東京・日野調布旅行②

2018年4月29日日曜日

t f B! P L
いよいよ日野調布へ

天気がめっちゃくちゃ良くて、行楽日和を通り越したもはや夏日
GWやし、できるだけ早朝にいって、人がいない間に墓参りを済まそうとおもてたわけですが



いや〜なめてた。なめてました。石田寺への道すがら、すでに私以外にも、あ、たぶん目的一緒やなーという方がちらほらいてはって
私がお墓に花供えてまわり掃除する頃には、私の後ろにふつーに墓参りの人々のちょっとした列ができてた
歳ちゃん人気やなぁ!まぁ時期柄ってのもあるでしょうが。命日近いし
あと駅降りて歩きながら表札眺めててすでに感じてたけど、まわりの墓石みててもおもたけど、土方姓があふれ返っていてもう土方の洪水
国広と兼定がここきたら、いろいろ興奮しすぎて卒倒しそう


左端の立派なカヤの木は、樹齢400年を超えてるとのこと
幼い歳三もこのカヤの木の周りで遊んだかも〜みたいなことを、居合わせたガイドさんがおっしゃってました
ひとり旅者としては、たまたま居合わせたツアーガイドさんからいただく情報すごくありがたい





そっから土方歳三資料館へ
ここも、私が着いた時にはすでに道にあふれるほどの人が。ほぼ開館時間にいったんですけども
石田散薬作り体験会やってたみたいで、それにも人がずらーっと並んでてもう受付終わったとのことで、ごめんなさいねと受付の方が。とくに参加するつもりなかったけど、たしかにちょっとやってみたかった

資料館の中ももう人でいっぱい
特別公開されてた兼定、一度に十数人から舐めるように見られていた(語弊)
広告屋としては、石田散薬のチラシが興味深かったです
豊玉発句集もじっくり見た。歌の内容もやけど筆跡見るんも楽しい
でももっとひとつひとつの史料、ゆっくり見たかったなー!兼定は展示されてないけど閑散期にもっぺん行ってみようか


よく時代小説で見るやつ〜


あと個人的には、資料館おとなりの長屋門も非常に興味深かったです。ここに至るモノレールに乗ってるときに、すでに見えてて「おっ?」てなったんですけども


このおうちのなかさんが土方家に嫁ぎ、歳三の義姉やったとのこと
当時から現存する数少ない建物
というか長屋門って本当に立派というか、その家自体の立派さを表してるというか。赤坂で武家屋敷の長屋門みたときも、でっか!こんなのが門て、屋敷自体どんだけでかかってん!と想像させてくれるので好きです





炎天下を歩きながら気になった、側溝のデザイン


マンホールにも同じ鳥の絵が。日野市の鳥とかでしょうか。とおもって調べたら、市鳥のカワセミのようです





佐藤彦五郎資料館。スタッフさんの説明が妙にツボって楽しかった


歳三が佐藤家の長男・源之助に贈った刀「越前康継」の刀身が特別限定公開されてました。知らずに行ったけどラッキー!兼定よりもゆっくり見れます
越前康継は家康に召し抱えられ、「康」の字と葵御紋を彫るという許しをもらっていたとのことで、そりゃーもう価値が高かったはず、それを贈るぐらいやからやっぱり歳三も甥っ子の源ちゃんのこと、かなりかわいがってたんやろな。馬の遠乗りとかにも連れてってたし。母親がわりだった姉ノブの長子、というのが歳三にとって大きかったのではとのこと
しかも大正12年の関東大震災の時には、暴徒が襲ってくるという噂が流れ、佐藤家では「父・俊宣が越前康継を、子・仁が兼定を持ち、暴動に備えた」って記述が日記に残されてるらしい。大正になってなお武器として使われかけたん、すっご〜!
その仁さんが、兼定を土方家に譲ったとのこと。そもそも市村鉄之助が歳三の写真とか遺髪とか兼定を届けたのも、佐藤家ですもんね。やっぱよっぽど彦五郎さんのこと慕ってたんやな〜さすが佐藤尊兄〜

その他にも、近藤・沖田・土方からの手紙、近藤から贈られたという短銃、歳三が使っていた鉄扇や龍笛、それから歳三が姉ノブに贈った京都の茶器も見れました
可愛らしい柄の茶器で、さすが女性への贈り物のセンスあるな〜っていう。高価な景徳鎮のものらしいです。こういう人間らしい部分が見えるものはとても良い





その佐藤彦五郎が名主をつとめ、また住居にもしていた日野宿本陣


ガイドさんによると、日野は火事がよく起きる土地やったらしく、この建物も幕末に焼失して再建されたものらしい


ここもガイドさんの説明が軽妙で楽しかったのでオススメ
ここで参勤交代でいらっしゃったお殿様を名主の佐藤彦五郎が迎えた〜とか


この真ん中の部屋で歳三がゴロゴロしてたって伝わってる〜とか


箱館から歳三の遺髪や写真や刀を届けにきた市村鉄之助を、この六畳間でかくまってた〜とか、官軍にばれないように襖を壁に変えて〜とか
歳三がなんども訪れ時を過ごしたこの屋敷の中で、この景色をながめながら、どんな気持ちでいたんでしょうね鉄之助は


