戊辰戦争の旅 -淀編-

2020年3月20日金曜日

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誕生日でした
毎年、誕生日に九州の美味い酒を送ってくれる長年のオタ友いおりんから、今年もめちゃ素敵な詰め合わせが届きました。ひゃっほーーーい!
いおりんとは今度、宮崎と鹿児島に行くのですが、それにちなんでであろう西郷どんの焼酎入り。こういう心配り、気遣い…とても素敵。見習いたい
あとボックスが誕生日ケーキ仕様っぽくてかわいいんじゃ〜!


こないだいおりんと、旅行の予定立てるためにLINEでしゃべりながら「どこ行きたいー?」って話してて
いおりんは私が旧幕府派・新撰組好きであることを知っているので、鹿児島の観光地を見ながら「大丈夫?アレルギー出ない?」って言ってて、「大丈夫大丈夫!」って軽く返してたんですけど
鹿児島の寺社仏閣のサイトを開いた瞬間に、画面にドーン!と島津十字が出てきて
「うわっ島津十字や」って脊髄反射で反応してしまい
思ったよりアレルギーあるやんと自分で笑ってしまった

でもせっかく鹿児島行くならと、あんまり詳しくない西南戦争のことwikiって記事めっちゃ読み込む私、なぞの真面目さがあるよね
旧幕府側やったけど戊辰戦争で負けて、新政府軍に入って、西南戦争で西郷軍と戦ったっていう人もけっこういてはるので、かなり興味はある



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そんなわけで誕生日に行ってきました、戊辰戦争の跡地のひとつ、淀城
鳥羽伏見の戦いで戦端が切られたのち、伏見の次に主戦場となったのが淀城周辺
鳥羽と伏見で敗走した旧幕府軍は、南下して淀藩に応援を頼み、淀城にこもって戦おうとしたけど、淀藩は朝廷や官軍に逆らう気がなく、旧幕府軍の入城を拒否
これによって旧幕府軍はさらに南下し、大坂に入ることになる


淀城は建物類は残ってなくて、いまは堀が残るのみ
堀の上を散歩できて、早咲きの桜がきれいに咲いてました
…桜かな?梅にしては花ぶりが広がってるので桜かと思ったけど、どうやろう、急に自信なくなってきた


淀城から北上したところにある、戊辰戦争の地碑
このへんはかつて千両松と呼ばれた立派な松林があったって、新撰組関連の小説で読んだことがある
淀は川に挟まれた土地で、かつての交通の要所、今でも淀堤や背割堤など、堤防の風景が残っているので、そこに千両とまでいわれた松林があったなんて、いい景色やったでしょうね
そんな地で旧幕府軍と官軍が激突し、新撰組の古参隊長の井上源三郎が戦死
源三郎の甥っ子が首を切って持ち帰ろうとするけど、あまりの重さに泣く泣く途中のお寺で首を供養してもらったっていうエピソードが印象的


地元の方によってか、墓碑はきれいに整えられ、花も供えられてました
戊辰戦争の跡地はいろいろ行ったけど、こうやって今も地元の方によって守られてる光景、なんかジーンときます

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