デザインが見事
煉瓦だけでこんな風に模様をつくってしまうのがおもしろい
上部の三角形は「父と子と聖霊の三位一体」を表すらしい
内側からの光で、ステンドガラスのイエスさまが浮き上がって見えます
内部は木材による重厚な雰囲気
手すりの親柱にもさりげないデザイン。しかし階段途中に鏡を置くっていうのは、いわゆる和風建築ではあまり見ないなと勝手に感じたんですが、教会とかにはよくあることなんやろか
二階の礼拝堂ではちょうど建物説明の映像が流れていて、しかもパイプオルガンの生演奏までありました。贅沢
三階部分にある立派なパイプオルガン、左右に二台。天井の大きな梁には十字架のデザイン
全体的に丸みを帯びたやさしいデザイン。なんとなく教会といえば想像する荘厳で圧倒的な神パワー!崇めよ讃えよ!!って感じはなく、民衆にやさしく寄り添うような雰囲気
祭壇も余計なデザインはなく、品の良い雰囲気
祭壇側から見た三階部分。この建物を象徴するバラの形の円形窓がうつくしい
柱の頭に羊っぽいデザイン。神の子羊とかそういうイメージでしょうか
本館の隣に建つ塔。阪神大震災で半壊したけど、いろんな人の寄金や努力で再建されたとのこと。ここまで大きい煉瓦作りの建物なので、そりゃ地震には弱かったやろし、再建するのも大変なことやったろうな
ところで大阪市内にはかつて多くの堀川が網の目のように走っていて、江戸時代には「水の都」と呼ばれ運輸・交通のために舟がひっきりなしに行き交っていたらしいですが、戦後不要になった堀川は埋め立てられ、現在はこうして当時の堀川に架かっていた橋の跡だけが残されてたりします。こういう遺構をけっこうあちこちで見つけられる
逆側にもこのように。かつて堀川があった場所には高速道路が造られてたりするので、水路はなくなっても物流は変わってないんやなと感じられる
今は使われてないだろう水圧計。土台部分のマークが大阪市の市章で、見慣れすぎてて不思議にも思ってなかったけど、他府県の方から見るとシンプルすぎない?となるらしい。これは澪標(みおつくし)=水路の標識をもとにデザインされていて、こんなところからも大阪がいかに水運の栄えた街だったかがわかる
イケフェス散策を続けます。こちらは「今橋ビルヂング」、もとは消防署だったとのこと
そのお隣に建つのが「淀屋橋竹村ビル」。宇宙船を思わせる上部のデザインと、神殿の柱みたいな下部デザインがかっこいい
通りを挟んで斜め向かいには、こちらも大正時代建造の「大阪倶楽部」
微妙に変則的な窓、そしてこの出窓?のデザイン。イケメンすぎる
すみずみまで微に入り細を穿ったデザイン
そして土佐堀川にそびえるラスボスと言えるのがここ、「三井住友銀行大阪本店ビル」
もうすっごい。でっかい。こちらも大正時代に竣工、住友財閥の拠点として相応しい荘厳さ
正面側じゃなくてもこんなに立派。すごい
現在の三井住友マークもしっかりと
川と逆側は狭い通りに面するため、圧迫感を与えないよう工夫されてるらしい
さて入り口から中へ入っていきます
玄関脇にいた謎のひょうきん生物
ドアの取っ手もかっこいい
内部は撮影禁止でしたが、ここの天井ステンドガラスだけはOKでした
それにしても内部もすごかった!とくに銀行営業室と呼ばれる、いわゆる銀行の窓口とかがあるドデカいホール。あれはもう現代の神殿。壮観でした。三井住友に口座開設しようかなと思ったぐらい
明治・大正期にこういった西洋建築を建てるときは外国人建築家を招くことが多かったらしいけど、住友家は設計部門をつくり日本人によって建築設計をおこなうことで、日本における西洋的な建築技術や文化の発展に寄与したとのこと。ノブレス・オブリージュの一種というか、財を成して影響力を持つ人が目先のラクさや利益に走らず、こんなふうに何十年後の未来を考えて動くの、すごいなぁっていつも思う。私にはない思考と感性なので
