めんそ〜〜〜れ
沖縄はわりと4、5回目の訪問ですが、当たり前にまだまだ行ったことのない場所がたくさんありました
そうそれは斎場御嶽(せーふぁうたき)
御嶽(うたき)は沖縄各地にある聖地のことで、斎場御嶽は琉球王国が神事をおこなった、最高位の聖地。正式な神名は「君ガ嶽、主ガ嶽ノイビ」とのこと。今も地元の方々が祈りを捧げる、大切な神域です
御嶽全体は大きな森に囲まれていて、木々の合間から「神の島」である久高島が見えました。大事な神事の際には久高島の白砂を御嶽に運んだそう。のちほど、この島にも渡ります
第二次世界大戦の時には、アメリカ軍の艦砲射撃がここまで届いてきたそう。艦砲によって空いた大穴が今も残されています。地元の方々がずっと大事にしていた神域も、戦争によって破壊の危機にあったんやなぁと実感
御嶽にはイビと呼ばれる神域がいくつかあって、ここもそのひとつ
イビによって執り行われる儀式がちがうとのこと
巨大な岩がまるで何かの生き物に見える
滑り落ちた巨石によってできた三角空間。自然の神秘とはよく言ったもので、こういう自然現象による偶然の産物に、人は神がかった奇跡を感じ、自然の力の偉大さをあがめ、神域としてきたのかな
何千年何万年とかかって形成された鍾乳石から垂れ落ちる水を甕に集め、琉球王国の最高神職だった「聞得大君」の就任の神事に使われたとのこと。自然の力を受け継ぎ、自然と一体になることで、聞得大君は神と同格になる、というストーリー
聞得大君は女性で、御嶽はもともとは男子禁制だった場所。本州の文化・風習では女人禁制の場所とか多いけど、琉球はその逆だったとはおもしろい
沖縄は人だけじゃなく猫ものーんびり
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御嶽から一路、今度は高速船に乗って久高島へ
天気がよかったので、海がウソみたいなブルーグリーン!
久高島は、島全体が聖地であり御神体。琉球のニライカナイ信仰において、創世神アマミキヨが天からこの島に降りてきて国づくりを始めたという伝説がある
そのため島にあるものは石ひとつ持って帰ってはならないことになってます。こういう制約、とってもドキドキする
久高島には住んでいる方々もいらっしゃって、昔ながらの家屋がたくさん見れました
屋根にちょこんとシーサー。台風の日とかめっちゃ雨に打たれてるんやろなとちょっと想像してしまった
島唯一の簡易郵便局。かわいいフォルム
もちろん神職の方々の家も。こちらはヌルと呼ばれた神女の一人が住んでいた家で、島を訪れた琉球王国の王様と恋に落ち、その間に城で反乱が起きてしまい、王は帰りの船から海に身を投げ、ヌルも自ら命を絶った、という話が残されているそう
当時は許されぬ恋とされたけど、彼女の存在があったおかげで、他のヌルも恋愛や結婚を許されるようになったとも言われているらしい
トトロ感のある道を進み
かつて儀式のために通った道を抜ければ、向かう先には海が
ニライカナイは海の向こうに神の住む島があるという話で、そういう信仰が生まれたきっかけは、諸外国からいろんなものが海をこえて浜辺に漂着したため、というのがおもしろい。自分たちとはまったく違う文化や技術の詰まった見知らぬ物品が流れ着くたび、これは不思議だ、海の向こうには神様が住む国があって、こういったものが使われているにちがいない、と考えた古代の人々の感性すてき
日本本州にも、海の向こうに理想郷があるとする「常世の国」伝説が残ってるけど、島国ならではの考え方なのかな
こういう美しい海と島の景色を眺めてると、その先に理想郷を見いだす気持ちもわかる
久高島のマンホールには、市町村合併ですでに存在しなくなった「知念村」の文字が。ビカッと光ってる太陽がなんか南国っぽくて良い
海辺のベンチでしゃべってる地元の方々の姿も。神の島も、のーんびり島時間
もちろん猫ズものーんびり
ところで島への行き帰りに乗った高速船、まじで高速すぎて水しぶきがすごかったです。海中みたいな写真になった