おもしろい釘隠し
こうもりは多産だから中国では福を招く縁起のいい生き物とされていて、こういった意匠にも使われてるらしい


同じく多産で子孫繁栄の縁起物として重用されたうさぎの意匠。かわいい





井上源三郎資料館への道すがら出会ったお地蔵さん
穴あき石がそなえられていて、謂れは不明とのことやけど、目に関するお地蔵さんやから「目あき石(目明き)」として目つながりとか?
歳三の長兄は盲目で、この方も彦五郎さんちにお世話になってたらしいので、このお地蔵さんにお参りにくることもあったかもしれないですね
町歩きしてるとこういう発見があるからおもしろい


奥に見えるお地蔵さんの両側に石がそなえられています






井上源三郎資料館にもきたんですけど、閉まってたっていう。源さん!源さあああん!源さんの源さんて呼びたくなる感はすごいよ源さん!

日野市のあちこちが新選組推しで、もちろん町おこしの一環でしょうけど、きっと幕末当時も彼らは故郷の誇りやったんやろなぁと
甲陽鎮撫隊で甲府城に向かう途中、一度日野宿に立ち寄ったとき、町をあげての大歓迎やったというが、滅びゆく幕府側につき、滅びの道を歩んでいた彼らでも、やはり故郷の人にとっては「よくやった」という気持ちやったんやろなぁ…などと考えるとじーんときます





電車乗り継ぎまして調布へ
多磨駅の踏切からの景色。架線がかっこいい
駅に外国人の方の姿がちらほらあって、観光客かな?とおもてたけど、どうも住んではる方が多いみたい。というのも道すがら、


かような外車の廃車をたびたび見かけ、道沿いの大きな家の庭で日光浴してはる外国人の方の姿が見えたりして、住んではるんやなと気付いた。米軍基地が近くにあるとか?



これも廃車やけど、内装もまだまだきれいでもったいない。こういう鋭角のデザイン大好きです、かっちょいい〜


映画に出てきそうなやつ





駅から道沿いをずーっと歩いてたどりついた、近藤勇生家跡。宮川さんちで生まれた勇は、剣の腕を見込まれて近藤家の養子となり、天然理心流を継ぐ


家はもう跡形もないけど、この井戸は当時のままのものらしい


そこからさらに歩いて、龍源寺の近藤勇墓所へ


今まで見た中でいちばん写真に近い銅像でした。勇せんせい〜!!
これで全国各地にある近藤勇墓所の墓参りはコンプリート


龍源寺の立派な本堂。重厚な色彩が美しい




ここまできたら調布飛行場がすぐ近くにあり、地図みてたら掩体壕が残されてるみたいやったので、足を伸ばして見てきました


掩体壕は、飛行機を空襲とかから守るための格納庫
調布飛行場は第二次世界大戦時に、首都防衛のため府中刑務所の囚人たちや地元の中学生たちを動員して建設され、この掩体壕には戦闘機「飛燕」が格納されていたとのこと
本土決戦に向けた配置やったけど、飛来するB29の圧倒的な物量爆撃には歯が立たず、最後には体当たり作戦しかなかったらしい
掩体壕から飛行場へ戦闘機を出すのは、人力で引っ張ったらしいけど、「風立ちぬ」でも牛に飛行機をひかせてて、こんなところアナログ!とびっくりしたん思い出した


掩体壕の後ろからの姿
思ったより小さくて、戦闘機がここに納まってたって、けっこう小型やったんやなぁという印象


飛燕の銅像。こんな風に掩体壕に納まってたようです


もうひとつの掩体壕の入り口は塞がれ、飛燕のイラストが描かれていました
こんな兵器が実際にこの地にあって、ここから飛び立ってB29に突っ込んでいってたんやなぁと
いま、戦闘機や焼夷弾の影のひとつもない青空が頭上に広がっていること、感謝せなあかんよなぁ




帰りの新幹線のために東京駅まで戻ってきて、まだ少し時間があったので、この旅の最終地点にふさわしく江戸城跡を見に


たびたび利用してるけどちゃんと見たことはなかった東京駅の駅舎
やっぱり建物きれいですね〜東京駅前は道行く人たくさんいたし、憩いの場になってる感じ。丸の内あたりは遊歩道っぽく整備されてて、緑も多くて、散歩するのにぴったりで気持ち良い


何度も近くは通ったのに、まともにきたことがなかった江戸城跡。つまり皇居


ちょうど150年前、鳥羽伏見で敗戦を喫し大坂から江戸へ渡ってきた新選組。墨染で肩を撃たれ、戦に参加できなかった近藤勇は、土方歳三を連れて江戸城へ登城、幕閣たちに官軍への徹底抗戦を訴えるも、勝海舟をはじめとする官軍恭順派にけむたがられ、甲府城へ行ってこいと体良く追い出される
どんな想いでこの道を歩いたやろうか





あと気づけばこの日の服装、けっこう兼さんカラーやったねとそんだけです
おしまい!

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