歩きまわって大変楽しかったです。大阪に住んでそこそこ経つけど、まだまだ知らなかった魅力的な建物や街がいっぱいある、それがとても嬉しい
▽
さらに次の週末、京都でも「京都モダン建築祭」というイベントをやってたので遊びに行ってきました
まずは「京都府立図書館」。1909(明治42)年竣工というから驚き。永倉新八や斎藤一がまだ生きてる時代。過度すぎない金色の使い方がとっても上品です。なにより「京都図書館」の書体が最高すぎる
橋を渡れば、はるばる滋賀県から流れてきた琵琶湖疏水がここで「白川」と名を変え鴨川へと続く場所、分水界というらしい。分水嶺となにが違うんやろ思ったら同意でした。なぜと問われたらめちゃくちゃ困るんですが、こういう川や水に関わる設備がすごく好きです
京都は何度も来てますが、この白川周辺は初めて歩きました。川の水がめちゃくちゃきれいで、釣りをしている方々もいて、緑豊かですごく心地よい雰囲気。京都の川といえば高瀬川周囲がお気に入りでしたが、ここも新たなお気に入りスポットになった
この幅の狭い桁橋がとても好き。地元の方には「もっこ橋」という愛称で親しまれているそう。明治時代に橋の東側(画面右側)に製氷工場があって、工場で使用する保冷剤のおがくずをもっこ(持籠)で担いで運ぶために造られたらしく、今では工場はなくなったけど橋は残されて、映画のロケ地なんかにも使われてるとのこと。確かにこの日も、橋の上できれいな着物姿の女性とカメラマンが撮影してました
白川のほとりに位置する「時忘舎」は、大正3年(1914年)創業の旧竹中精麦所の工場跡地
内部は改装され、現在は会員制のカフェ・サロンとして利用されていますが、梁や柱は当時のままとのこと
何より特徴的なのは、建物の下を水路が通っているところ
この水路も当時のままの姿らしい。精麦所だった頃は水車がかけられ、杵をつき麦を挽く音が鳴っていたとか。風流〜〜〜〜!こういう水とともに生きてきた暮らし大好き。温泉とともに暮らしてきた別府の人々とか
さらに白川を南下。古い建物があちこちに
ここも、この隣りの建物もすでに廃墟になっていて、取り壊し工事がおこなわれてました。水辺で暮らすことはいろんな苦労があったやろな
鴨川を渡って見えてきましたのは「京都市役所本庁舎」。すっごい迫力です。本庁舎は1927(昭和2)年竣工で、政令指定都市の市役所では一番古いとか。はぇ〜〜すっごい
内部が特別公開されてましたが、地味に渡り廊下から工事中の現場をのぞけたことはレア体験でテンション上がりました
まるで美術館みたいな洗練された雰囲気
階段の美しき立体交差、ドキドキしちゃう
こちら「正庁の間」は最近の改修工事によって、創建当時の姿が復元されたとのこと
目を惹く照明器具
国賓を迎えたり式典に使われたりするそうです
こちらは市議会場。天井のステンドグラスは改修前から100年以上使われているもの、壁は壁紙じゃなく織物を直接貼る「緞子(どんす)張り」と、伝統感たっぷり
さらに階段を上り下りしまして
正面玄関。ドアまわりのくりぬきがおもしろい。採光性かつデザイン性の高さ
振り返れば京都らしい風景をえがいたステンドガラスが
エレベータードアは漆塗り
京都の伝統工芸をもちいた時計も。中央のマークが京都市章。これと比べると確かに大阪市章はシンプルかもしれん。私はどっちも好きです
こちらは麩屋町通で異様な存在感を放つ「革島医院」。1936年施工の住宅兼病院
まるで日本とは思えない、西洋のおとぎ話にでも出てきそうな外観。ファンタジー系RPG感というか。草木がきれいに窓を避けてるから、丁寧に剪定されてるのかなと予想。このあとに行く廃校の蔦がカオスだったので、余計に丁寧さが際立ってました