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そして琉球王朝つながりで、識名園に初訪問
王家の別邸として作られた場所で、中国からの使者をもてなす場でもあったらしい
広大な緑の森と
合間にたたずむ建物。こちらは番人が使っていた番家
とにかく植生が独特でおもしろい。本州じゃ見られない光景に、まるで外国に来たみたいな気分になる。昔はまさしく外国やったわけやし
木漏れ日に照らされそこだけ光ってみえた植物。本当にファンタジーな世界観
ここにも石垣で守られた水場が
育徳泉と呼ばれた湧水だそう。いまも澄んだきれいな水が湧き出てました
石垣に囲まれた道を歩き
赤瓦が美しい御殿へ
日本と中国両方の影響を受けた建築様式。こういう坪庭は日本邸宅感ある
御殿から眺める池には、石橋や六角堂が
この橋がおもしろかった。石灰岩で固められてるらしい
中国ではこういう橋の造り方をする文化があって、それを真似たんだとか
橋から眺める御殿もきれい
さらにもうひとつの橋を渡り
池の浮島にある六角堂へ
この六角堂にかけられた橋はなんと、ひとつの石灰岩から切り出されたもの。そんな石を見極めて加工する技術をもった石工さんすごい
ここは船着場で、かつては池に船を浮かべて船遊びをしてたそう。涼しげでいいな
さらに森の中を歩きます
そして識名園にも戦争の跡地が
以前、沖縄本島のガマ(防空壕や野戦病院として使われた洞窟)に入ったことあるけど、こういう地中に潜んでるの、怖かったやろな。でも地上にいる方がもっと恐ろしかったんやもんな
勧耕台と呼ばれた見晴台からの眺め。ここからは海がいっさい見えなくて、それは中国から来た使者に「この国の土地はこーんなに広いんです!」と示すためだったとか。当時は大国中国との折衝に琉球王国の命運がかかってたんやろな
こちらが在りし日の景色。今では山の起伏の一部がその記憶を残すのみ
この辺りを歩いてる時に、上空を飛んでいく飛行機のエンジン音がずっと空気を震わせてて、戦争時の空襲や艦砲射撃もこんな風やったやろななどと想像したりしてました
というのも、この識名園もやはり沖縄戦で米軍の攻撃を受け、一旦は森も御殿もすべて破壊され尽くしたそう
戦争ってほんまに人の命や生活を奪うだけじゃなく、文化も壊してしまうんやな
識名園再建の時に園内から出土した薬莢たち
この美しい眺めも一旦は失われてしまったけど、また人の手によってよみがえった
花壇で花の世話をしてらっしゃる方の姿が。人の手によって壊れたものも、またこうして人の手によって再建され、守られ、受け継がれていくんやなぁとしみじみ
私が識名園に足を踏み入れた時から出入り口にいたニャンコ。戻ってきてもまだいた。くつろいではるね
売店のそばにも別のニャンコ
ところで識名園に至る道の両側には、このような一種異様な光景が広がっており、私は見た途端「これケンミンショーで見た!沖縄のお墓や!」と大興奮
なんの前触れもなくこういう光景が始まってえんえんと続くので、また不思議な世界に迷い込んだ感覚になります
帰り道、たまたま「識名宮」という名が目に入ったので参拝に寄りました
琉球八社という、琉球王朝から特別な存在として扱われていた一社だそう
拝殿前には茅の輪くぐりが。地味に初めてやりました、茅の輪くぐり
狛犬もどことなく南国仕様
ここもやはり沖縄戦で一度は焼失し、再建された場所
本殿の裏には洞窟がありました
もしやガマかと思いましたが、どうやらそもそもこの洞窟こそが識名宮の発祥の地とのこと。洞窟内に霊石があって、そこで拝めば願い事が叶ったことから、神社が創建されたという歴史が
これは!今日の下鴨神社でも見た、なんか竹で囲って神様に降りてきてもらう系のやつ!ふわふわとした知識!
2日目につづく!
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