こちらは「郭巨山会所」。一体どういう建物かさっぱり調べないまま訪れたのですが、京都といえばの祇園祭で登場する33基ある山鉾の一つ「郭巨山」の町会所とのこと
祇園祭の神事はすべて各山鉾町の会所内でおこなわれ、たくさんの人々が集まっていろんな作業をするらしいんですが、この郭巨山会所は市電開通による四条通りの拡幅によって敷地の一部が削られ、めちゃくちゃ手狭なうえ耐震性や火災の心配もあった、ところが伝統的建築物であるがゆえにそう簡単に改修するわけにもいかなったとのこと。現在、他の会所はマンションやビルの一部を使ったりしてることが多く、伝統的な形式を継承している数少ない建築物がこの「郭巨山会所」だったと
そこで可能な限り元の姿を残したまま、大屋根をかけて母屋と土蔵を一体化することで、スペースを広げつつ鉄骨によって耐震性も確保。この写真で見えてるのが土蔵の屋根と壁です。これが室内にある状態
反対側には、道路側にあった母屋の壁の一部が
こうした取り組みが評価され、2023年日本建築学会賞を受賞したようです。伝統的建築物をどうやって活用し残していくかって各地方での大きな課題と思うけど、不便さや耐震性問題を解消しつつ次の時代に受け継ぐためには、いろんな人たちの知恵と協力が必要なんやなぁとしみじみ。そのへんの人的・金銭的リソースがない地域だと、保存はむずかしい
京都はここ以外にも廃校を上手く活用しているイメージがあって、たとえば「国際マンガミュージアム」も元小学校で、今では芝生の校庭でゴロゴロ寝転がりながら漫画が読めるというありがたいスポットやし、他にも廃校がホテルになったりイベントに使われたりしてる
そしてこちらがカオス蔦の建物、「旧成徳中学校」。1869(明治2)年創立、現在の建物は1931(昭和6)年竣工。軟式野球や栄養給食の発祥の地という歴史を持ちつつも、2007年に閉校。現在は文化協会によって管理され、市民大学院などに利用されてるとのこと
正面玄関のデザインがかっこいい。上部が半円形の窓に設置されているサッシは、本来カーブに曲げるのがとても難しいらしく、特注品とのこと
蔦に覆われた校舎がちょっとすさまじい空気感を放ってます
階段の手すりは大理石、階段は欅の板で、歩くと独特のきしみ音が鳴ります
蔦の這う窓は内側から見ても絵画的。なんというかギムナジウムっぽいというか、萩尾望都の漫画みたいな妖しくて淫靡で陰惨な物語が似合いそう
京都はここ以外にも廃校を上手く活用しているイメージがあって、たとえば「国際マンガミュージアム」も元小学校で、今では芝生の校庭でゴロゴロ寝転がりながら漫画が読めるというありがたいスポットやし、他にも廃校がホテルになったりイベントに使われたりしてる
そもそも京都は近代小学校発祥の地で、というのも明治維新前後の戊辰戦争などによって京都の街が焼けたうえ、首都が東京に移ったことで京都の人口が激減、そこで京都政府や町民が一丸となって地域活性化やー!ってことで始まったのが、華士族以外のすべての子どもが通える小学校作りだったとのこと
二週間で大阪と京都それぞれの近代建築物を見てきたけど、やっぱりそれぞれの地域性や歴史の特性が感じられてとっても楽しかったし勉強になった
近いうちに琵琶湖疏水を巡る旅をしなければならぬな
おしまい!




















































































































































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